琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

オール・ザ・キングスメン ☆☆☆

内容紹介
権力が生んだ、男。
その力は正義なのか、悪なのかーー

【ストーリー】
実直で社会革命の理想に燃える役人のウィリーは、州知事選に立候補し、自分の貧しい生い立ちを語り、労働者や農民の立場に立った演説を続け見事、州知事となる。ところが絶大な権力を手に入れた彼は、忌み嫌っていたはずの汚職に手を染め、次々とスキャンダルにまみれてゆく…。

 この映画、新婚旅行でイタリアに行ったときに機内で上映されていて、「面白そうだな」と思ってはいたものの、狭い機内の小さな画面、疲れている状況で観るには「重過ぎる」作品だったので、結局観なかったんですよね。
 今回、DVD発売を機にようやく観ることができました。

 重厚なシナリオ、俳優達の熱演、僕の大好きな歴史ドラマ、権力の魔力にとらわれて、堕ちてゆく善良な理想主義者……
 すごく面白そうじゃないですか?

 ……しかしながら、観終わっての第一印象は「これ、飛行機の中で観てたら確実に寝てたな……」というものでした。
 「どこがダメなのか?」と問われたら、「うーん、別にものすごく悪いところがあるってわけじゃないんだけど……」と言葉に詰まってしまいそうではあるのですけど。
 僕がこの映画にのめりこめなかった最大の理由は、「日本とアメリカの文化の違い」にあるのかな、という気がします。
 ストーリー紹介では、ショーン・ペン演じるウィリーは、「実直で社会革命に燃える善良な役人」と説明されているのですが、僕が画面で観たウィリーは、最初のシーンから、「権力好きで神経質、かつ尊大な革命家」にしか見えないんですよね。たぶん、同じ内容のものを日本で作れば、絶対にウィリーは吉岡秀隆みたいな「ちょっと繊細で気弱そうに見える役者」が演じて、彼が権力を得るとともに、どう変わっていくのかを描こうとするはずです。
 でも、ショーン・ペンは、最初から「ああ、こいつは権力握ったら好き勝手やりそう」というニオイがプンプンしています。日本でいえば、佐藤浩一さん的な感じ。だから、ショーン・ペンがどんどん「黒く」なっていっても「まあ、この男が偉くなったら、そうなるだろうね」という妙な説得力があるのです。ゆえに「善良な人間が権力にとりつかれて堕ちていくという怖さ」が無い。
 しかも、この映画では、肝心の「どうしてウィリーは堕ちていったのか?」という説明がほとんどされていません。これって、僕にとっては、『スター・ウォーズ』で少年アナキンが、次のシーンでいきなりダース・ベイダーになってしまうようなものです。
「なぜそうなってしまったのか?」を描くのが、この映画の見どころだと思っていたのに、なんでこんな安っぽいギリシャ悲劇みたいになってしまったのか……
 そして、この映画を「理解」するには、アメリカの伝統的な「階層」について、ある程度知っている必要がありそうです。ウィリーの演説(たぶんヒトラーの演説を参考にしたんでしょうけど、参考にしすぎた感じ)が当時の農村の人々に響いたというのも、今の日本で生きている僕にとっては、あまり実感がわきませんしね。

 おそらく、アメリカの政治文化では、「政治家」というのは、どんなに「善良」であっても、Dr.コトーみたいな繊細なタイプではありえない、ということなのです。『銀河英雄伝説』をアメリカの作家が書いたとして、ラインハルト・フォン・ローエングラムは存在しても、ヤン・ウェンリーは「想像不可能なキャラクター」ではないでしょうか?

 いくつか印象的なシーンはあるのですが、この映画が日本であまり話題にならなかったのも、おそらく、「日本人には面白さが理解しにくい映画」だったからだと思われます。

 「力」を得なければ、「改革」はできない。でも、「正攻法」だけでは「力」は得られない。
 正しい「成果」のためには、その過程が間違っていても、致し方ないと言えるのか?

 「政治」というものが生まれてからずっと、「政治と人間」の間にある問題というのは、全く変わっていないのかもしれません。

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