琥珀色の戯言

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おおかみこどもの雨と雪 ☆☆☆☆



あらすじ: 19歳の大学生花は、あるときおおかみおとこと運命的な恋に落ち、やがて雪と雨という姉弟が誕生する。彼らは、人間とおおかみの両方の血を引くおおかみこどもとしてこの世に生まれたのだが、そのことは誰にも知られてはならなかった。人目を忍びながらも家族四人で仲良く都会の一角で暮らしていたが、ある日、一家を不幸が襲い……。


(おそらく、ほとんどネタバレしていないと思います)


2012年20本目の劇場鑑賞作品。
月曜日の20時からのレイトショーだったのですが、世間は夏休み突入直後ということもあり、平日の夜にもかかわらず、50人くらい入っていました。
この映画館としては、なかなかの盛況。
日本テレビ系の「細田監督推し」も効いていそうです。


この映画、ひと言でまとめてしまうと、「お母さんってすごい!」。
閑散とした講義に出席し、きちんとノートをとっているような、真面目な国立大生・花が、学生じゃないのに講義に出席していた勉強家の「おおかみおとこ」と恋に落ち、生まれてきたのが「おおかみこども」の雨と雪。
おおかみおとこは、なぜか突然死してしまい、花は母親だけでの子育てを余儀なくされるのです。


うーん、率直に言うと、僕はこの冒頭の流れを観ていて、なんだかとても居心地が悪かった。
「おおかみおとこ、学生相手なんだから避妊しろよちゃんと……」
それが「野生」ってことなのかもしれませんが、なんだかね、その後の展開も含めて、「東京のはずれの国立大学に通う、真面目な大学生」が、「できちゃった婚」をして、世間の目を避けながら子育てをするというのが「幸せ」なのかどうか。
いろんな葛藤だってあったはずなのだけれども、この映画のなかでは、それは全く描かれていないのです。
花は、ものすごい勉強家ですし、たぶん、何かを勉強したくて大学に入ったはずなのに、おおかみおとことの間に子供が生まれてからは、ずっと「子ども最優先の人生」をおくることになりました。
もちろん、「目の前にお腹を空かせた子どもがいて、その世話をできるのは自分しかいない」という状況であれば、大部分の人は、「子ども最優先」になるでしょう。
それでも、「若くして、自分が思い描いていたものとは違う、そんな人生」を歩まざるをえないのは、つらい面があるのが普通だと思うんですよ。
こんなの見せられたら、いま子育てをしている母親は子育てがかえって辛くなるのではなかろうか。
ああ、自分はここまで子どものために、自分を捨てることはできない、って。


良い映画なんですよ、これ、本当に。
大自然のなかをはしゃぎまわる雪と雨の姿はこの場面だけをずっと見ていたいほど微笑ましいし、水の表現をはじめとした、「大自然を描くアニメーション」も素晴らしい。「いつまでも子どもでいたくない子どもたち」と、「いつまでも子どもとして見ずにはいられない親」のせつない関係も、よく描かれていると思います。


花は「子ども思いの、(男からみた)理想的な母親」です。
でもだからこそ、僕は「こんなマザコン映画を手放しで称賛しても良いのだろうか?」とためらってしまうのです。


僕も3歳の男の子の父親であり、自分の両親の息子でもありましたから、この映画で描かれている「子どもの姿」と「それを見守る親の姿」には共感してしまいます。
この物語は「おおかみこども」という「特殊な、いまの世の中では生きづらい存在」を描いているようにみえますが、親というやつになってみると、子どもってみんな「愛しくてそこにいてくれるだけで嬉しい」けれど、「いつどこで何をやらかすかわからない」ものだということがわかってきました。
目の前にいてさえ、いろんなトラブルが起こるのに、幼稚園や小学校に行ってしまえば、そこでどんなことをやっているかは、なおさらわからないし、手も届かない。
見えないところでは、どんなふうに変わっているのかわからない「おおかみこども」なんですよね、僕の息子だって。
もちろん、医学的な難しさや世間からの差別のされかたの程度は違うでしょうけど、「子どもを持つ親」というのは、周囲からの愛情やサポートと同時に「泣き止まない子どもを抱えて、こちらもどうしていいかわからないのに、『どんな教育してるんだ!』という罵声を投げつけられる孤独を感じることがあるのです。
これは「おおかみこども」というフィクションで、「にんげんこども」とその親たちの姿を鏡にうつしてみせる映画でもあるのです。


個人的には、児童相談所の人たちが、かわいそうだったんですけどね。
検診も予防接種も受けておらず、あまり外にも出ない母子家庭があれば、「虐待の可能性も考えて訪問する」というのは、ごく当たり前のことのはずで、それを「社会の無理解」「外界からのプレッシャー」みたいに描いていたのは、なんだかとても悲しかった。
そもそも、こういう家庭のために、生活保護ってあるんじゃなかろうか。
ものすごく良い話なんだけれど、あまりに母親を偶像化してしまっているようで、そして、父親なんて種付けが終われば、もう不要なんじゃないかとも思えてきて。



花は、まだ30代前半なのに、「子どもたちさえ無事に育てば」それでいいのだろうか?
せっかく入った大学で、やりたいことはなかったのだろうか?
「そういうお母さん」に涙するのは、僕のような中年男だけではないのだろうか?
子どもにとっては説教臭く、母親にとっては押しつけがましい映画なのではないだろうか?


「排他的なのだけれど、一度懐に入ってしまうと温かい田舎の人たち」のステレオタイプな描き方も、あんまりおもしろいとは思えませんでした。
なんか「トトロの二番煎じ」っぽくて。
夏子の酒』『おもひでぽろぽろ』と同じように、「やっぱりかわいい女性には、みんな優しいねえ!もし花が見栄えのよくないオバチャンでも、みんなそんなに親切にした?」とか、ちょっと思いましたし。


僕はこれを観ながら、息子に対する妻の日常のしぐさのことを思い出していました。
いまみたいに暑い時期、息子は寝ていると布団をすぐに蹴飛ばしてしまいます。
妻は、夜中に何度も起きて、息子にそっと布団をかけてあげるそうです。
僕がその話を聞いて感じたのは「どうせ蹴飛ばすんだから、わざわざ起きて、布団をかけてやっても同じなんじゃない?」ということでした(そう言ったら「風邪ひいたらどうするの!」と怒られました)。
子どもへの「想い」の濃密さが、男と女では、根本的に違うのかもしれません(「男女差よりも個人差のほうが大きい」のかもしれないけれど)。


ところで、細田監督の映画って、信号機の表示とか本棚の書名とかが、すごくクリアに書いてありますよね。
人間の顔はノッペラボーで、「背景」みたいに見えたりするのに。
この映画を観ていて、『ロング・グッドバイ』の書名が、なんだかやたらと目についた気がします。

”To say goodbye is to die a little.” 『さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ』

親と子の、そして人間の営みというのは、「さよなら」で、できているのかもしれませんね。
この映画って、花がいろんなものと「さよなら」していく映画なんだよなあ、あらためて考えてみると。

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