「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題(ARTIFACT@ハテナ系(4/11))
↑のエントリは、さすがにちょっとあんまりだと思います。
id:kanoseさんのエントリでは、
それでも、僕がこうしてネットで発言しているのは、「専門家しか発言の資格が無いんだ」「素人は黙ってろ」というような排他性を超えられるのがネットの醍醐味だと思っているからなんですよ。
よく専門家や詳しい人がアドバイスなどをしても、こんな感じで「素人はだまってろというんですか!」と反撃する光景はよく見かけられる。
こんなふうに僕のコメントの一部が「引用」されているのですが、これは、コメント欄での以下のやりとりの一部です。ものすごく長い引用で申し訳ないのですが、このくらいが「文意が伝わるための必要最低限」だと思いましたので。だいたい、「それでも」のように、引用部の冒頭に指示語が含まれている場合には、「それ」が指しているものについてある程度情報提示をするべきではないでしょうか。
(ちなみに、以下は一部の抜粋で、コメント欄全文はこちらです。なるべく全部読んで判断していただいたほうが、話の流れは理解しやすいのではないかと。長いので読むのは大変だとは思いますが)
fujipon
2008/04/11 22:09
なかなかうまく伝わっていない人が多いみたいなので、補足しておきますね。
僕がこの「たとえ話」でいちばん言いたかったのは、
【(A)くどいですがもういちど書きますが、初心者マークつけてる車を追いかけまわすのは危険行為ですし、追い越し車線を40kmで走るのも重大な事故を起こしかねない危険行為です。緊急に回避すべきことです。
(B)それと比較して、ブログで主張することと、ソーシャルブックマークで主張することは「言葉で人の心を傷つける」という要素で言えばまったくの対等です。】この(A)と(B)は、個々に関しては正論だと思います。
でも、このotuneさんのコメントでは、(A)と(B)そのものは比較されていないんですよね。
僕は(B)の冒頭の「それと比較して」の「それ」が何なのか、よくわからなかったのです。
(B)の「ブログで主張することと、ソーシャルブックマークで主張することは「言葉で人の心を傷つける」という要素で言えばまったくの対等」ということには僕も納得できるのですが、
僕はその(A)と(B)の2つを比較をしてみていただきたかったのです。僕にとっては、(A)≒(B)なんですよ。
他人を意図的に傷つける行為と言う意味では、(A)と(B)は等価なのではないかと。
これに対しては、「(A)はダメだが(B)は問題ない」のか、「(A)も(B)も良くない行為だが、程度問題として(A)は許されない行為だけれども、(B)は許容範囲内」なのか(もちろん、(A)(B)それぞれの中にも、比較的穏健なものもあれば、酷いものもあるでしょう)、「(A)も(B)も問題ない」のか、どうなのかな、と。
たとえ話が悪かったようでうまく伝わらなかったのは大変申し訳ないのですが、この(A)と(B)は程度の差こそあれ、どちらも良くないことだと僕は考えています(実害を考えると、多くの場合、(A)のほうが迷惑度が高いとは思いますが)。あと、ついでに書いておきますが、このエントリで本当に言いたかったことは、「他人のエントリのブックマークに悪口・誹謗中傷を書いて嘲笑するような行為を、「ネットとはそういうものだからしょうがないだろ」と正当化する人々への憤りです。それは、ネットのせいじゃなくて(僕はこれでもネットが大好きなんですよ)、お前のマナー、人間性の問題だろ、と考えているのです。
ネットでは、実社会よりも簡単かつ少ないリスクで他人を誹謗中傷することができて、それは、中傷される側にとっては、中傷する側が想像している以上の大きなダメージになるのです。今回、otsuneさんに人格攻撃をしてしまったことについては、陳謝いたします。
実は、このエントリのブックマークコメント(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20080407%23p2)で【K-Ono そこはそれ、モヒカンの第一人者である大常さんがうまく解説してくれるんじゃないでしょうか。】というのを見た直後にotuneさんがコメントされたので、「モヒカンの代表みたいな面倒な人が呼ばれておせっかいにもやってきたなあ」と構えてしまっていた面もありました。ゆえに「言葉の端々に丁寧にこだわって揚げ足を取られて泥沼化するよりも、『ネガティブブックマーカーとは、誹謗中傷する相手の気持ちになれない人々』という「他人に対する優しさが欠如している人々という印象」を強調しようというのが、このコメント欄でのやりとりで僕が考えていたことだったのです。
だから、「無理筋な論理」に思われるのは当然なことで、僕は最初からotsuneさんが仰るところの「論理」につきあって「勝負」するつもりはありませんでした。基本的に、僕は自分のエントリに必要以上の「解説」を加えることを好みませんし、コメント欄で言葉の端々について揚げ足を取り合うのも嫌いです。
