琥珀色の戯言

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星新一 一〇〇一話をつくった人 ☆☆☆☆☆

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

 これは本当に「労作」だと思います。最初に延々と星一の人生と星新一幼少時の話が語られるところなどは、正直「これをずっと読まされるのはツライな……」と感じたのですけど、読み進めていくうちに、どんどんページをめくるスピードが速まっていき、最後のほうは、「もうこれで終わりなのか……」という気持ちにすらなりました。
 しかし、読み終えて考えてみたのですけど、これだけの長い評伝を読んでも、「人間・星新一」の「本音」は、僕にはよくわかりませんでした。いや、この本の著者である最相葉月さんも「わからない」と感じ、「わからないことをわかったふりをせずに、そのまま書いた」のだと思います。ただ、これを読んで、「代表作のない超人気作家」というのはドラマにはなりにくいものなのだなあ、というのは感じたんですよね。もちろん、星新一さんには有名なショートショートがたくさんあって、この本では『ボッコちゃん』ができあがったときのエピソードなども取り上げられているのですが、ショートショートという作品の性質上、「『ボッコちゃん』完成をめぐる、星新一の創作の苦悩」みたいなのは長々とは書きようがないのです。それこそ、トルーマン・カポーティは『冷血』執筆にまつわるエピソードだけでも、1本の映画になってしまったのに。

 星新一という人にはものすごく才能も運もあったけれど、「俗世間的な執着心」みたいなものが少なかったように思えます。それは若い頃に父親の会社のことで「俗世間」に絶望してしまったからなのでしょう。作家としての晩年は1001篇のショートショートを書ききることにすべてを賭けて、結果的にそれを達成したのですが、最相さんは残酷にも「1001篇目のショートショートも『特別な作品』ではなかった」と断じておられます。それこそが、星新一という作家の「凄いところ」であり、「ドラマ性に欠ける作家人生の象徴」だったのかもしれません。でも、晩年は、「文学賞も世間的な名声も要らない」はずだった星さんが、「なんで僕には直木賞くれなかったんだろうなあ」と述懐していたという話を読むと、僕はなんだかとても悲しくなってしまいました。星新一ほど長い間読まれ、愛されている「直木賞作家」はほとんどいませんし、作品の「売り上げ」にしても、星さんを超える作家はごくごく少数でしょう。でも、晩年になって、あらためて自分には無いはずだった「世俗的な欲求」に気付いてしまうというのは、とても辛いことだろうなあ、と思います。

 実は、この本で最相さんが書きたかったのは、「星新一の生涯」だけではなく、「日本のSF小説の歴史」だったのではないかという気もするんですよね。逆に、「星新一の歴史を語ること」が「日本のSFの歴史を語ること」になっているのかもしれませんが。しかしながら、巨匠・星新一は、文壇からは「子供向け」などと黙殺され、仲間であったはずのSFの世界でも「大功労者」として「象徴」ではあり続けたものの、作品そのものは、小松左京さんや筒井康隆さんのような熱狂的な受け入れかたをされたわけではありません。小松さんは映画の原作や大阪万博への協力などで「社会的に認知」され、筒井さんは「純文学」に歩みよって(筒井さん自身にとっては、「SF」と「純文学」の垣根なんて、そもそも存在しなかったのかもしれませんが)数々の文学賞を受け、「文壇の大物」になっていきました。

 新一の筒井に対する感情があふれ出たのは、筒井が昭和62年に『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞を受賞し、さらに、井上靖吉行淳之介らが編集委員となった小学館の『昭和文学全集』シリーズに筒井の作品が選ばれることが決まり、新一には声がかからなかったときだった。筒井のパーティの二次会で、終始不機嫌に酒を飲んでいた新一は、有名人のおもしろい発言を集めた筒井の「諸家寸話」(「野生時代」昭和60年5月初出、『原始人』昭和62年9月刊所収)に言及し、筒井の妻もいる前でとうとう口にしてしまった。
「勝手に書きやがって……、人のこと書いて原稿料稼ぎやがって……」
 筒井が「諸家寸話」で紹介したのは、二人の間で交わされた次のようなやりとりだった。

貫禄

おれ「(星新一が原稿料の話ばかりするので)大作家ともあろうものが、あまり金の話をしてはいけません」

星新一「大作家だからこそ、平気で金の話ができるんです」

 新一の放言は筒井を刺激し、自筆や小説を含め多くの筒井作品に昇華されていた。発想の泉、とはそういう意味だ。「諸家寸話」以前にもいろいろな雑誌で新一のエピソードは書いてきた。筒井が3度の落選を経験した直木賞を揶揄した『大いなる助走』にも、新一とおぼしきSF作家が登場し、銀座の文壇バーで編集者相手に暴れる場面があるが、それとて新一は重々承知であり、筒井の描く星新一像は読者の想像力を刺激し、新一もまたそれをよしとしていた。
 だがそれも、自分が前を走っていてこそであった。

 この「晩年」の星さんと筒井さんのエピソードは、筒井フリークである僕にとっては、なんだかとても悲しい話でした。どちらが悪い、というわけでもなく(いや、悪いとすれば、勝手に書いた筒井さんのほうなんでしょうけど)、星さんは、結局自分が得られなかった「文壇的な評価」において、「星新一が少しずつ舗装していった道」を猛スピードで駆け上がっていった「スポーツカー」、筒井さんに対して、複雑な感情を抱かざるをえなかったのでしょう。 
 しかしながら、星新一という巨匠が「ショートショート」に集中し、1001篇も作品を書いてしまったばかりに、日本のショートショートという漁場は、「星新一という伝説の漁師が、すべて獲り尽くしてしまった」ような印象も受けるのです。ある意味、星新一という作家は「日本のショートショートをひとりではじめ、ひとりで終わらせてしまった人」なのかもしれません。星新一の作品群を読んで、「じゃあ自分もショートショートを書いて食べていこう」と思う人はいないのではないでしょうか。1作書き上げるごとに「似たような話が星さんの作品にあったんじゃないかな……」と不安になりそうですし。

 星新一という人を「知る」ためには、素晴らしい評伝だと思います。読みながら「この本を一冊書くのに、どれだけの時間と労力がかかったのだろうか……」と、ずっと考えていましたし。ただ、その一方で、星新一という作家自身は、「こんな評伝を読むくらいなら、自分の作品を読んでほしい」と願っているだろうな、とも僕は感じます。「書いた人の顔が見えない作品」を書き続けることが、星さんの矜持だったのでしょうから。

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