琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「日本の読者が、あまりに変」なの?

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070113

 最初に書いておきますが、僕は村上春樹ファンなので、あまり「公正な視点」ではないかもしれません。

 僕がはじめて村上春樹さんを読んだのは、『ノルウェイの森』だったのですが、当時「純愛小説」としてもてはやされていたこの作品を高校生の僕が読んだ印象としては、「こんなにエロい小説が、大ベストセラーになるのか?」ということでした。ワタナベは常に「寝る」ことによって問題を解決しようとしているしね。そういえば、『国境の南、太陽の西』もそうだな。村上春樹が一般的に「文学」として認知されるようになってしまったのは最近のノーベル賞騒動の影響が大きくて、それまでは、村上春樹好きというのは、「ちょっと変わった、世間に馴染めない不思議ちゃん」みたいな人が多数派だったのに。「これはポルノじゃないのか?」という見解について、僕自身は「たぶん、ポルノだと思う」のですが、逆に言えば、村上春樹という作家は、ある種「高尚なエロ本」として「文化人」に読まれてきたとも言えるし、これが認知されるほど、世の中そのものが「ポルノ的」なのではないかという気がするのです。そして、村上作品が世界中で受け入れられているというのは、村上春樹が提示している(ポルノ的なものも含めての)「個人の内面の問題」は、世界共通のものなのだということなのでしょうね。

 まあ、基本的に日本というのは村上春樹に限らず、性描写に関して寛容(というか、「一般向け」と「成人向け」の区分けが曖昧)な国だと思うのですが、だからといって、「『紅楼夢』をポルノだと思わない中国人の読者は変」だと断定するのが暴挙のように、時代や国や宗教的背景などによって、「どこからがポルノなのか?」というのは変わってきますから、「これをポルノだと思わない日本の読者は変」だというのは、余計なお世話なのではないでしょうか。「海外から笑われる」からって、自主規制するようなものではないし、その一方で、訳者が「自分の国の読者の傾向」を判断して訳すときに多少のアレンジをするのも、それが商業出版であるかぎりは仕方ない面もあるのです。

世界中で村上春樹が読まれる時、人々は、川端や、ゲイシャ・ガールや『将軍』や『君よ憤怒の河を渉れ』のイメージに引きずられており、日本の女はこんな風に積極的にセックスを迫るものなのだと思って読んでいる者は確実に少なからずいる。日本人が気づいていないだけだ。

 という点に関しては、正直、世界中の現在の村上春樹の読者のなかには川端康成を読んだことがある人はそんなにいないだろうし、『将軍』『君よ憤怒の河を渉れ』を観たことがある人も、ごくわずかではないかと思います。いや、『ノルウェイの森』に関しては、「大人になったらこんなに簡単にセックスしちゃうものなのか……」と日本人である僕も驚いたんですけどね。実際は読んでから20年近く生きていますが「私もアレしたいと思ってた」なんて女性には一度も会ったことないけど。まあ、現代小説の登場人物って、みんなそんなもんじゃないかな、という気もします。じゃあ、『グレート・ギャッビー』を読んだ人が全員、「アメリカ人の夫婦というのは、こんなにみんな浮気ばっかりしているのか……」って思うのか?という話です。それに、世界基準からすれば、「日本の(現代の)女は、かなり積極的にセックスを語っている」と思いますよ実際のところ。

 ただ、僕自身ずっと疑問なのが、「現代の小説というのは、あまりにもセックスですべてを解決しようとしすぎているのではないだろうか?」ということなんですよね。島本理生さんの『ナラタージュ』なんてエロゲーのシナリオみたいだし、森絵都さんの直木賞受賞作の短編のなかにも、「仕事に行った先で、突然欲情して初対面の男と寝ちゃう女」が出てきます。クライマックスが性交のシーンなんて、あんまりにも安易だよなあ、と思うのだけれども、そういう小説ってけっこう多いですよね。ゆきずりで1回セックスしたくらいで、そんなに人生なんて変わらんだろ、と言いたくてしょうがないのです。いやしかし、それって僕の偏見とか、経験不足によるものなのでしょうか?

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