今回の件に関しては、「ここまで言わなければ(あるいは、言ってもまた全然違うところから揚げ足を取る人もいるでしょうね)」わかってもらえないのだろうか?とぐったりしてしまいました。ちなみに僕自身は、車の話は、「自分のマナーの問題を責められたときに、社会全体の話にすりかえてしまう人の例」として、そんなにおかしなものではないと今でも思っています。
あと、最初に悪口を言うのと、悪口言われて言い返すのとでは、やっぱり「違う」と思いますよ。「お前も悪口言ってるから同じだろ」っていうのは、あまりに横暴な話ではないかなあ。
otsune
2008/04/11 23:30
id:fujiponさんが等価だと思う事については私は関知する事も修正してほしいとも思っていません。
ただ、それが等価であると思っているid:fujiponさんの車社会への知識の薄さや、「初心者を煽るという重大な危険行為」を「ブログの主張とソーシャルブックマークのコメント主張におけるマナーの問題」と対等なことと軽く考えている無頓着さを指摘してるだけです。
車の危険行為を甘く見過ぎです。もしくはソーシャルブックマークの単なる主張と本当の脅迫行為・危険行為を混同しています。(たぶんソーシャルブックマーク批判を過剰にしたいがために後者側の混同をしちゃっているのだと思うので「id:fujiponさんは意図的に問題をすり替えているのか、周りが見えなくなっている」と書きました)あと「本当の意図はこれこれこうだ」と追加説明が出る事で誤解が薄れるのは誰にとっても望ましい事だと思います。
それが特に意図以外の読み取られ方をした言葉の解説であれば。今回の例で言えば「ああ、なるほど。このダイアリーのコメント欄を読めばブックマークでネガコメントを付ける=初心者の車を煽るという重大な危険行為だ……という事が言いたいのではなくて。単に社会への責任転嫁とマナーの話がしたかっただけで道交法とか車の危険性は良く知らないでうかつなたとえ話を書いたのね」ということが閲覧者にも理解出来ると思いますし。
ちなみに個人的なこの問題への感覚ですが「ネットには主張を対等に提示できる性質が有るよ」という現状認識の確認と、「ネットなんてそういう殺伐としたもんだよ。うけいれろ」という社会への責任転嫁は明確に区別して前者に誤爆しないように気をつけて批判する必要が有るよなぁ、と思っています。後者への批判が目的のはずなのに、前者のセキュリティ的な現状認識の言葉まで批判してしまう大雑把な議論がたまに出てくるよなぁと。
fujipon
2008/04/12 00:06
>otsuneさん誠実なお返事、ありがとうございました。
僕が最も困惑していたのは、この話が「たとえが間違っているかどうか」という点でばかり取り上げられて、そんなに読み取るのは難しくないはずの内容について考えてくれる人が少なかったことなのです。僕はたとえ話のない(あるいは、100%のたとえ話しか認められない)ネットって楽しくないので、これからもどんどん使っていくとは思いますが。【ただ、それが等価であると思っているid:fujiponさんの車社会への知識の薄さや、「初心者を煽るという重大な危険行為」を「ブログの主張とソーシャルブックマークのコメント主張におけるマナーの問題」と対等なことと軽く考えている無頓着さを指摘してるだけです。】
に関しては、正直僕としては、otsuneさんが僕に「車の危険行為を甘く見すぎ」であるのと仰っているのと同様に、僕としては、otsuneさんは「ソーシャルブックマークで集中的に誹謗中傷を浴びせられることへの恐怖」に関する知識・経験が乏しいのではないかと思うのですが。
otsuneさんが僕の価値観を否定されるのは勝手ですが、それも「あなたの価値観」でしかないあわけで。「軽く考えている」とか「無頓着な」「うかつな」っていう言い回しも、いかにも「印象を誘導しようとしている」あるいは、「相手を苛立たせようとしている」ように思えますしね。お怒りはわかりますが、そういうところは、できれば改善していただきたいものです。話の内容以前に、そういう人と話すことへの嫌悪感が先に立ってしまいますので。僕が「この人と『論理』で戦うのはイヤだな」と最初に考えたのは、そういうotsuneさんの「言葉の選びかた」にもあるということを申し添えておきます。「ブーメランしちゃってる」とかも、ちょっと一般的な会話では使われない言葉ですから、説明なしに仲間うち以外のブログのコメント欄で使うのは非礼ではないかと。最後の段落については僕も同意しますが、「並んでいる罵倒の言葉からは後者のようにしか読めないのに、言及されたら前者の意味だと主張する人」には正直辟易しています。そして、後者に対して批判しているにもかかわらず、「お前は前者を批判している!」と決め付けて誹謗中傷を投げつけてくる人たちにも(これはotsuneさんのことではありませんので念のため)。
otsune
2008/04/12 02:57
>僕の価値観を否定されるのは勝手ですが、それも「あなたの価値観」でしかないあわけで。えーと、すいません。それも改めて確認するまでもない「意見を主張するときの自由」なんじゃないでしょうか?
