- 作者: 山田 順
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/03/17
- メディア: 新書
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内容紹介
大手出版社に34年間勤め、電子出版に身を投じた編集者が、自らの体験を基に既成メディアの希望的観測を打ち砕く衝撃レポート。
内容(「BOOK」データベースより)
著者は2010年5月、34年間勤めた出版社を退社し、これまで培ってきた人脈をネットワーク化して電子出版のビジネスに手を染めてみて。そうしていま言えることは、「電子出版がつくる未来」は幻想にすぎず、既存メディアのクビを絞めるだけだと思うようになった。
「電子書籍」は、これからどうなっていくのか?
僕はいままで、「紙の本」から「電子書籍」へ、という流れは止められないと思っていたのですが、この新書を読んで、その「確信」が揺らいできました。
そもそも、電子書籍は「本」のままでいることができるのか?
この新書のなかで、村上龍さんの『歌うクジラ』の話が出てきます。
この『歌うクジラ』は、2010年7月に紙の本に先駆けて、電子版が発売されたことで話題になりました。
電子版(1500円)は、「iPad」向けのアプリとして発売されたのですが、坂本龍一さんの曲やアニメーションを含めたパッケージで販売されたこの作品は、「紙の本と同じ『本』」と言っていいのかどうか?
逆に、動画や音楽、フォントの変化などが自由自在にできるような状況下で、「言葉や文字だけで表現しなうてはならない」という「活字文化」は、変容せずにいられるでしょうか?
かつて、ゲームの世界で、文字だけの「テキストアドベンチャー」が衰退していったように、文字だけの「文学」が失われていく可能性もあるかもしれません。
この新書のなかで、『歌うクジラ』をめぐる、村上龍さんのこんな話が紹介されています。
村上氏は、メルマガでコストを公開している。
『歌うクジラ』では、音楽やアニメーションが入ったリッチコンテンツだったので、グリオの作業チームの人件費を別にして、プログラミングの委託実費が約150万かかりました。
坂本龍一へのアドバンスが50万、計200万円でした。ただし、わたしとグリオのスタッフの報酬は制作費として計上していません。
ということで、定価は1500円に設定。
現在10000ダウンロードを優に超えています。わたしもグリオも確かな手応えを得ました。
というので、仮に1万ダウンロードとして計算すると、1500万円の売上げにしかならない。このうち、プラットフォーム(アップル「iPad」など)が30%を持っていくとしたら、既存の出版社が外注費をかけて制作したら、収入は微々たるものか、あるいは赤字になる。
村上氏のような人気作家でもこうなら、それ以外の数多くの作家をかかえる出版社が、すべての作品を電子化できるだろうか?
村上氏はこうも書いている。電子書籍は、グーテンベルク以来の文字文化の革命であり、大きな可能性を持つフロンティアです。電子書籍の波を黒船にたとえて既得権益に閉じこもったりせずに、さまざまな利害関係者がともに積極的に関与し、読者に対し、紙書籍では不可能な付加価値の高い作品を提供することを目指したほうが合理的であり、出版、ひいては経済の活性化につながると考えます。
村上龍さんらしい「宣言」だと思います。
しかしながら、その一方で、これだけのコストが必要なのであれば、少なくとも新刊については、「電子書籍の普及によって、本が安くなる」かどうかは微妙ですし、「素人にとって『出版』のチャンスが広がる」ということもないのだろうな、という気がしてきます。
こんな付加価値が読者から要求されるようになれば、そこらへんの素人が書いた電子書籍が売れるとは思えませんし。
もしかしたら、いまのネット上のサイトのように「趣味として書いて、無料で読んでもらう本」と「村上龍さんのようなプロが、有料で売る、付加価値が高い本」に二極化していくかもしれません。
でも、いちばんの問題点は、「そもそも電子書籍は売れていない」ってことなんですよね。
売れているのは、「携帯電話のエロ系コンテンツ」だけ。
要するに「書店では買いにくい内容の本」しか、いまのところ売れていないのです。
もっとも、家庭用VTRの普及時のように、エロ系コンテンツが起爆剤になる可能性も否定はできないのですが、それにしても、「それ以外の電子書籍」の売り上げは、紙の本に遅れて出ているものばかりだとしても、惨憺たるものです。
2010年に電子書籍化された、池上彰さんの『伝える力』の電子版は約2万ダウンロード。岩崎夏海さんの『もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』が約9万ダウンロード。いずれも、紙の書籍の数十分の一しか売れていません。
