内容紹介
これぞクソゲー完全カタログ!『超クソゲー』シリーズの衝撃をギュギュッと凝縮!
さらに新規書き下ろしレビューと開発者インタビューを加えて、
ファミコンからプレステまで、最高で最低なクソゲーを一挙収録!!そして待望のシリーズ最新刊
『超クソゲー3』は後日発売予定。震えて待て!!!!!!!!!!【特別企画】愛されるクソゲー『いっき』は、なぜオンラインで復活したか?
「クソゲーである部分は大事にしようと思いましたね。
パワーアップのはずの竹槍を取ったら逆に弱くなるとか」「意外としっかりしたゲームだ、という声もありますし、
やっぱりクソゲーだって声も同じぐらいありますね」「個人的には携帯型ゲーム機でプレイしたくて、
PS Vitaで『いっき』を展開できたらいいなと思ってます」
【第1章】ファミリーコンピュータ
【第2章】スーパーファミコン
【第3章】メガドライブ
【第4章】セガサターン
【第5章】プレイステーション
【特別企画】『燃えろ!!プロ野球』を創った男
「開発するには、ファミコンの解析をやらなくちゃいけない。
当時はコピーの技術が発達していましたから、
アングラな人たちを集めて、ファミコンを解析させたんです」「あの頃は、どんなソフトを出しても、20万本から始まるんです。
50万本はあっという間、そんな世界だったんです」「ちょうどホーナーが来日して、デビューした時期ですよ。
ホーナーを柱にしなきゃいけないなと思いましたね。
打球が飛びすぎちゃいましたけど(笑)」
ゲーム歴が長く、それだけに多くの「クソゲー」にも触れてきた僕にとっては、とても楽しめる一冊でした。
よく、「美味しい食べ物の話は、『あれ美味しかったね』で終わってしまうけれど、不味い食べ物の話はあれやこれやとすごく盛り上がる」って言いますよね。
ゲーマーにとっても、記憶に残っているのは、面白いゲームの名場面だけではなく、『ドラゴンクエスト2』の「ロンダルキアの洞窟の難しさ」とか、『デゼニランド』の理不尽な「アタッチする」のような「理不尽なところ」が多かったりもするわけです。
(『ドラゴンクエスト2』や『デゼニランド』は、「クソゲー」ではありませんが)
長年ゲームをやっていると、「なんなんだ、このクソゲーはっ!」と、フロッピーディスクやカセット、CD−ROMを投げつけたくなるようなゲームのひとつやふたつ、いや、10や20はやったことがあるはずです。
「ゲームの種類も、ゲームに関する情報が乏しかったファミコン初期」のほうが、ゲームの種類が増えて、情報誌やネットなどですぐに「評価」が広まってしまう現在よりも、みんな「クソゲー」で遊んでいた、というか、遊ばざるをえなかったんですよね。
元のアーケード版では、大量に登場する昆虫形の敵をバリバリ撃つシューティングゲームだったので、ファミコンへの移植は大丈夫なのかなと発売前は心配していたものです。
そして発売日を迎え、大量の昆虫をどうやって表示するのかをワクワクしながら見てみたら、なんと最初から処理落ちした状態でスタート! 敵が本格的に増えてファミコンの表示能力の限界に近付いてくれば、画面がフラッシュまでし始めます。
しかしファミコン版でのマニュアルでは、この現象を「敵のフラッシュ攻撃」として説明、あくまでも仕様ということにしてあります。
これを読んで、「あっ、『エグゼドエグゼス』だ!」と即答できる貴方は、この本を、きっと楽しめると思います。
僕のなかで、「ファミコン3大クソゲー」は、この『エグゼドエグゼス』と『ミシシッピー殺人事件』そして『バルトロン』です。
この『エグゼドエグゼス』は、当時のファミコン雑誌の大手「ファミマガ」を発行していた徳間書店がリリースしたゲームだったのですが、「ファミマガ」のなかで大々的に推されていたために、被害者が続出していたのをよく覚えています。
もちろん僕も、その被害者のひとりで、「何が『フラッシュ攻撃』だよ……目が痛くなる……」と、ひたすら嘆いていました。
