参考リンク(1):私たちに必要だったのは「ドラッカー」ではなく「もしドラ」だったのか: 304 Not Modified
映画も大ヒット(?)公開中の『もしドラ』。
僕は以前こんな感想(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら - 琥珀色の戯言)を書いているのですが、実は、ドラッカーの本のほうを今までまともに読んだことがなかったのです。
それで、とりあえず読んでみようと思い、買ってきたんですよこれ。
- 作者: ピーター・F・ドラッカー,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2001/12/14
- メディア: 単行本
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『もしドラ』のみなみが読んでいるのは、この本です!
そうかこの本なのか……
読み始めて30分後……そこには、『ドラッカー』に手こずりまくり、困惑している僕がいました。
いや、ぶっちゃけかなり難しいよドラッカー。
「『もしドラ』読むヒマがあったら、最初から『マネジメント』読んだほうが効率的」なんて言ったけど、こりゃ読みにくいよかなり。
つまるところ、マネジメントとは、事業上のリスクを負い、将来の活動に着手するうえで必要な利益の最低限度というものを知っておかなければならない。意思決定を行ううえで、この限度を知らなければならない。自らの意思決定について、政治家、マスコミ、社会に説明するためにも知らなければならない。しかるに、彼らが利益の必要性とその機能について無知であるかぎり、すなわち彼らが利潤動機なるものについて考え、かつ論じているかぎり、社会的責任について合理的な意思決定を行うことも、それを組織の内外に対して説明することもできない。
うーむ、日頃小説や新書がメインの僕にとっては、かなり難しいというか、わざと難しく書いているんじゃないかこれ、という感じなんです。
そう簡単に読めないし、読んでも意味わかんない。
具体例も少なく、かなり抽象的な話が多いし。
この本は一気読みするというよりは、教科書的に、少しずつみんなで読んでいくようなタイプの本なのかもしれません。
ただ、この本に対して弁護というか、僕なりに考えてみたのですが、基本的にドラッカーの『マネジメント』って、名前のとおり「マネージャー」のための本なんですよね。
ということは、「万人に対してわかりやすく書く」ことよりも、「マネージャーを目指す、気合いの入った連中は、このくらいの本を読みこなしてみろ!」というのが「本音」なのかもしれません。
糸井重里著『はたらきたい。』で、こんなエピソードが紹介されていました。
以前、ある雑誌で、社長さんや、それなりの肩書きのある人に百冊の本を挙げてもらう、というインタビューをやったんです。そこでいちばん多く挙がったのが「デカルト」でした。なかでも『方法序説』。原理的なものや、普遍的なものって、古ければ古いほど「使える」んですよ。 永江朗(書評家)
ドラッカーの『マネジメント』って、たぶん、「原理的なもの」「普遍的なもの」を目指して書かれているんですよ。
これは一種の「哲学書」。
こういった本は「わからないと投げ出すような人は、読む必要がない本」とも言えます。
ところが『もしドラ』は、
川島みなみが野球部のマネージャーになったのは、高校二年生の七月半ば、夏休み直前のことだった。
それは突然のことだった。ほんの少し前まで、みなみはまさか自分が野球部のマネージャーになるとは思っていなかった。それまでは、どこの部活にも所属していないただの女子高生にすぎなかった。野球部とは縁もゆかりもなかった。
こういう「具体例」として、『マネジメント』のエッセンスを抽出してみせたのです。
「そうよ! 『感動』よ! 顧客が野球部に求めていたものは『感動』だったのよ! それは、親も、先生も、学校も、都も、高野連も、全国のファンも、そして私たち部員も、みんなそう! みんな、野球部に『感動』を求めてるの!」
この思い切りのよさ!
いや、正直、柴田元幸さんには、こういう訳はできない(というかしない)と思うのです。
この本って、ニーチェの「超訳」みたいなもので、かなり「著者のかなり自由な解釈」だと僕は感じます。
「わかりやすい」けど、「わかりやすくなっている時点で、これはもうドラッカーの『マネジメント』とは別物なんじゃないか?」と。
でも、このくらい思い切ってわかりやすくしないと、たぶん、僕のような『マネジメント』を読みこなせない人間を取りこむのは難しかったはずです。
そういう意味では、まさに、「思い切りのよさの勝利」だったのでしょう。
これが本当に『マネジメント』なのかどうかはともかく、とりあえず『ドラッカーのエッセンスを学んだ」ような気分にはなれる。
そして、大部分の人は、その「気分」を手に入れただけで満足し、ドラッカーの『マネジメント』をパラパラとめくって、「まあ、『もしドラ』読んだからいいや」と棚に戻してしまう。
さて、『もしドラ』は、本当に「正しい」のか?
僕が『もしドラ』そして、『マネジメント』で、とても印象に残った、こんな文章があります。
これは、『もしドラ』では、主題になる言葉です。
マネジャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。
しかしながら、僕はこの「真摯さ」という言葉の意味が、『もしドラ』を読んでも、よくわかりませんでした。
友だちが死んでしまって悲しいのはわかるけれど、そこであっさり「もうやめた!」ってキレちゃうのが、「真摯さ」なの?って。
でも、↓を読むと、ドラッカーが言っていた「真摯さ」の意味が、少しだけわかりました。
参考リンク(2):もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら | AnyProjecTa! プロジェクト・マネジメントに関する情報ポータル
実は、英語で言うと、『integrity』という単語をドラッカーは使っている。
自分は原書で確認するまでは、和英辞典で『真摯さ』を引くと出てくる『sincerity』かと思っていたら違った。
英語が堪能な友人(Thanks! きむらくん)に聞いてみたところ、『integrity』と『sincerity』というのは明確に異なる言葉だということだった。
『integrity』は、目的があってその実現の為に内なる規範を保つ強さ、『sincerity』は目的云々関係なくただ素直というイメージであり、この二つをゴッチャに使うことはないそうだ。
なるほど!
僕も「真摯さ」=sincerityだと思っていたので、ちょっとしっくりこないところがあったのです。この『integrity』なら納得。
この言葉は、オシムさんがよく使う、ディシプリン(discipline)=「規律」に近いもののように僕には感じられます。
こういう言葉ひとつとっても、悩み始めるとキリがないんですよね。
しかし、『マネジメント』は、本当に難しい本です。
そりゃあ、『もしドラ』が売れるはずだよ。
でも、『マネジメント』は、そこまでして万人に読まれるべき本なのか?というのは、僕にはちょっと疑問ではあります。
というか、『もしドラ』って、材料がそろっている状態で、料理のしかたを教えてくれる本だからさ、基本的には。
実際は、材料をそろえるところから始めければいけないわけで。
ドラッカーの『マネジメント』を読んでみて、ようやく『もしドラ』が売れた理由がわかりました。
これを苦労して読むよりは、『もしドラ』読んで、「わかったような気分」になったほうが、ずっとラク。
『マネジメント』って、万人が読むべき本じゃないし、ドラッカーも「みんなのため」に書いたわけじゃないと思う。これは一種の「帝王学の本」であり「哲学書」。
さて、そんな本をこんなふうに「超訳」し、「わかりやすいドラッカーの入門書」として売ってしまうのは、果たして、「真摯」なのかどうか?
まあ、僕だって『もしドラ』読まなかったら、一生接することがない本だったとは思うのですけど。