id:fujiponさんの車に関する価値感に同意する閲覧者だって(私の価値感からするとそういう人も迂闊で無知だとは相変わらず思いますが)おそらく存在するでしょうし。
わたしは出来る事なら「otsuneのその価値感はこれこれこういう説得力のある理由で現実的ではないよ」と誰かが価値感を変えてくれる「根拠」を提示してほしいよなぁと常日頃期待していたりもします。
つまり私の価値感とは食い違う人に取って「印象を誘導しようとしている」と見えるのは当然ですから、それをもって「言葉の選び方に嫌悪感を持つ」「改善」というのは不思議な優劣のある判断軸ですよね。
正直「威張るのは、そんなに気持ち良いのですか?」という言葉で締めくくったエントリーを書いた人と同じ人が書いた申し添えとは思えないほど混乱している気がするのですが。
もしかしてid:fujiponさんの「威張るのは、そんなに気持ち良いのですか?」は綺麗な言葉の選び方で、私の言葉の選び方だけは特別に非礼で改*善*というような優劣のある表現が必要なものでしょうか?
わたしは「ああ、他人にこういう言葉の選び方をする人であれば、自分にも同じような言葉の選択で指摘される事は覚悟しているだろう」と想定していたのですが、どうもそのあたりが非対称みたいですね。まぁ非対称な人がいるかもしれないが、同じような言葉の選択をすれば非礼でもなんでもないと思いますので、その申し添えはピンとこないということで流させていただきます。
otsune
2008/04/12 03:12
あとこれは確認なんですが
>「ソーシャルブックマークで集中的に誹謗中傷を浴びせられることへの恐怖」に関する知識・経験が乏しいのではないかと思うのですが。
id:fujiponさんはこう書かれましたが、過去から今までにソーシャルブックマークやネットにまつわる脅迫事件やストーカー行為と、それに対処した事業者や公的機関とは、どの程度経験が有りますでしょうか? そしてその当事者やシステム管理者やユーザーサポートの人たちからどのていど深い話を聴いた事が有りますか?
もしかしたら「道交法違反・脅迫と同等にたとえても構わないようなネットを舞台にした危険行為・脅迫行為」の想像が及ぶ範囲が、かなり事業者・公的機関・当事者よりも食い違っていたりしますか?
otsune
2008/04/12 03:12
あとこれは確認なんですが
>「ソーシャルブックマークで集中的に誹謗中傷を浴びせられることへの恐怖」に関する知識・経験が乏しいのではないかと思うのですが。
id:fujiponさんはこう書かれましたが、過去から今までにソーシャルブックマークやネットにまつわる脅迫事件やストーカー行為と、それに対処した事業者や公的機関とは、どの程度経験が有りますでしょうか? そしてその当事者やシステム管理者やユーザーサポートの人たちからどのていど深い話を聴いた事が有りますか?