考えてみれば、当時のゲームって、いまだったらネットで「未完成品だ、金返せ!」という運動が起こりそうなものが濫発されていたにもかかわらず、「乗せられて買ってしまったほうが悪い」と、みんな諦めていたんですよね。
それだけみんな、ゲームに飢えていた時代でもあったのでしょう。
この本で採り上げられている『バンゲリングベイ』はクソゲーなのか?という問いも、なかなか興味深いところです。
激烈に難しかったのは、間違いないけれど。
この本を読んでいて感じるのは、スーパーファミコン、サターン、プレステと時代が新しくなるにつれ、「クソゲー」というのは「画一化」してきたということです。
いわゆる「洋ゲー」の残酷描写や理不尽な難易度、あるいは芸能人などを使ったキャラクターゲームなどの格闘技系や横スクロールアクションの「同じようなクソゲー」の紹介が続くので、この本の後半は読んでいて、けっこうダレてくるんですよね。
あわてずに、毎日少しずつ読めば良いのでしょうが。
そして、そのゲーム自体も、「これがオリジナリティだ!」と、クリエイターが勘違いして「万人向け」につくってしまったような昔のゲームに比べて、最初から「そういうゲームが好きな好事家」を狙っているようで、僕としては、あまり親しみを感じられないのです。「クソゲーを狙ってつくられたクソゲー」は、なんだか面白くない。
たとえば眼に見えない敵を音を手がかりに倒すという、開発者様の他は面白さの理解が困難なゲームを5000円で買ったとしましょう。
俺たちクソゲーハンターは、ゲーム本編の価値を1000円、パッケージの豪華さに2000円、けなし代2000円と本能的に考えています。
それでも、当時、あの人はまさに「カリスマ」であり、ゲームショウでいきなりプレステ陣営からセガサターン陣営への「寝返り」を発表したときには、セガフリークだった僕は「カッコいい!」と狂喜したものです。
いまから考えると、あれはまさに、多くのセガファンを巻きこんだ、「壮大な勘違い」だったような気がするのですが……
いやーあの『○○○ー・○○』は、本当に酷かったなあ、というか、アイディアはさておき、「こんな難しいこと、人間にできるか!」って感じだった……
しかしながら、あのときはガッカリさせられたけれど、これもまた、ゲーマー人生の良い思い出のひとつではあります。
あと、『イブ・ザ・ロストワン』のこんな話には笑ってしまいました。
あと忘れちゃいけないのが、おまけのエキストラディスク。
池田”シャア”秀一さんや小林”次元”清志さんを始め、テレビアニメよりも豪華な声優陣が計23人も出演してるんですが、一人ひとりに6つもの質問をぶつけています。セリフが多い人はともかく、2〜3回しか出番のなかった中原茂さんのインタビューが、良い味出しまくりです。
Q:「演じていて一番心に残ったセリフは何ですか?」
A:「こんばんはです」
ベテラン声優をこんなふうに使えたバブリーな時代が懐かしいですネ。
ゲーム業界にとって「良い時代」のエピソード。中原さんは災難だったでしょうけど。
この本を読んでいると、「クソゲー」というのは、昔は技術的な未熟さとか、お客を勘違いさせて一山当てようとしたものとか、作り手の「思想」が暴走してしまったものとか、さまざまなバリエーションがあったのが、しだいに「一部の『そういう世界が好きな人たち』を最初から狙った作品」が多くなってきているということが伝わってきます。
それは、ゲーム業界の「成熟」であるのと同時に、「いきなり『スーパーマリオブラザーズ』を引き当てたときの喜び」が失われることでもあったのです。
いまは、発売日前から、「面白いゲーム」と「つまらないゲーム」は「格付け」されている時代だから。
この感想を読んで、興味を持たれた方は、読んでみて損はしないと思います。
クソゲーで遊ぶのはあんなにつまらないのに、クソゲーを語るのは、なんでこんなに面白いのだろう?