琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

銃・病原菌・鉄 ☆☆☆☆☆


内容紹介
なぜ人類は五つの大陸で異なる発展をとげたのか。分子生物学から言語学に至るまでの最新の知見を編み上げて人類史の壮大な謎に挑む。ピュリッツァー賞受賞作。識者が選ぶ朝日新聞ゼロ年代の50冊”(2000年から2009年の10年間に出版された本)堂々の第1位に選ばれた名著中の名著、遂に文庫化。


内容(「BOOK」データベースより)
アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか。なぜ、その逆は起こらなかったのか。現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは。1万3000年にわたる人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を、進化生物学、生物地理学、文化人類学言語学など、広範な最新知見を縦横に駆使して解き明かす。ピュリッツァー賞、国際コスモス賞朝日新聞ゼロ年代の50冊」第1位を受賞した名著、待望の文庫化。


この本、2000年に単行本が出たときにかなり話題となり、僕も買った記憶があります。
ところが、読んだ記憶はなかった、というか、積みっぱなしでどこかへ行ってしまって……
今回、文庫化を契機に、ついに読みとおすことができました。


プロローグで、著者は、ニューギニアの政治家「ヤリ」さんからの、こんな問いかけを提示します。

 白人の入植者の多くは、ニューギニア人を「原始的」だと、あからさまに見下した。1972年当時においても、もっとも無能な白人の「ご主人さま」でもニューギニア人よりはるかに生活水準は高く、ヤリのようなニューギニアのカリスマ的な政治家より暮らし向きがよかった。そのヤリは、私をふくめた白人たちを質問攻めにしていた。私もまたニューギニア人にあれこれ質問した。そしてヤリも私も、平均的なニューギニア人が平均的な白人に頭のよさでけっして劣っていないことを百も承知していた。ヤリが瞳を輝かせながら鋭く質問したとき、彼はこうした事情がよくわかっていたにちがいない。彼はこう尋ねたのだ。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。それは単純な質問だったが、核心をつく質問でもあった。平均的なニューギニア人の生活と平均的な欧米人の生活とには、依然として非常に大きな格差がある。このような格差は、世界のほかの地域でも見られる。これほど大きな不均衡が生まれるには、それなりの明確な要因があってしかるべきだろう。

この本、現代を生きている僕にとっては「あたりまえにここにある」ことに、あらためて疑問をもち、「なぜそうなったか?」と丁寧に考えようとしているのが非常に面白いのです。
僕なりに内容を短くまとめてしまうと、

 人間の能力に人種差はない。より東西に広い(緯度に差がない)陸地という環境が、ユーラシア大陸の住人の「文明化」に有利にはたらいた。

これだけの話、なんですけどね。


でも、この結論に至るまでのディテールが、すごく面白い。
その一例として、第9章では「なぜシマウマは家畜にならなかったのか?」という疑問が設定されています。


著者によると、家畜化の候補となりうる、陸生の大型草食動物(大型:体重100ポンド(≒45kg)以上と定義)は、地球上に148種類いるそうなのですが、そのうち人類の歴史で実際に家畜化されたのは14種だけなのだそうです。

 これら「由緒ある14種」のうち、限定された地域だけで重要な存在となったのは、ヒトコブラクダフタコブラクダ、(同じ原種から分岐した)ラマ/アルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤルの9種である。「由緒ある14種」のうち、世界各地に広がり、重要な存在となったのは、牛、羊、山羊、豚、馬の「メジャーな5種」である。

これだけたくさんの「候補」がいたなかで、なぜ、この「5種」だけだったのか?
言われてみれば、確かに疑問ですよね。
ライオンやトラは(肉食ですし)ムリでも、なぜ、シマウマや鹿は選ばれなかったのか?


著者は、この疑問に、さまざまな動物の性質や分布地域など、そして、「メジャーな5種」の経時的な広まりをもとに、答えようとしています。
「家畜化されなかった6つの理由」という項があるのですが、そこでは、「餌の問題」「成長速度の問題」「繁殖上の問題」「気性の問題」「パニックになりやすい性格の問題」「序列性のある集団を形成しない問題」が挙げられています。

 オナガーより気性が家畜化に向いていないのが、アフリカに生息している四種類のシマウマである。彼らを荷車につなぐことができたというのが、家畜化の試みにおいてもっとも成功した例である。シマウマに荷車を引かせることは、19世紀の南アフリカで何度も試みられている。また、変わり者のウォルター・ロスチャイルド卿が、ロンドンの町をシマウマに引かせた馬車で走りまわったこともあった。しかし、シマウマは歳をとるにつれ、どうしようもなく気性が荒くなり危険になる(馬のなかに気性の荒いものがいることは否定しないが、シマウマとオナガーは、種全体がそうなのである)。シマウマにはいったん人に噛みついたら絶対に離さないという不快な習性があり、毎年シマウマに噛みつかれて怪我をする動物監視員は、トラに噛みつかれる者よりもずっと多い。また、シマウマを投げ縄で捕まえることはほとんど不可能に近い。投げ縄が飛んでくると、ひょいと頭を下げてよけてしまうのだ。ロデオ大会の投げ縄部門で優勝したカウボーイでさえ、投げ縄でシマウマを捕まえることはほとんどできないという。

