Kindle版もあります。
女性皇族として初めて海外で博士号を取得された彬子女王殿下による英国留学記。待望の文庫化!
≪赤と青のガウン。それは、私が博士課程を始めたときからいつか着る日を夢みてきたものだ。五年間の留学生活中、何人もの友人が博士課程を無事修了し、オックスフォードを旅立っていく様子を何度も見送ってきた。晴れ晴れとした表情でこのガウンを身にまとい、学位授与式が行われるシェルドニアン・シアターから出てくる友人たちの姿は、誇らしくもあり、またうらやましくもあった。オックスフォード大学の厳しい博士課程を成し遂げた者しか袖を通すことを許されない赤と青のガウンは、くじけそうになったときにふと頭に浮かび、オックスフォードに来たときの自分に立ち返らせてくれる「目標」だった。≫(「あとがき」より抜粋)
英国のオックスフォード大学マートン・コレッジでの、2001年9月から1年間、そして2004年9月から5年間の留学生活の日々――。当時の心情が瑞々しい筆致で綴られた本作品に、新たに「文庫版へのあとがき」を収録。
皇族の留学なんて、箔をつけにいく、とか社交界デビューとか国際感覚を身につける、人生経験をさせる、という感じのもので、とりあえず学校に行ってみんなと仲良くしていれば、単位はもらえるし、先生たちもみんな「配慮」してくれる、そんなものなんだろうな、と僕は思っていました。
この『赤と青のガウン』、「ヒゲの殿下」として知られた寛仁親王の長女・彬子女王がイギリス・オックスフォード大学への学習院大学時代の留学と、その後の博士号取得のための留学のことを記したエッセイ集です。
留学生活での様々な経験や楽しかったこと、つらかったこと、海外での日本美術の受け取られかたとその影響、というテーマでの研究生活で出会った人々のことや博士論文執筆の苦闘が、瑞々しい筆致で綴られています。
「プリンセス」だからといって、博士論文を誰かに書いてもらえたり、フリーパスだったり、なんてことは全くなかったのです。
もちろん、皇室が築いてきた人脈が様々なことをスムースにした面はあるでしょうけど、その代わりの「挫折することが許されないプレッシャー」は、並大抵のものではなかったはず。
「日本では側衛(身辺警護を担当する側近)がずっとついていて、一人になることがほとんどなかった」ということで「側衛がいないことで、『自由』になることの解放感と寂しさ」も書かれています。
側衛について「誰かが四六時中付いてきて、うっとうしくないですか?」といわれることがある。たしかに日本で側衛なしで歩ける場所といえば、御用地のなかや学校の構内だけ。女性服売り場で洋服などを選んでいるときは早く終わらせてあげたいと思うし、帰りが夜遅くなってしまったときは申し訳ないと思う。しかし、物心ついたときには、側衛が付いてくるのは当たり前になっていて、側衛なしで外を歩いたことがないのだから、留学するまでは側衛のいない生活を想像することができなかった。
幼稚園のころは、両親の代わりに側衛が迎えにきてくれることがほとんど。
「彬子ちゃんはお父さんがいっぱいいていいね」とクラスメイトからいわれていた。買い物をしているときに意見を求めたり、愚痴を聞いてもらったりするときもある。十年以上わが家の担当をしていた側衛も今まで数名おり、子どものころから私のことを知っている彼らは、いわば家族のようなものである。向こうにしてみても、私がどのように成長してきたのかを、文字どおり「見守って」きたわけで、娘のようなものだと思う。いちばんベテランの側衛と私が一緒にいた時間を総合計すれば、父と一緒に過ごした時間より長いかもしれない。
留学当初、いちばん辛いと感じたのは、いつも一緒だった側衛がいなくなったことだった。日本から送ってくれた側衛が帰り、オックスフォードの寮で一人になったときのさびしさは言葉にしがたいものであった。それまでは、道がわからなかったら聞けばよかった。一人で映画を観にいっても、美術館に行っても、感想を共有できる人がいた。一般の方には考えられないことだと思うけれど、生まれて初めて一人で街を歩いたのは日本ではなくオックスフォードだった。お店のショーウィンドウで気になるものをみつけ、後ろを振り返って誰もいないことに気づいたときの、なんだか穴がぽっかりあいてしまったような気持ちはいまでもよく覚えている。
