琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

そして父になる ☆☆☆☆☆



あらすじ: 申し分のない学歴や仕事、良き家庭を、自分の力で勝ち取ってきた良多(福山雅治)。順風満帆な人生を歩んできたが、ある日、6年間大切に育ててきた息子が病院内で他人の子どもと取り違えられていたことが判明する。血縁か、これまで過ごしてきた時間かという葛藤の中で、それぞれの家族が苦悩し……。

参考リンク:映画『そして父になる』公式サイト(音が出ます!)


2013年28作目。
先行上映のレイトショーで鑑賞。
カンヌで賞を獲ったり、福山雅治さんが主演していたりと、かなりの話題作でもあり、40人くらい入っていました。


任天堂Wiiと、ゲームウォッチドンキーコング
豪華なタワーマンションに住む、一流企業勤務の父親と上品な母親、そしてひとり息子。
かたや、田舎の小さな電気店を営み、おじいちゃんも同居している、3人兄弟の大家族。
「なんでもひとりでできるようにするために」という理由で、広々としたお風呂にもひとりで入る6歳児と、家族みんなで狭いお風呂に入ってはしゃぐ6歳児。


うーむ、僕はこの映画、平常心で観ることが、できませんでした。
福山雅治が父・良多を演じる野々宮家の家族構成は、うちそっくりです。
仕事であまり子供と触れ合う時間がないところもそうだし、子供がおっとりしていて、あまり競争心がないところも。
物が壊れたときに、つい「新しいのを買ってやるよ」で済ませてしまう父親も。
残念ながら、うちはあれほどリッチではないし、何より、僕と福山さんのカッコよさには、いかんともしがたい「格差」があるのですけど。


なんだか、この映画を観ていると、自分のこれまでの父親としてのありかたを、思い返すことが多くて。
だからこそ、ステレオタイプに「お金持ちでも、教育とか習い事重視で、コミュニケーションに乏しい家族」と「そんなにお金がなくても、家族でアウトドアで遊んだり、兄弟でけんかしたりして、濃密なコミュニケーションでつながっている家族」が並べられ、「後者のほうが、本当の家族のありかたではないですか?」と責められ続けているような気がして、つらかったのです。


でもさ、責任上、トラブルが起こったら、仕事に行かざるをえないんだよ。
そんな責任、投げ出してしまいたいとは思うし、そこまで仕事が好きなわけじゃないんだけど、「家族のために、心臓が止まりそうな人を放っておける」ような世の中じゃないんだよ。
その人も、誰かの「家族」なのだし。
そして、そういうとき、誰か他の人が笑顔でサポートできるようなシステムになってはいないんだよ。
みんな、一杯一杯でやっているのだから。
それは、僕ひとりの力で変えられるようなもんじゃないんだよ。
じゃあ、みんなリリーさんみたいな生活をしてみろよ、それでも世の中、回っていくのか?


どんなに家族が濃密なコミュニケーションをとっていても、Wiiに慣れてしまった人間が、『ゲームウォッチ』で、満足できるのか?


この映画、福山雅治さんが演じているエリートサラリーマン・野々宮良多が「悪役」なのですが、父親と子供って、すごく接し方が難しいところがあるんですよね。
僕にとっての息子は、赤ん坊のときは「当直明けで少しでも寝たいのに、夜泣きをしてつらかった思い出」が多いし、夜中にあやしたり、おむつを替えたりしながら、眠りかけてしまうこともよくありました。
ようやく「つながり」を実感できたのは、一緒に遊べるようになった、2歳くらいの頃かもしれません。


僕は自分が親になるまで、「生みの親より、育ての親」だと思っていましたし、なぜみんながそんなに「血のつながり」にこだわるのか、よくわからなかったんですよ。
そんなの目に見えるものじゃないし、自分で育てた子供なら、血のつながりなんて、関係ないだろ、って。


でも、自分の子供を持ってみると、親って「血のつながり」を信じようとすることによって、救われているのかもしれないな、という気がしたのです。
どう向き合ってよいのか、よくわからなかった時期に、ちょっと自分に似ている部分を見つけると、なんだかすごくうれしかったんですよね。
『しょうぼうじどうしゃ じぷた』を一生懸命読んでいるのをみて、「ああ、この子は自分の息子なんだ」と喜んでいたのです。


