琥珀色の戯言

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本音の沖縄問題 ☆☆☆☆


本音の沖縄問題 (講談社現代新書)

本音の沖縄問題 (講談社現代新書)

内容説明
1952年4月28日、対日講和条約発効、沖縄が日本から切り離され、米軍統治下に置かれることが決定、それから20年後の1972年5月15日、沖縄、日本復帰。
そして同時期、本土が大幅に減り続けた一方で、「復帰」した沖縄では、米軍基地の固定化、集中化が進む。その「代償」としての多額の補助金。それから40年、基地とカネをリンクしたシステムが完全に破綻しつつある沖縄で、いま何が起きているのか。大阪生まれの沖縄人2世で沖縄に移住して15年を数える著者が、沖縄でもなかなか語られてこなかった沖縄人の本音を交え、「沖縄問題」の真実に迫る。


 僕にとっての沖縄というのは、率直に言って、「海や水族館やソーキそばのリゾート地」なのです。
 もちろん、米軍基地や沖縄戦のことを知らないわけではないけれど、少なくともそれが「沖縄」で最初にイメージすることではありません。
 そういう「日本人」は少なくないはずですし、それはけっして「悪いこと」ではないはずです。
 しかしながら、返還後40年、普天間基地の移設問題などで、「基地の島としての沖縄」「日本のなかで、貧乏くじを引かされている地域」であるということも、あらためてクローズアップされてきています。

 その沖縄は今年(2012年)で復帰40年を迎える。
 地元の沖縄タイムス琉球放送が合同で実施した県民意識調査(2012年1月3日発表)によると、「復帰してよかった」と答えた県民は約9割に達している。「復帰してよくなかった」と答えた人はわずか2%でしかない。
 圧倒的といっていう肯定的な評価に驚かれる人も多いのではないか。
 周知のように、基地の移設をめぐって沖縄問題が深刻な争点になている。しかも、沖縄の負担をいっこうに理解しようとしない内地に対して、沖縄県民は不信の目を向けていることが繰り返し報道されている。
「復帰」対する評価はそれほど高くないのではないか、と考えるほうが素直な感覚といっていい。加えて日本復帰に際しては核兵器の持ち込みや、軍用地の復元費などをめぐって、さまざまな密約が日米両首脳の間でかわされていたことも明らかになっている。
 返還交渉の段階で沖縄はすでに裏切られていたわけだが、日本政府の沖縄に対する嘘やだましは二度や三度ではない。
 普天間基地移設問題では「最低でも県外」と明言した鳩山由紀夫首相が、「辺野古現行案」に回帰するという極めつきの公約違反までやってのけた。このときには「平成の琉球処分」という声まであがったぐらいで、県民にとって忘れられない日となった。
 にもかかわらず、県民のほとんどがその国家への帰属を肯定する回答を示したのである。どうにも理解に苦しんでしまうが、実のところ、「復帰してよかった」という回答は過去実施したどの世論調査をみても高い。
 NHKが実施している県民意識調査によれば、本土復帰の感想について「よかった」と答えた人は1982年の調査で63%、92年が81%、復帰して30年後の2002年が76%と、いずれも高率で推移している。
 一方の「よくなかった」は1982年が32%、92年が11%、2002年が13%ときわめて低率である。


 僕も民主党政権普天間基地移設問題での「迷走」は、情けないと思うのです。
 でも、その一方で、「じゃあ、自分が住んでいるところの近くに、基地をつくってもいいんじゃないか」とは思えない。
 以下のような「日本復帰前の沖縄の状況」を読むと、太平洋戦争で最大の激戦地のひとつとなり、その挙げ句に、こんな目に遭わされた沖縄の人たちが心に受けた傷は、あまりにも深すぎるもののはずです。

 周知のように、植民地状態に置かれた復帰前の軍政下では、女性に対する暴行事件が頻発し、殺害事件も発生しているが、被害は子どもにも及んでいる。
 代表的な例として、6歳の少女が米兵によって暴行・殺害された上に米軍のゴミ捨て場に捨てられた「由美子ちゃん事件(1955年)」、死者17名(うち児童11名)、負傷者212名(うち児童156名)の大惨事を引き起こした「宮森小学校米軍機墜落事件(1959年)など救いがたい事件・事故が発生しているが、1963年には沖縄が植民地以下の扱いをされたとしかいいようのない事件が起こっている。
 1963年2月28日午後4時半、那覇市の上山中学1年生の国場秀夫君が下校途中のみんなと青信号の横断歩道を渡っていたところを、猛スピードで突っ込んできた米軍のトラックにひき殺されたのである。
 現場には他の中学生や国場君のお姉さんもいて騒然としたが、米軍警察が国場君を取り囲み、近寄ることもできない状態になっていた。驚くべきことにそこにいた米兵は、何食わぬ顔でガムをかみ、なかには現場にガムを吐き捨てる米兵の姿もあったという。
 この一事をとってみても、米軍統治下時代に、沖縄の人々がどのような状況下におかれていたかということがわかるというものである。
 那覇市では各中学校の生徒たちが連帯して抗議集会が開催され、那覇市長も駆けつけるほど事件は大きくクローズアップされたが、5月1日に開かれた軍事裁判で、加害者の二等兵は無罪になった。無罪になった理由は「夕日がまぶしかったから」というものであった。