海外に留学でもしないと、ひとりの時間を持てない、というのは、大変なことだよなあ、と思うのです。
彬子女王も留学生活に慣れてくると、日本にいるときはできなかった自由な生活を楽しめるようになって、「この生活に慣れると日本に戻ったら大変かな」と心配になったそうですが。
優しく、ときには厳しい指導教官のもと、地道に現地調査をしたり、史料、作品に触れたりすることによって、念願の「赤と青のガウン」を着ることができた(それも、震災の影響で、学位授与式に参加するのをためらった末に)彬子女王は、本当にすごい。
僕も英語で論文を書いたことがあるのですが、外国で、日本語でコミュニケーションを取れない指導教官とやりとりをしながら、論文を完成させるなんて。
僕は論文執筆に苦闘する彬子女王に、前野ウルド浩太郎さんのことを思い出さずにはいられませんでした。
オックスフォードに留学し、エリザベス2世にお茶に招待される彬子女王も、アフリカで砂まみれになってバッタを観察・解剖するウルドさんも、「自分の研究成果を論文としてまとめる」という「結果」を出すために何年もかけています。
すぐにお金になるわけでもなく、世の中のごく一部の好事家にしか伝わらないかもしれないけれど、自分の興味に従い、世界を少しずつ前に進めるために。
僕はこうしてネットで文章をけっこう長い間書いているのですが、SNSやブログに書かれる文章って、大部分は、短い時間で書けて、「PV(ページビュー)」やリツイート、イイネ!などで、短期間で結果が出ます。
結果をすぐに反映し、軌道修正していける、という面白さはあるのですが、基本的に「短い時間で作られたものは、賞味期限も短い」と感じています。
長年の観察や研究、実験に基づく論文は、ゆっくりでも、社会や世界に影響を与えていく力があり、精度も高い。
でも、ネットでの「反応や結果が出る速さ」に慣れてしまうと、地道な勉強や研究は、すごく効率が悪く感じてしまうこともある。
こんな時代だからこそ、ちゃんと時間をかけてなされた研究や書かれた論文には大きな価値があるのかもしれません。
留学前から、お菓子などを自分で作っていた、という彬子女王は、留学中、自炊をされることが多かったそうです。
あるいは、友人の家に泊めてもらったり、みんなで食事会をしたり。
何人かで集まって持ち寄りパーティーをすることもあった。博士論文を抱えて苦労している仲間たちなので、気分転換と実益を兼ねた料理会は積極的に参加してくれる。一人が参加者全員をもてなすこともあれば、それぞれがつくったものを持ち寄ってパーティーをすることもあった。そんなときに人気の日本料理といえば、カレーやお好み焼き、肉じゃがなどである。
一方、外国人に「伝わらない」料理というのも少なからずある。「スシが食べたい」と英国人の友人にいわれたのでちらし寿司をつくったときには、「これはスシじゃない」と否定された。白玉団子は「ん〜、ガムみたい」といわれて不評、レシピをわざわざ調べてどら焼きをつくり、結構おいしくできたのに、日本人以外はノーコメント。多くの外国人は「甘い豆」が苦手なのを知ったのはそれからしばらくしてからのことである。やはり食べ慣れている味や食感というのが日本人とは違うのだろうなと思う。
皇族でもこんなふうに料理をして、仲間とパーティーをするんだ!
もちろん、日本ではそう簡単にはできないというか、他人と食事をするとなると「会食」とか「晩餐会」になってしまうと思うのですが、彬子女王がさりげなく書かれている言葉に「皇族でもジブリのアニメを観るんだなあ」とか「けっこう普通の家庭料理みたいなものも食べているんだなあ」と親近感を抱くところが少なからずありました。
大英博物館で未公開の作品に触れた時のエピソードや、日本人の海外への留学生が減ってきている事情についても書かれています。
伊藤若冲の再発掘で知られるプライス・コレクションのジョー・プライスさんにパンケーキを作ってもらった話、というのも出てきます。
御尊父・寛仁親王について書かれている文章も、(僕には娘はいませんが)人の親として、子として、心に染み入るものがあったのです。
背筋がスッと伸びていて、それでいて、人間への温かさとユーモアを忘れない。
そんな彬子女王の人柄が伝わってきます。
読んでいて、米原万里さんのエッセイを思い出しました。