ソフトバンクグループの電子雑誌販売サイトの「ビューン」は、月額料金を払えば、コンテンツ(『AERA』『エコノミスト』『毎日新聞』『PRESIDENT』など30以上の新聞、雑誌、テレビニュース)が見放題という画期的なサービスだったにもかかわらず、無料版のときに12万人に達した会員のうち、有料化しても残ったのは1万人以下。
電子書籍が売れないのは、kindleなどの電子ブックリーダーやiPhone,iPadがまだ普及していないためかもしれませんが、いまでも高性能の携帯電話は普及し尽くしているわけですし、そもそも、「プラットフォーム」として考えるのであれば、紙の書籍を読むために必要な「目」や「手」の普及率(もちろん、「目」や「手」を必要としない形態の書籍もあります)には、永久にかなわないでしょう。
「電子書籍が安い」といっても、kindleやiPadを買うための初期投資を考えると、仮に1冊あたり500円電子書籍のほうが安いとしても、1万円のハード代をとりかえすには、20冊の電子書籍を読まなければなりません。
……うーん、僕みたいにそれなりの量の本を読む人間にとっては、コストパフォーマンスは悪くないし、本の置き場に困ることもないしで、電子書籍は便利だとは思うのですが(その一方で、いまのところは「本」という物体を所有できないのは寂しい、という気持ちもあります)、電子書籍だからといって、本を読まない人は読まないだろうな、という気がするんですよ。
このブログのエントリも、スクロールしないと読めないくらいになると、すぐ「長すぎる!」って言われてしまうくらいだし。
電子書籍で広がると言われている「自費出版」の可能性も厳しい。
じつは、セルフパブリッシングでの成功は、万に一つのような確率でしか起こらない。メディアは成功例となると大げさに取り上げるが、その向こう側にある膨大な数の失敗例については報じない。
アメリカでは2009年に約50万タイトルの書籍が発行されている。このうち出版社から販売されたのは4割の約20万タイトルで、残りの約30万タイトルは自費出版である。つまりこのなかから1人のメジャーが出るとしたら、その確率は30万分の1だ。
セルフパブリッシングが進めば、自費出版の点数はさらに莫大になるが、プロ作家以外でセルフパブリッシングで成功している人間は、いまのところ、前述したカレン・マクエスチョンさんほか数人しか見当たらない。
このマクエスチョンさんにしても、インタビューでこう言っている。
「(私の本が売れたのは)1.99ドルという値段、アイキャッチする表紙。女性をターゲットにしたロマンチックコメディというライトなコンテンツだったから。それに、自分で書籍系のブログに頻繁に書き込みいをしたからでしょう」
つまり、値段を安くし、コンテンツの内容をわかりやすくしたうえ、自ら積極的に宣伝しなければ売れないのである。
アメリカには多くのセルフパブリッシング・サービスがある。なかでも有名な「Lulu」というオンデマンド印刷サービスは、PDF版の電子書籍配信も扱っているが、これがまったく売れていない。ほとんどの電子書籍が数十部単位の売上げしか上げておらず、これは紙の書籍の販売数から見ればケタが二つ以上違っている。
うーん、僕もiPhoneを使い始めて実感しているのですが、ネット上で、ダウンロードして何かを「買う」という行為は、けっこうハードルが高いものです。
iPhoneには、115円で買える面白いアプリがけっこうあるとはいえ、600円、あるいは1000円を超えるような価格のアプリの「評価」をみてみると、「高い!」というコメントが頻繁に出てきます。
昔はゲームセンターで、1回100円で遊んでいたような作品であっても、ユーザーは容赦がありません(操作性が悪かったりはするんですけどね、やっぱり)。
「無料」とか「安いもの」に慣れてしまうと、ユーザーの「イメージとしての適正価格」というのはここまで下落してしまうものかと考えずにはいられません。
そのうち、「無料でダウンロードできるけど、読んでいると広告が何分かおきに流れる電子書籍」なんてのが出るんじゃなかろうか。
個人的には、Googleがやっているような「現存する本をひたすらスキャンして電子書籍化する」という試みについては、著者の権益はさておき、人類全体の「文化の保存」という意味においては、とても有意義ではないかと思っています。
しかしながら、この新書で述べられているような「現実」をみると、「電子書籍の未来」は、まだまだ順風満帆とはいきそうにありません。
いちばんの問題点は、「とにかくネットで得られるものに対しては、お金を払いたがらない読者」なのかもしれません。
まあ、僕にとっては、それはそれで「本という存在の劇的な変化」に立ち会える時代に生まれることができて、ちょっと得した気分でもあるんですけどね。