 カミュの『異邦人』かよ……
 と、不謹慎なツッコミを内心入れてしまうほど、現実離れした「無罪になった理由」です。
 ああ、「戦争に負けて、占領されるというのは、こういうことなのか……」と、暗澹たる気持ちになります。
 「ソ連じゃなくて、自由の国アメリカに『解放』してもらえてラッキーだった」なんて考えていた僕にとっては、戦後、こんなことが横行していたというのは、信じたくない話でした。
 沖縄の人たちにとっては、「日本に復帰できてよかった」というより、「アメリカの占領下より、はるかにマシだった」というのが「本音」なのかもしれません。
 だいたい、本当に戦況が厳しくなったとき、「占領」している国の人間のために、命を投げ出してくれる軍隊って、実在するのだろうか?


 この本は、沖縄の地元紙に連載されていたものが収録されているということで、本土のCMや旅番組で語られている「日なたの沖縄」ではない、現地の人たちが内輪で話しているような「本音」の一端を知ることができます。
 そして、沖縄について持っているイメージが、いかに現実とかけ離れているかというのも伝わってきます。

 われわれが沖縄のことを考えるとき、社会通念からまぬがれることは、どう用心しても難しいようである。たとえば、基地と闘う沖縄のイメージとは別に、沖縄は基地で食っているという「迷信」もそのひとつである。
 というと、「えっ? 迷信ではなく事実だろう」と、かたくなに信じようとしない人が少なくない。
 ここから、内地の圧倒的多数の人に以下のような論法がなんのためらいもなく生み出されることになる。
――沖縄は基地のおかげで生活している。基地からの被害は気の毒だが、生活の糧を基地から得ているのだから、基地を受け入れるべきではないのか――
 極私的な体験を語ると、僕が暮らしている那覇在住の友人で、基地収入で生活している人はまずいない。むろん、僕自身もそうである。他府県と同じように、多くは勤め人か商売人である。
 数字ですめすと以下にようになる。
 沖縄経済、すなわち県民総所得に占める基地関連収入は、1972年の「本土」復帰のときは15.5%を占めていたが、その後、割合は年をおって低下してきており、現在は5.2〜5.3%の水準で推移している。
 むろん、物価の上昇などで2008年には金額は約2.7倍になり、それなりの影響力はあるものの、実勢を示す数値はそれだけでしかないのだ。

 ちなみに、この5%のなかには、日本政府による公費負担(思いやり予算)、米軍が直接発注する工事を県内企業が受注したもの、軍人軍属家計消費、軍用地料などが含まれています。
 

 えっ?たった「5%」なの?
 「5%」というのは、たしかに、無視できない金額ではあります。
 いまの低成長時代で、5%の収入が失われたら、とりかえすのは困難でしょう。
 しかしながら、「基地がないと、沖縄は成り立たない」といえるほどの割合を占めているわけではないのです。
 基地がなくなって、人々がもっと安心して暮らせるようになるのなら、この「5%」とどちらを選ぶべきなのか?
 僕が沖縄に住んでいるとしたら、「基地よりも安心」だと思います。
 でも、本土に住んでいると、「もし沖縄から基地がなくなったら、その基地はどこに行くのか?」ということも考えてしまうのです。
 「沖縄にばかり基地が集中しているのは不公平だし、許されることではない」
 「沖縄から基地を移設すべきだ」
 「でも、自分が生活しているところの近くに、基地がやってくるなんて、とんでもない」
 みんながそう思っているのがいまの状態ですから、受け入れる場所がなく、「移設」なんてできるわけがありません。
 「なんとなく現状維持にしておくのが、いちばん無難なのかな……」と、「本土」の人間としては、思考停止してしまいたくなるのです。
 

 沖縄の「痛み」を想像してみようとするけれど、結局は現地の人にしか理解できないものなのかなあ。
 沖縄の人たちの側にも、「長年煮え湯を飲まされてきた苦悩は、どんなに同情しているフリをしていても、本土の人間にはわからない」という諦めや「そう簡単にお前らにわかってたまるか!」という反発もあるようです。
 池上永一さんの『テンペスト』は、琉球王朝を舞台とした壮大なエンターテインメント作品なのですが、テレビドラマ化されたこの作品について、沖縄では、大きな論争になったそうです。
 

 だが、『テンペスト』に関しては、「琉球王朝を愚弄している」「琉球史を冒涜している」「見るに堪えない」「歴史の偽装」というファナティックな意見が投稿され、地元紙で紙上論争にまで発展していった。
 批判の根拠は18代国王の尚育王がアヘンを吸う場面、王府の最高神女の聞得大君が役職を解かれて遊郭に身を落としたこと、男子禁制の場に男が自由に出入りする点など、いずれも史実ではない部分がやり玉にあがっている。
 実は1993年に放送されたNHK大河ドラマ、『琉球の風』(原作、陳舜臣)も批判の嵐にさらされている。監修を担当した琉球大学教授・高良倉吉氏の『「沖縄」批判序説』(ひるぎ社)にそのときのもようが記されている。

