琥珀色の戯言

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日本に徴兵制が必要?


徴兵制について考えてみた(by 朱雀式(2007/12/4))

これって真剣にリアクションして良いものなのかどうか、ちょっと悩ましいところではあるのですけど、朱雀さんが『フルメタル・ジャケット』を観て、本当に

短期間でもハートマン軍曹のような上官にしごかれ、「国防意識」の片鱗を若者に抱いてもらうのは、自衛隊が教育コストを背負い込む意義として少なくはない

と考えておられるのならば、「正気ですか……」と思わずにはいられません。いや、僕があの映画を観て感じたのは、「軍隊っていうのは、精鋭になればなるほど、基本的に『自分が所属している軍隊という組織そのもののため』にしか戦わないものなのではないか」ということだったので。軍隊って、訓練されて、「優秀な兵士」になっていくほど、「命令に忠実に従うマシーン」と化していくので、「家族のため」とか「国のため」というような「情緒的な戦う理由」って排除されていくものなんですよね。
 そもそも、徴兵されて軍隊生活を経験すれば立派な人間になれるのだったら、お隣の某K国の人たちはそんなに立派な人ばかりなのか、と。軍隊生活を送っても、オリンピック予選での紳士協定を守るようにはならないみたいですしね。まあ、そういうのは「個人の資質の問題」なのかもしれませんが。もちろん、そういう「規律に合わせなくてはならない生活」が、プラスになる面はあるだろうし、プラスになる人もいるとは思うのですよ。でも、僕はそれが、現在の社会が抱えている問題の解決の糸口になるとは考えられないのです。

自分自身に軍隊経験がない(そして、今からそれが導入されても徴兵されるはずがない立場の)東国原知事に、この内田樹先生の言葉をささげます(『疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫 う 17-2)』より)。

みんなが忘れているのは、戦後の奇跡的復興の事業をまず担ったのは、漱石が日本の未来を託したあの「坊ちゃん」や「三四郎」の世代だということです。この人たちは日清日露戦争と2つの世界大戦を生き延び、大恐慌辛亥革命ロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きたのです。

そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。

ぼくは1950年代は子どもでしたから、その世代の人たちのエートスをまだかすかに覚えています。小学校の先生や、父親たちの世代、つまりあの頃の3、40代の人はほとんどみな従軍経験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たちです。だから、「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな経験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎ出したもう一つの「夢」なのだと思います。

「夢」というと、なんだか何の現実的根拠もない妄想のように思われるかも知れませんが、「戦後民主主義」はそういうものではないと思います。

それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実的な経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっとよく分かっています。

人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、それくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。

戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。

明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言ってリアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。

はっきりしていることはその世代に比べると、戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。

基本的に戦後日本のぼくたちはまるっきり「甘く」育てられているのです。

人間は「忘れる生き物」だと言うけれど、実際に戦争をしてきた僕たちの前の世代の大部分の人は、「もう一度徴兵制を復活させよう」と僕たちには言い残しませんでした。そのことについて、僕たちはよく考えてみるべきなのではないかと。もちろん、北朝鮮と戦争にでもなれば、必要に迫られて徴兵制を復活せざるをえなくなるかもしれませんが、「軟弱な若者を鍛えるため」に軍隊生活が有益だとは思えません。そもそも、運動オンチである僕に言わせれば、スポーツっていうのも「強い人間がより自分の強さを磨くための場所」でしかないような気がするし。「運動能力弱者」にとっては、部活とか軍隊で育てられるのは、コンプレックスと世渡りのうまさだけだよ。

たぶん、若者がダメでいられる社会って、ものすごく幸福なんだと思います。もう、そんなヌルい時代にみんな飽きちまったのか?

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