琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

アメリカの「ブログの女王」と「ブログを書くことによる人生への影響」

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITbe000002102006

なぜクラインはブログを書くのだろうか。2005年5月11日のブログはこのテーマを扱っている。作家志望で写真家でもある彼女は、いかに注目してもらうかを考え、自分の考えや写真を収納しておける場所が必要だと思った。そして、友人の勧めに従ってブログを始めたと記している。最初は誰も彼女のブログを読まなかった。だが、彼女は書き続け、ブログへのリンクをメールで送るようにした。やがて、2004年の夏にイギリスの「インディペンデント」が「マンハッタンのインターネット・クイーン」として取り上げ、ここから人気に火がついた。

 クラインは筆者の問いに、自分のようなパーソナルなブログはのぞき見趣味的で、リアリティテレビのオンライン版だと答えている。リアリティテレビとはあいまいなことばなのだが、近年のアメリカのテレビで人気のジャンルで、プライバシーにカメラが踏み込んでいく番組がいろいろとある。

 確かにそうした側面が人気を呼んだのは確かだが、筆者はクラインは露出狂ではないと思う。筆者の観察するところでは、刺激的な記述や彼女のセクシーな写真は、自分を売り出すためにサービスとして行っている節がある。

 ちょっと表現は悪いかもしれませんが、このクラインさんの場合は、「売名行為」としてブログをやっているわけです。
僕がこれを読んで感じるのは、「彼女は、ブログに書くために刺激的な人生を送ったり、過激なことを考えたりしているのではないか?」ということなんですよね。いや、本人が自覚しているのかどうかはさておき。あるいは、ブログをやっていなかったら、「単なるワガママな人」として周囲から顰蹙を買うだけの存在だった可能性もあります。
 すぐ「炎上」してしまうせいか、最近はあまり目立たなくなりましたが、初期の個人サイトのなかで「不倫日記」が非常に多かったような記憶があります。それを読んで僕はいつも「この人は、ネットが無かったら不倫をこんなに続けていただろうか?」と考えていたものです。
 僕は小心者なので、プロの作家が「自分のプライベートを作品として書いて発表している」ことに対して、強い畏敬の念を禁じえません。いや、自分ひとりが好奇の目で見られるだけならともかく、自分の身内や友人だって、「あの人はああいう人なのか」と世間に思われてしまうのですから、よっぽの強い意思がないと、やっていけない世界ですよね(柳美里さんとか辻仁成さんとかはとくにそう感じます)。でも、その一方で、「作品として世界に発信する」というのは、ある種の「大義名分」になりえる面もあるのです。先日、オシム監督の日本代表監督就任前に実家に「突撃取材」したブロガーたちがいましたが、彼らはたぶん「ブログで発表する」という目的がなければ、わざわざ自分たちだけの興味のために、そこまでのことはやらなかったと思うのです。先日は、自分のブログで紹介するために放火しまくっていたアイドル志望の女性もいましたし。
 「よくこんなことブログに書けるなあ……」と観ている側は考えてしまうけれど、書いている側にとっては、「ブログに書こうと思うから、こんなことまでやってしまう」という場合もあるのです。
 ブログを書いていると、「表現の魔力」みたいなものに多かれ少なかれとりつかれてしまいます。政治のことなんて興味が無かったのに、「自分の意見」を書いているうちにどんどん右傾化していったり、自分から声をかける勇気さえあればいくらでも女性と知り合う機会があるような人でも「喪男」に安住してしまったり。
 比較的早い時期から「個人日記」を読んできた僕としては、ネット上の文化である「無自覚なプライベート晒し日記」がどんどん少なくなってきている(ような気がする)ことは、とても寂しいことではあるんですけどね。このクラインさんの日記みたいな「露悪的プライベート晒し」には、あまり興味が湧かないし。

 しかし、実際は「ブログなんて暇つぶし」とアピールしている人たちも、確実に「ブログを書いていることによる影響」を受けていたりするわけです。僕の場合は、以前よりニュースを詳しく観るようになりましたし、読む本にはベストセラーが多くなりました(もちろん「感想を書くと反応が期待しやすいから)。自分が「より人の集まるところ」を志向しがちなのを痛切に感じます。それは「趣味の広がり」であるのと同時に「オリジナリティの喪失」に繋がっているのかもしれません。もちろんそれはマイナスの面だけではないし、何かを考えて文章にすることというのは、けっして悪い趣味じゃないとは思うのですけどね。
 ただ、ブログという「表現媒体」というのは、「露出狂ではないはずの人を露出狂にしてしまう」ような力があるというのは、紛れもない事実ではありそうです。

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