 地元新聞に連日のように掲載された投書、新聞の論調、私への電話、さまざまな会合や夜の盛り場での私への物言い、あるいはNHKに寄せられた苦情の手紙やFAXなど『琉球の風』に対する不満や非難、疑問が相次いだ。

 同時代、僕は沖縄にはいかなったが、どうやら『テンペスト』同様の批判があったようである。
 以下はそのとき寄せられた物言いである。
「なぜウチナーグチ(沖縄方言)を使ってやらないのか」「なぜ沖縄の役者を使わないのか」「なぜ薩摩軍に制服される惨めな時代を扱うのか」「アジアと活発な貿易を展開した大交易時代、つまり沖縄が輝いていた時代をなぜ扱わないのか」「久米村(筆者注:那覇にある中国系移民の子孫が暮らす地域)の女性はあのようにふしだらではなかったはずだ」
 相手にするのもばかばかしい苦情というほかないが、気になるのは批判の根っこが狭隘で、なにやら民族主義を想起させるものが多いことである。

いやほんと、「ばかばかしい苦情」だと僕も思います。
さすがにほとんどの人は、『テンペスト』を「史実」だなんて思ってないって……
しかしながら、こんなふうに「自分のアイデンティティを、祖先や民族そのものに仮託してしまう人」というのは、「ネット右翼」の時代のずっと前から、大勢いたのですね……
こんなふうに、フィクションにまで狭量になってしまうのは、ある意味、「今の自分たちが苦境に置かれていることへの不満や反発」を反映しているのではないかと考えると、「現実とフィクションの区別がつかない、困った人」ということで済ませていいのか、ちょっと不安にもなるのですけど。


 この本を読んでいると、「沖縄」だけの問題ではなく、「人と人とが協力していくことの、根本的な難しさ」を思い知らされます。

 近年は反基地運動を展開している沖縄の人たちの間にも、反戦平和運動を実践しているヤマトの人たちとの連帯を拒むような動きがある。
<歴史をみれば明らかであるように、ヤマトの沖縄に対する抑圧・差別政策は薩摩侵略以降、現在に至るまで変わっていない。琉球処分沖縄戦、「祖国」復帰など、歴史の結節点で沖縄は日本によって必ず「凶」のくじをひかされていた。こうした仕打ちに対して、沖縄はずっと抗議の声をあげつづけている。にもかかわらず、日本国家も内地の人も無関心・無視の態度を決め込み、沖縄に対する見方を変えようとしなかった。これでは沖縄はヤマトの植民地でしかない。だとすれば、いかに良心的なヤマトの人であっても、植民地主義本国の人間とは連帯しようにも連帯できない>
 おおざっぱにいって、以上がヤマトを拒む人たちの主張や思潮かと思う。
 わからないわけではないが、人間を線引きするような選民めいた考え方がそこにあるなら、僕はやはりついていけないのだ。
 というのも、自分が沖縄人二世だからである。僕のような沖縄の血を引く出自のものはいったい沖縄人なのか。
 現実に、「あなたはヤマトで育ったから沖縄人ではない。ヤマトンチュだ」と決めつけられた「二世」が何人もいることを僕は知っている。在日コリアン二世が本国の人から「パンチョッパリ」(半分日本人)と侮辱されたのと同様の現象ではあるまいか。
 二世や三世というものは、多くの場合、アイデンティティの問題で葛藤し、懊悩する。あるいはもしかすると、このことが一世には見えていないのかもしれない。

 「内地の人」が「沖縄の人」に、寄り添おうとすればするほど、どこかで、「でも、あなたたちには、われわれの気持ちなんて理解できないんでしょ」と、くっきりと線を引かれてしまうのです。
 それどころか「お前らが俺たちを差別してきたんだ」と責められさえする。
 近づこうとしなければ、そんな目に遭うことはなかったのに。
 当事者にとっては、やりきれない気持ちになるし、「現地の人以外は、必要ないってことなんだな」と感じるはず。
 「良心的な人」ほど、結局は深く傷ついてしまうことになります。


 「差別」を受け続けている人たちが、別の集団を「差別」するのは、珍しいことではありません。
 その原因が長年裏切られ続けた記憶であったとしても、「そんなふうに傷つけられても、沖縄の人たちに寄り添う」ことができるほど強い人は、そんなにいないはず。
 「この問題に関わっても、ロクなことはないな」と逃げ腰になってしまうのが「普通」で、それを見て、「やっぱりあいつは、『よそ者』だ」と嘲る「当事者」がいる。
 溝は、いつまで経っても、埋まらない。


 こういう現実を知ることは、すごく大事なのだと思います。
 知らなければ、何もはじまらないから。
 とはいえ、「日暮れて、道遠し」という気分になってしまったのも、また事実なんですよね。
 人は、いつの日か、「差別したい心」を乗り越えることができるのだろうか?


 それにしても、僕はまだ、「沖縄」のことを知らなすぎるよなあ。

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