シマウマとウマなんて、似たようなものなのだろうと僕は思っていました。
なのに、なぜシマウマは家畜化されなかったのか?
これを読むと、シマウマというのはウマよりもはるかに「飼いならしにくい動物」であることがわかります。
こういう「個々の事例についての蘊蓄話」が、すごく豊富でわかりやすいのも、この本の特徴です。
そこが、読んでいて面白いところでもあるんですよね。


これを読んでいて、僕はあらためて「文明が衝突した瞬間」のことを考えさせられました。

 ヨーロッパとアメリカ先住民との関係におけるもっとも劇的な瞬間は、1532年11月16日にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会ったときである。アタワルパは、アメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。対するピサロは、ヨーロッパ最強の君主国であった神聖ローマ帝国カール5世の世界を代表していた(皇帝カール5世は、スペイン王カルロス1世としても知られている)。そのときピサロは、168人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内であり、地域住民のこともまったくわかっていなかった。いちばん近いスペイン人居留地パナマ)から南方1000マイル(約1600キロ)のところにいて、タイミングよく援軍を求めることもできない状況にあった。一方、アタワルパは何百万の臣民を従える帝国の中心にいて、他のインディアン(インディオ)相手につい最近勝利したばかりの8万の兵士によって護られていた。それにもかかわらず、ピサロは、アタワルパと目をあわせたほんの数分後に彼を捕らえていた。そして、その後の8か月間、アタワルパを人質に身代金交渉をおこない、彼の解放を餌に世界最高額の身代金をせしめている。しかもピサロは、縦22フィート、横17フィート、高さ8フィートの部屋を満たすほどの黄金をインディオたちに運ばせたあと、約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまった。

このピサロによるインカ帝国征服の話、歴史の教科書には載っていたのですが、当時の僕の印象としては、「ああ、未開のインカ帝国が、ヨーロッパの文明の前にあっさりやられてしまったんだなあ。ま、そりゃそうだろうな」というくらいのものでした。
ピサロが勝ったことに(というか、ヨーロッパ側が勝ったことに)、何の疑問も持たずに。
でも、この本を読んで、あらためて考えてみると、まさにこれは「人類史上最大ともいえる、歴史の転換点」だったんですね。
この本では、その「2つの文明の衝突」と、「ピサロ(ヨーロッパ側)が勝った要因」が語られています。
「馬と武器(銃器よりもむしろ鉄製の武器)の差が大きかった、と著者は分析しています。
ちなみに、インカ帝国は馬を持たず、武器は棍棒だったそうです。
それにしても、168人対8万というのは、いくら兵器に差があっても、どうにかなりそうな気もするのですが……


いずれにしても、その「征服」は近い時期に行われたとは思いますが、ピサロの勝利には、双方の文明が辿ってきた道のりと、そのとき、持っているものの差が大きかったのです。


この本に書かれていることのすべてが「正解」なのかどうか、僕にはわかりませんし、これはあくまでも「仮説」ではあるのでしょう。
というか、タイムマシンでもつくられないかぎり、これを証明することはできないはず。
それでも、この本で展開されている「なぜ、いまの世界は、こうなったのか?」についての大胆な推論と数々の蘊蓄は、読んでいてとても刺激的なものでした。
10年以上前に出された本なのに、全然古い感じもしませんでした。


ところで、Amazonのレビューをみていたら、この『銃・病原菌・鉄』には、2005年に「日本について」の章が増補されていたそうです。
しかしながら、今回の文庫化の際に、その章が追加されることはありませんでした。


参考リンク:『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章(ジャレド・ダイアモンド著、山形浩生訳)


ここで山形さんが翻訳されているのを読んでみると、日本人の反発を招くような内容が含まれているようなのですが……
でも、だからといって、「見てみぬフリをする」っていうのもどうかとは思うんですよね。
良書だけに、この件は残念です。
もしかしたら、他国の人も、これまで、ここに書かれている内容に憤ってきたのかもしれませんけど。


「ものすごく読みやすい」という本ではありませんが、「人類史を想像してみる、贅沢な時間」をもたらしてくれます。
焦らず、じっくり読んで、蘊蓄話に耳を傾けてみてください。

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