琥珀色の戯言

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【読書感想】自分を愛する力 ☆☆☆☆☆



こちらはKindle版です。

自分を愛する力 (講談社現代新書)

自分を愛する力 (講談社現代新書)

内容紹介
なぜ僕は、生まれつき手足がないという障害を受けいれ、苦しむことなく、かつ明るく生きてくることができたのか――。乙武さんがたどりついたのが「自己肯定感」という言葉。「自分は大切な存在だ」と思う、この「自分を愛する力」について、息子として両親の愛に満ちた子育てを振り返り、教師として現代の親子が抱える問題を見つめ、父親として自らの子育てを初めて明かしながら考察していく。『五体不満足』著者による初の新書。

「自己愛」って言葉には、あんまり良いイメージがありませんでした。
自分本位、自分勝手、わがまま……
「自己愛の強い人」って、友達になりたくない感じがしませんか?


しかしながら、この新書を読んでみて、僕は「まっとうな自己愛」って、けっこう大切なんだな、と痛感しました。
少なくとも、自分を愛せる、認められる人間になることで、生きていくのがラクになる人は多いはずです。
そして、自分の子どもに対しても「もっと自分を好きになれるように接していかなければならないな」と思いました。

 ならば、なぜ僕は生まれつき手足がないという障害を「受けいれ」「苦しむことなく」、ここまで人生を歩んでくることができたのか。僕なりに考えてみると、”自己肯定感”という言葉にたどりついた。自己肯定感とは、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と、自分自身のことを認める気持ち。この”自分を愛する力”が、何より、僕自身の人生の支えとなってきたように思うのだ。
 では、僕はどのようにして、この自己肯定感を育んできたのか、どのようにすれば自己肯定感を育んでいくことができるのか。本書では、僕を育ててくれた両親の子育て、また僕自身の子育て、さらには小学校教師として子どもたちと向き合った経験から、僕の「明るさのヒミツ」を解きあかしていきたいと思う。

 僕も、「乙武さんは、あんな障害を抱えているのに、いつも前向きですごいなあ」と感心するのと同時に、「でも、障害を抱えた人にとっての乙武さんって、憧れでもあり、自分に足らないものを突きつけてくる存在でもあるのだろうなあ」なんて考えてしまうのです。
 率直に言うと、「乙武さんはあんな障害を持っていてもポジティブに生きているのに、僕はなぜ、こんなにネガティブにしか生きられないのか?」なんて思うこともあるんですよね。


 この新書を読んで、いろいろと考えさせられました。
 乙武さんの「ポジティブ」は、乙武さんひとりの力でつくられたものじゃない。
 ”自己肯定感”というのは、本人の考え方のように思われがちだけれど、それを得るためには、本人の努力だけではなく、周囲の力が必要不可欠なのです。
 乙武さんは「自分にできないこと」を考えながら生きてきた。
 ただし、それは嘆くためにではなく、「では、どうすればいいのか?」と前に進むために。
 

 今の世の中って、なんとなく、相手の「弱点さがし」をしてしまうところがあるじゃないですか。
 それで、弱点を見せないように、そして、相手の弱点を突くように、みんながディフェンスを固め、相手の隙をうかがっている。


 乙武さんは「隙だらけの人生」を生きざるをえなかった。
 それは大変だっただろうな、と僕は想像してしまいます。
 でも、そうじゃなかった。
 強がって、「苦しんだことはない」と言っているのだと思っていたけれど、乙武さんが人生で出会った人たちのエピソードを読んでいると、「ああ、みんな何かが足りないのだな」と感じるのと同時に、「足りないことを知っているからこそ、お互いに助け合い、分け合って生きる、そんなことができるのかもしれないな」という気がしたのです。

 
 乙武さんの奥様がどんな方か、この新書を読むまで僕は知りませんでした。
 きっと、慈愛に満ちあふれた、菩薩のような方なのだろうな、と勝手に想像していたのです。
 何をやっても「いいよいいよ」って許してくれるような。


 乙武さんは、奥様のことを、こんなふうに紹介されています。

(奥様は早稲田大学に現役合格し、弁護士の資格をとるために勉強していた優秀な女性だったという話に続いて)

 
 しかし、そんな彼女にも弱点があった。小さな頃から、人づきあいが苦手だったのだ。小学生の頃はクラスメイトとウマが合わず、休み時間になると図書室にこもって本を読んだり、図鑑をながめたりしているのが唯一の楽しみだったという。中学時代も、おしゃべりする間柄の友人は何人かいたが、どこかで孤独を感じていたのだそうだ。高校生になって、「ようやく自分のことを理解してくれる友人に出会えた」そうだが、それでも彼女が自己肯定感を抱くまでには至らなかった。
 彼女が司法試験に向けて勉強に励んでいた理由も、「私のような人間が、結婚してだれかと暮らしていくことなど考えられない。長い人生、どうせひとりで生きていくことになるのだから、しっかりとした収入を得られる仕事につこう」というものだったというから、じつに興味深い。
 そんなところに、僕がひょっこり現れた。彼女とは、まるで正反対。手も足もないのに、なぜか自己肯定感に満ち満ちているーー。じつは、僕らが出会う前、彼女は一度だけ大学のキャンパス内で僕と目撃したことがあったという。もちろん、僕がまだ『五体不満足』で世に知られるずっと前のことだ。
「なんか友達にいっぱい囲まれてて、楽しそうに笑う人だなあって」

