琥珀色の戯言

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硝子のハンマー ☆☆☆☆


硝子のハンマー (角川文庫 き 28-2)

硝子のハンマー (角川文庫 き 28-2)

内容(「BOOK」データベースより)
日曜の昼下がり、株式上場を目前に、出社を余儀なくされた介護会社の役員たち。エレベーターには暗証番号、廊下には監視カメラ、有人のフロア。厳重なセキュリティ網を破り、自室で社長は撲殺された。凶器は。殺害方法は。すべてが不明のまま、逮捕されたのは、続き扉の向こうで仮眠をとっていた専務・久永だった。青砥純子は、弁護を担当することになった久永の無実を信じ、密室の謎を解くべく、防犯コンサルタント榎本径の許を訪れるが―。


 いまの月9ドラマ『鍵のかかった部屋』の原作は、貴志祐介さんのこのシリーズだったんですね。
 この『硝子のハンマー』単行本が出た当時から、『このミステリーがすごい』などでけっこう話題になっていたのですが、あまりの分厚さと、「密室トリックなんて、なんかちょっと古めかしいなあ」という気がして未読だったのです。
 今回は文庫を読んだのですが、巻末の対談も含めて、600ページをこえる分厚さ。いやほんと、読むのも大変でしたが、書くほうもよく書いたなあ、と。
 探偵役が「これが真相か!」と気づいてから、「もうひとつのドラマ」がはじまるのですが、そこからもかなりのボリュームで、「小説のなかに、もうひとつの小説が入っている」ようなつくりになっています。
 面白いし、トリックも、まさにパズルのようで、「読者が推理する」というより、「目の前で複雑な建物が組み立てられていくのを呆然とみている」ような気分になってくるのです。
 『謎解きはディナーのあとで』のように、「トリックを知ってみると、これは自分でも、もっとちゃんと読んでいれば解けたんじゃないか?」と思うような「読者挑戦型」とは一線を画した、まさに「硬派のミステリ」。


 いまは、携帯電話やネットが普及していますから、「密室」というのは、本当につくりにくい世界だと思います
 それこそ、『かまいたちの夜』みたいに、「雪山に閉じ込められ、外は吹雪で携帯の電波は届かず、電話線も切断されていて……」というような、かなりわざとらしい状況をつくらないと、「密室」にはならない。


 ところが、この作品では、逆転の発想で「密室」をつくりあげています。
 その場に入ることは可能でも、張り巡らせた「セキュリティの隙間」をついて、「痕跡を残さずに潜入する」ことは難しい。
 逆に、そういうシステムが存在する場所では、監視カメラに映っていなかったり、警備員に発見されていなければ、「そこには人が侵入していなかった」とみんな考えるはずです。

「でも……オートロックの過信は禁物ですよ。古い型だと、紙を一枚挟み、センサーを遮るだけで、開いてしまうものもあります。そうでなくても、日中の侵入は簡単です。住人の出入りに紛れて入って来られますし、どこか適当な部屋をインターフォンで呼んで、宅配便やガスの検針を装って、開けてもらえばいいんですから。オートロックは、暗証番号式ですか?」
「いいえ、鍵ですけど……」
「まだ、そのほうがベターですね。暗証番号は、すでに、泥棒の間で情報がやりとりされているかもしれません。年月が経つと、特定のボタンが汚れてきますから、番号の見当もつけやすくなります。しかし、鍵だとしても、すでに合い鍵が出回っている可能性もありますし、さっきの方法以外にも、早い話が、ピッキングでも開くわけです」
 純子は、だんだん不安になってきた。
「いったん、建物の中に侵入を許してしまえば、泥棒はターゲットになる部屋を自由に物色できます。さらに危険なのは、ここから屋上への侵出を許すことです。屋上からロープで降下すれば、ほとんどの部屋のベランダや窓にアクセスできますし、最上階ならロープも要らない場合もあります。ふだん、屋上へは自由に上がれるようになっていますか?」
「いいえ。いつもは鍵がかかってると思います。……だけど、その鍵も、ピックングなどで開けられますよね?」
「ええ、屋上への鍵は、どこも適当なものしか付いてませんから。まあ、そのあたりは、大家さんと交渉するしかないですね」

 この小説を読んでいると、貴志さんの「ディテールへのこだわり」に驚かされるんですよね。
 僕たちは、セキュリティというのものを、あまりに楽観的に考えすぎているのだろうな、と、読んでいて暗澹たる気持ちにさせられます。
 本当に切実に侵入しようという人間が入り込めないようなセキュリティは、この世界にほほとんど存在しないのです。
 もちろん、何も対策をとっていないよりは、はるかにマシではありますし、大部分の人間は、そこまでして誰かに侵入される理由がない、というのも事実なんですけど。
 主人公・榎本径の「防犯、そしてセキュリティ破りのテクニック」を読むと、怖くなってしまいます。


 正直、「すごいトリック」というよりは、「ここまでして、パズルみたいなトリックをつくられても、なんかついていけないなあ」とも思うのですが、なかなかの力作です。
 「エリート」である弁護士・青砥純子への榎本の「複雑な感情」って、なんだかとってもリアルなんですよね(僕はテレビドラマで青砥先生を演じているのが戸田恵梨香さんだと、キャストのクレジットを見るまで気づきませんでした。戸田さんなんかちょっとイメージ変わったなあ)。
 そういうちょっとダークな面も含めて、登場人物の人間ドラマにも読みごたえがあります。
 まあでも、ちょっと長いよなあ。「驚くべきどんでん返し」があるわけでもないし。
 

「若者というのは、いつの時代でも、どうしようもない矛盾の塊よ。社会を変革できるほど爆発的なエネルギーを持っているのに、ひどく傷つきやすくて、大人なら耐えられるくらいの、ちょっとしたことで壊れてしまう。……まるで、ガラス細工の凶器みたいに」
「そうかもしれません。しかし、問題は、ガラスのハンマーであっても、人は撲殺できることです」
 榎本の声には、変化はなかった。
「殺される側からすれば、何の違いもありません」

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