琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「痛みに共感する」ということ


痛みを共感するのに痛みを経験する必要はない、とは思う- Say::So?

経験者は語るな経験者以外は語るな」と聞くことがあるけれども、それをいい始めると当事者以外は語れなくなる。全く同じ感覚を共有することはないだろう。経験することによって想像がしやすくなるというのはあるだろうが、あくまでも想像であって実体験ではない。であるならば、非経験者が想像によってその痛みを知ることができるのであれば、経験者よりも具体的にその痛みを感じ何をかを思うこともありうるのではないか。

僕の経験から語らせてもらうと、ある物事に対して、自分が「経験者」であることを理由に訳知り顔で「共感」を押し付けてくる人というのは、けっこう不快な場合が多かったです。
「俺の親父が死んだときには……」「私が恋人と別れたときには……」というような話をはじめる人というのは、「共感」したいわけじゃなくて、「自分を主張したい」だけなんですよね。いや、日頃の元気なときなら、こういう「慰めトーク」に付き合ってあげることもあるんだけど、こういう人たちは、僕が疲れ果てているときにかぎって、こういう「経験者としての話」を始めるのです。
そもそも、こういう人たちが語ることの多くは、彼ら自身の「経験」によって大きく偏ってしまっている場合が多いですし。

僕が大事な人を失ったとき、僕にいろんな人がいろんな言葉をかけていきました。
でも、その多くは、限りなく空虚であったり、僕を傷つけたりしたのです。

「本当に、かわいそうねえ……」(僕たちは、あなたに憐れまれるほど「かわいそう」なんかじゃない!)
「これからどうやって生活されるんですか?」(お前の知ったことか!援助してくれるつもりなのかよ!)
「君の将来にとって、いい経験になるよ」(それって、「プラス思考」なんですか?)

ほんとにねえ、何を言ってもダメなときってあるんじゃないかと思います。
僕はそのとき、自分を支えるために、全身全霊をかけて「揚げ足取り」をしていたのです。
今から考えると、「あの人たちも、何か言わなければならないと考えるあまり、言うべきではない言葉を口にしてしまった」のだということもわかるのですけど。
ただ、あのときの僕の記憶に残っているのは、「気の利いた『共感の言葉』を僕に言ってくれた人」ではなくて、「ただ、その場でお悔やみだけを述べて、一緒に泣いてくれた人」なんですよね。

確かに「共感」に実体験あるいは類似体験は必要ないかもしれないけれど、その一方で、たやすく「共感しました!」なんて言ってくる人を、僕は信用できません。「共感」って、本質的にものすごく言葉にしにくいものだと思うので。
だから僕は、「非経験者が想像によってその痛みを知ることができるのであれば、経験者よりも具体的にその痛みを感じ何をかを思うこともありうるのではないか」というのは、理屈としてはわかるけれども、そういう仮定を声高に主張されることには、なんだかものすごく抵抗があるのです。「近い経験」すらないのに、自分がその「痛み」を知っているなんて考えるのは、「傲慢」なのではないか?
そして、自分の「想像力」を、そんなに信頼できるのか?
「体験していないものは、それについて語るな」とか言い始めたら、「戦争体験者以外は、戦争反対の主張をしてはならない」という話になるのかもしれません。でもね、僕は正直、戦争を体験した人たちの「戦争反対」の主張に対して、「共鳴」することはできても、「共感」はできていないと思うのです。
あの光市の母子殺人事件で、被害者の夫であり父親である本村さんは「加害少年を死刑に!」と主張しています。僕は本村さんの姿を見て考えるのです。
この人が世間にアピールして求めているのは、自分の目的を達するための手段としての、多くの人の「共鳴」であって、自分が受けた心の痛みに対する「共感」ではないのだろうな、と。いや、求めていないというより、「共感」できる人なんていないという絶望を抱えて闘っているのではないか、と。

死を目の前にした知人に、どんな言葉をかけてあげますか?
↑は、武田鉄矢さんが『週刊プレイボーイ』の人生相談で答えておられたものなのですが、「言葉ですべてを解決しようとすること」の難しさがよくわかる話だと思います。

本当に苦しんでいる人は、「共感」なんて必要とはしていない。
彼ら、そして僕たちが必要としているのは、「私もそう思う」という「共感」ではなくて、「お前が何を言おうがやろうが、お前はそこにいていいんだ」「それでも私はあなたのことが好きだし、あなたの存在を認めている」という「受容」なのではないかなあ。

……僕のこんな考えも、「言葉」にしかできなくて、とてももどかしいものではあるのですけど。

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