もしかしたら「道交法違反・脅迫と同等にたとえても構わないようなネットを舞台にした危険行為・脅迫行為」の想像が及ぶ範囲が、かなり事業者・公的機関・当事者よりも食い違っていたりしますか?
fujipon
2008/04/12 06:33
いちおう、確認の部分にだけお答えしておきますが、お恥ずかしいことに、
【過去から今までにソーシャルブックマークやネットにまつわる脅迫事件やストーカー行為と、それに対処した事業者や公的機関とは、どの程度経験が有りますでしょうか? そしてその当事者やシステム管理者やユーザーサポートの人たちからどのていど深い話を聴いた事が有りますか?】
この件に関しては、僕自身とその周囲の人間の体験、あるいは書籍・報道などで見聞きしたり、知り合いのネット関係の仕事をしている人の聞いた程度の知識です。それでも、僕がこうしてネットで発言しているのは、「専門家しか発言の資格が無いんだ」「素人は黙ってろ」というような排他性を超えられるのがネットの醍醐味だと思っているからなんですよ。
だから、僕は僕なりに考えたことを誠実に書いているつもりです。
全く無価値な妄想だと思われるのなら、聞き流してくださればいいのです。
もちろん、「専門家が自分の専門について書く」ときには、それなりの「責任」がネット上でも伴うことは自覚していますし、僕はネットでは怖くて自分の専門の深い話はできません。そもそも、「専門家以外は黙ってろ!」みたいな話になれば、それこそ「ブロガーと等価な発言力」を持つはずのブックマーカーたちだって、みんな「沈黙」すべきなのではないですか?
otsuneさんは「標的」に比べて、「お仲間」に対してはものすごく甘いのではないですか?
僕は専門家以外の人間でも、それぞれのスタンスや考えで(他人を過剰に傷つけないようなマナーを守る前提で)発言できるのがネットの良さだと思うんですけどねえ。【もしかしたら「道交法違反・脅迫と同等にたとえても構わないようなネットを舞台にした危険行為・脅迫行為」の想像が及ぶ範囲が、かなり事業者・公的機関・当事者よりも食い違っていたりしますか?】
これは質問形式とみせかけて、「どうせ食い違ってるんだろ?」というotsuneさんお得意の表現みたいですけど、そもそも、ここでまたさんざん出尽くしたはずの「たとえ話の妥当性」の話を蒸し返してくるのは芸がないです。他に何か、揚げ足とるところはないんですか?
otsune
2008/04/12 11:51
>というような排他性を超えられるのがネットの醍醐味だと思っているからなんですよ。これにはまったく同意ですし、全知全能の神でもなければ何も主張出来なくなってしまいますから、的外れでも「AはBといっしょなんじゃないだろうか」とたとえ話をする事は自由だと思うんですよ。
だから私は再三コメントで「たとえ話の修正は求めない」と書いているんです。
ただ
>全く無価値な妄想だと思われるのなら、聞き流してくださればいいのです。それは完全におかしいです。
だったらblog書いた人も、そのblogのはてなブックマークコメントも聞き流せばいいのでは?
fujiponさんはこれこれこういう理由でこう主張した。otsuneはこういう理由でそれがおかしいと指摘した。
それを閲覧者や双方がどう評価するのかは各々の自由じゃないですか。なんで「聞き流せば良いのです」と急に言論を封印するような酷い表現が出てくるんでしょうか。私のさきほどの質問は
>この件に関しては、僕自身とその周囲の人間の体験、あるいは書籍・報道などで見聞きしたり、知り合いのネット関係の仕事をしている人の聞いた程度の知識です。
というfujiponさんの現場感覚を提示してもらって、私および閲覧者がたとえ話を等価だと思うのは妥当かどうかを計るのに最適だからと思ったからです。
ちなみに「専門家じゃない素人なら黙ってろ」というのは私が過去のwww.otsune.comのWeb日記でさんざん批判してる文化です。(SF者とWikipediaのスイングバイにまつわる項目の時にそういう事を書きました)
素人でも間違っていてもどんどん主張すべきです。それを修正していけばいいんですから。
ただその時に「お前こんな事も知らないのか」とか「おまえは劣っていて、おれは偉い」とか「こんな酷い事をするブックマーカーは卑劣な奴だ」とか「こんな不正確なたとえ話をしているんだから、他の主張自体がダメダメだ」みたいなお受験の脚の引っ張り合い的な優越感ゲームをしたい訳じゃないんですよ。
主張が正確で納得出来て説得力が有るかどうかだけに興味あるんですよ。(だってfujiponさんの揚げ足を取ったり持ち上げたりしても私にはなんの得にもなりませんよ?)
