琥珀色の戯言

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ハート・ロッカー ☆☆☆


映画『ハート・ロッカー』公式サイト

あらすじ: 2004年夏、イラクバグダッド郊外。アメリカ軍爆発物処理班・ブラボー中隊のリーダーに、ウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)が就任する。まるで死への恐怖などないかのように遂行されるジェームズの爆発物処理の様子に、仲間のサンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)らは不安を抱くようになり……。

2010年4本目の劇場鑑賞作品。
第82回アカデミー賞作品賞&監督賞含む6部門を受賞、あの『アバター』を破った作品として有名になった『ハート・ロッカー』。
受賞時には僕が住む県内では上映館がひとつもなかったのですが、この連休から家の近くの映画館でも急遽公開となったため、3連休最終日の22日の13時からの回を観てきました。
これが受賞効果というものなのか、お昼からの回にもかかわらず、老若男女幅広い層の80〜100人のお客さんがいて、かなりの賑わい。

「手持ちカメラでブレる映像」に酔ったのと、常に緊張にさらされる内容で、観ていてきつかったなあ……というのが、観終えての率直な印象。
その「緊張感の持続」も含めて、非常に素晴らしい映画ではあると思うんですよ。最初のほうは、観ているほうも、「ま、ここで爆発しちゃって主人公が死ぬわけないから大丈夫だろ」という気分ではあるんですが、それでも「爆弾の解体作業」というのは、見ていると心臓が押しつぶされるような感じがするのです。
それを「仕事」としてやっている爆発物処理班は、本当にすごいというか、信じられないというか。
もう、そのへんのイラク人で怪しい動きをしている連中は、みんな撃って「不安を排除する」ほうがいいんじゃないかとすら思えてくるのです。でも、実際はそういうわけにもいかない。
イラクの人々の感情にも配慮しつつ、なるべく静かに、そして、確実に爆弾を「処理」しなければなりません。

不謹慎ながら、観ていて、X68000の『ノスタルジア』というゲームのクライマックスの「爆弾解体シーン」で、失敗してゲームオーバーになりまくったことを何度も思い出しました。
爆弾というのは、仕掛ける側が「自分は死んでもいい」「周りの人を無差別に傷つけてもいい」という前提であれば、簡単に仕掛けられるのに、そのわりには、ノーダメージでそれを解除することが非常に難しい。
そして、爆弾は仕掛けられ続けるけれども、爆弾を処理する仕事は、敵兵を殺すよりも「英雄的」だとはみなされない。

こういう立場の兵士たちが、いまもイラクにいて、爆弾と向き合っている、という事実には、本当に観ていてつらくなってきます。


しかしながら、日本人である僕としては、アメリカ人たちが評価するほど、素直にこの「ハート・ロッカー」を観ることができないのもまた事実で、残酷な「人間爆弾」を作製するテロリストたちも、アメリカ軍が来なければ、こんなことをしなくてもすんだのだろうし、爆弾処理班たちがこれで英雄視されるのだとしたら、それは本当に、「正しい」ことなのでしょうか?

キャスリン・ビグロー監督は、「戦争の隠れた英雄」を賛美するためではなく、派手なドンパチが無くても、こんな厳しい戦場で戦わされている兵士たちがいること。そして、この戦争、占領政策、そして、壊れていく兵士たちの「真実」を多くのアメリカ国民に知らせたい」と思っているような気がするんですよ。
でも、残念ながら、この映画は、戦場がリアルすぎるために、アメリカ側の登場人物にばかり肩入れできてしまう作品でもあるのです。

ちなみに、この映画、アメリカ国内では、「アカデミー作品賞を受賞した作品としては、史上最低レベルの興行収入」だったのだとか。理由は「暗くて面白くないから」。
そりゃあ、爆発物処理班に感情移入して吐きそうになるよりは、ドラゴンに乗って飛び回って、「悪の侵略者」と戦うほうが気持ちいいだろうからなあ。

良い映画だと思います。でも、なんというか、「アカデミー賞は、やっぱりアメリカ人による、アメリカ映画のための賞なんだな」と感じざるをえなかったのも事実だし、たしかに、「面白くない映画」ではあるんですよね。

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