 奥様は日々の乙武さんの生活のサポートをしているのだけれども、それは「やらされている」のではない。
 自分がいままで得ることができなかった「自己肯定感」。
 それでいいんだ、できないことがあるのが人間なんだ、というおおらかさ。
 乙武さんと一緒にいることによって、それを常に身近に感じることができるのです。
 「足りないこと」「できないこと」=「悪いこと」じゃない。
 いろんな人がいるけれど、それぞれできることをやって、助け合って生きていけばいい。


 そうだよね、それで良いんだよね。
 なんでもできる人間なんていないのに、そうでなければならないと自分の足りないものばかり見てしまうから、つらくなる。
 乙武さんは、奥様に助けられている。
 でも、それは一方的なものじゃなくて、一緒にいることによって、きっと、奥様も助けられている。


 人と人は「奪い合うもの」だと教えられることも多いのだけれども、乙武さんのメッセージを読んでいると、「人って、もしかしたら、助け合いたい生き物なのかな」なんて気がしてくるのです。


 乙武さんが教師として赴任したとき、最初は「いざというときに『体を張って子どもたちを守る』ことができない」と、申し訳なく感じていたそうです。

 そうした罪悪感から僕を救ってくれたのが、じつはクラスの子どもたちだった。はじめのうちこそ、手も足もない担任に戸惑い、身がまえていた彼らだったが、慣れてくると、ずいぶんその距離が縮まっていった。そして、その行動にも変化が表れてくるようになっていったのだ。
 たとえば、牛乳キャップ。爪のない僕には、給食で出てくる牛乳ビンのフタを開けることはできないので、はじめは介助員がわざわざ僕の席まで来て、開けてくれていた。ところが、しばらくすると、近くの席の子どもが何も言わずとも開けてくれるようになった。
 たとえば、漢字ドリル。休み時間に、僕が宿題に出した漢字ドリルの丸つけをしていると、いつのまにか子どもたちが僕のまわりに来て、ドリルを押さえたり、ページをめくってくれるようになった。
「僕たちの担任は、手と足のない障害者だから、僕たちが手伝ってあげなければーー」
 そんな気負いがあったわけでもない。彼らはごく自然な形で、僕の手伝いをしてくれるようになったのだ。
 そのやさしさは、やがて僕だけでなく、まわりの友達にも向けられていくようになる。ギプスをして腕を吊っている子がいれば、荷物を持ってあげようと歩み寄る子がいた。牛乳をこぼす子がいれば、何人もの子がいっせいに立ちあがって、後始末に走りだした。そうした行動も、「わざわざ」「恩着せがましく」ではなく、困っている人がいれば、自然に手を貸すーーそれがあたりまえという雰囲気ができていったのだ。

 現場では、必ずしもこういう幸福なケースだけではなく、「ハンディキャップを持つ子が、イジメの対象になる」ことであってあるはずです。
 だから、これはあくまでも「美談」であり、「レアケース」なのかもしれません。
 それでも、僕はこれを読みながら、子どもたちの「潜在的な優しさ」みたいなものを、もうちょっと信じてあげるべきじゃないかな、と思ったのです。


 乙武さんが、息子の夜泣きに困り果てて、「六甲おろし」を歌ってあげていた、というのを読んで、僕は知っているアニメソングを片っ端から歌っていたなあ、なんて共感したり、受験のときのトイレを心配したお父さんが、自分で「ある実験」をして、乙武さんを説得しようとしたのを読んで、自分の親のことを思い出したり。
 

 愛されないのは、愛そうとしないからなのかもしれない。
 助けてもらえないのは、助けようとしないからなのかもしれない。
 ただ、自分で気づこうとしないだけで、人間って、たぶん、いろんな人に、愛されたり、助けられたりしながら生きているのですよね。
 なんでも「自己責任」だというのではなく、もっと、自分や他人の「助けてあげたい気持ち」みたいなものを、信頼してみても良いのかな。
 子どもの「自分で成長しようとする力」も。


 この新書、読みながら何度か涙が出てきてしまって困りました。
 お涙頂戴、ってわけじゃなくて、「ああ、人間ってけっこう強いな、しぶといな」って、嬉しくなって。

 乙武さんのように、幸せそうに生きている人もいるーー。
 出生前診断により胎児に障害があるとわかっても、僕の生きる姿から「生む」決断をしてくださる方が少しでも増えるようなことがあれば、これ以上のよろこびはない。もちろん、僕のような身体障害と、知的障害を始めとするさまざまな障害をならべて同様に議論することはできない。また、経済的な負担についても、考慮に入れる必要があるだろう。それでも、僕の存在がみなさんにとって考えるきっかけになればと願っている。

 正直、僕には「だから生んだほうがいいですよ」と言い切る勇気はありません。
 乙武さんも、たぶんそうなのだと思う。
 それでも、たしかにこの乙武さんの体験と言葉は、乙武さん自身も完璧な人間や「聖人」ではないだけに、「考えるきっかけ」になるはずです。

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