いや、これでも一部なので、本当は全部読んで判断していただきたいんですけど、このやりとりのなかでの、
それでも、僕がこうしてネットで発言しているのは、「専門家しか発言の資格が無いんだ」「素人は黙ってろ」というような排他性を超えられるのがネットの醍醐味だと思っているからなんですよ。
の部分だけがこんなふうに切り抜かれて、「専門家や詳しい人がアドバイスなどをしても、こんな感じで『素人はだまってろというんですか!』と反撃する光景」として紹介されるのってあまりに酷いですよね。せめて、この言葉の前のやりとりを読んでから判断していただきたい。このエントリの引用のしかた、東スポの見出しかと思いましたよ。東スポの場合は、「読者もそういうものだとわかっている」から良いのかもしれません。でも、id:kanoseさんのブログには「芸能マスコミ的な煽り記事」がけっこう含まれていることを知らない読者だって多いはずです。
「引用」していただくのは一向に構いませんが、もうちょっと、もとの文意に誠実な引用をしていただきたいのです。
どうも最近ようやくわかってきたのですが、僕が想定しているよりも「真意」というのは伝わりにくいみたいなので、もう一度詳しく書いておきます。
僕自身は、ネットで聞ける「素人の意見」って、すごく貴重だと思っているのですよ。
医療という仕事って、実は、「患者さんが本当はどう感じているのか」というのが、内部にいると非常にわかりにくい面があるんです。なかなか患者さんは「本音」を医者には言ってくれない面がありますから。人にもよりますが、やっぱり「悪口言ったりすると不利益があるのでは……」って構えてしまう人も多いのでしょうね。生命がかかっていると思うとなおさらそうなってしまうのもわかります。
ただ、そういう状況に対して、医療側にも「本当にわれわれの言葉は患者さんたちに伝わっているのだろうか?」という不安はあるのです。だからこそ、ネットで聞ける「素人(患者さん)の考え」というのは、すごく参考になります。あまりにも偏った意見や誹謗中傷には悲しくなりますが、「そういうふうに考えている人もいるのだ」と知ることは大切なことです。
もちろん、「専門家」としては、「似非科学に基づいた危険(あるいは無効な)治療」を他の患者さんに薦めるような人や意見」に関しては看過できませんし、そういったものに関しては、誤解を解く(あるいは、周囲に被害が広がらないようにする)ための行動を起こす場合もあります。ただ、それは「素人は黙ってろ」じゃなくて、「その治療は有効性が学術的に証明されていないので、専門家としては推奨できません」という形が望ましいでしょう。
「最先端の分子生物学の論文の妥当性」について、まったく勉強していない人が、いきなり科学的根拠のない、自前の「トンデモ新説」を唱えはじめたら、それはもう、「素人は黙ってろ」と一喝されてもしょうがないとは思います。
しかしながら、「病気と医学」いうのは、人類共通の「話題」であり「問題」なので、「病気の素人」なんていないはずですしね。
ただ、その問題への対処法について、専門的な知識の差があるのは事実なので、そこは、お互いに共通の目的に対して「協力」していかなければなりませんし、患者さんは医療の専門家をうまく「利用」していただければ良いのです。
「専門的な知識がない人」でも、ある種の問題に対して、その人なりに真摯に考えたり思ったりしたことを「発信」することには、けっこう意味があると思うんですよ。その発信の仕方が、不当に他者を誹謗中傷したり、「専門家のようにみせかけて、他者をミスリードしようとする」ものでなければ(※ここ重要です!試験に出ます!……って書かなければならないのは寂しい限りですが)。世論とか民意って、そういう「普通の人たちの感情の集積」みたいなものだと僕は思うので。
件のコメント欄でのやりとりに関しては、僕はotsuneさんに高圧的な言葉で(というのはあくまでもそのコメントを読んだ時点での僕の印象で、その後のotsuneさんのコメントでは、そういう「素人は黙ってろ」を明確に否定されていますので念のため)「素人は黙ってろ」と言われたように感じたのです(それに対しては、各自に直接otsuneさんの言葉を読んでいただき判断してもらうしかありませんが)。
それに対して、僕は肩書きを持っているような「専門家」や熱心な「研究家」ではないけれども、「車社会の問題」や「ブログのネガティブックマーク問題」というのは、「身近な問題」として「素人」である僕が語ることができる問題であると判断した、ということです。学問の世界の最先端の話題とは、性格が異なります。
今回のid;kanoseさんの手法って、ネットでさんざん批判されているはずの「大手メディアの偏向報道」と同じだと僕は感じています。どうか、閲覧者各位はこういうエントリの「見出し」に騙されないで、ちゃんと引用先の「一次資料」を当たっていただくようにお願いいたします。