自分が死んでも、この子が「何か」を残してくれる。
いや、本来はそれって「実の子」でなくてもいいはずなんですよ。
長年一緒に生活すれば、何がしかの「影響」は残りますから。
でも「血縁」っていうのは、けっこう「確実な保証」のような気がしてくるのです。
少しでも自分に似ているところ、繋がっているところに、すがりたくなるんだ。


よく言うじゃないですか、「結局、男は自分が本当の父親かどうかはわからない。信じるしかない」って。
もちろん、いまではDNA鑑定だって可能なわけですが、普通は、そこまでのことはしない。
「信じている」か、あるいは「信じることにしている」のか。
実際、世の中にはけっこう「自分の血をわけていない子供」を、知らずに、あるいは知りながら育てている父親っているはずです。
全員がスクリーニングすることだって、不可能ではないはずなのですが、多くの家族は、そうしません。
信じていられるのなら、そのほうが幸せだし、知ってしまったら、後戻りできない面もあるし。


この映画をみて「取り違えなんて、あり得ない話だろ」と思う人も少なくないはず。
でも、「実の子じゃなくても、育てていれば自分の子供」だと言い切れるのか?
一度それを知ってしまったら、ことあるごとに「実の子じゃないからかなあ」なんて思うことは絶対にありえないのだろうか?
そもそも、血を分けていたからといって、うまくいくとは限りません。
本当にねえ、いろいろみていると、「そんなに親が悪いというわけでもないようにみえるんだけど、うまくいかない親子」って、たくさんいるんだよなあ。
うちだって、そうなのかもしれない。

この作品のなかで、リリーさんの家のほうが「理想化」されすぎているようにみえるのは、僕の立ち位置が影響しているような気もするけれど……


ひとつだけ言えるのは、この映画のタイトルが、『そして父になる』だということです。
母親は、たぶん、子供が胎内に宿った時点で「母になる」のだと思う。
でも、いつ父親になるのか、いつの間にかなっているのか、男って、よくわからない。


なんだかすごく、モヤモヤしっぱなしの映画です。
ラストがまた、ハッピーエンドのようで、本当にそうなのか?と考え込んでしまうところもあって。
でもこれはたぶん、モヤモヤしてほしい映画、なんだろうなあ。
カンヌで評価されたのも、世界の半分は、多かれ少なかれ、モヤモヤしているから、なのかもしれません。


以下、ちょっとだけネタバレ感想です。
すばらしい映画なので、ぜひ観ていただければ。
未婚で、子どもがいない人は、将来もし子どもを持つことになったら、もう一度観てみると、良いんじゃないかな。


本当にネタバレですよ!
あのラストのあと、福山雅治がどういう選択をしたのか?
一般的には、「交換をやめて、6年間育てた息子を、あらためて育て続けることにした」と思われるのではないでしょうか。
ところが、監督は「結末」を描きませんでした。
良多が「父親になった瞬間」を描いて、幕を下ろしたのです。


僕は先日、テレビの番組で「子供を取り違えられた夫婦の話(実話)」を観たんですよ。
そのケースでは、子供が入れ替わっていたのは1年間で、結果的に、子供は「実の親」のところに戻ることになりました。
ただし、そのケースでも、慣らすのにお互いの家族で一緒に過ごしたりして、かなりの時間をかけたそうです。
さらに、1年間だけでも「わが子」として育てた子供と別れるのはつらい、というそれぞれの家族の気持ちを知った地元の人気ミュージシャンが、この2つの家族が近くで暮らせるように、2件の近所にある家を提供してくれたのだとか。
いま、この2家族は、頻繁に行き来しながら生活しているそうです。


もしかしたら、福山さんも、「元の関係に戻す」のではなく、「あえて突き放すのではなく、ふたりの父親のひとりであることを続けていく」という選択をしたのではないか、という気がするんですよ。
あのテレビで観た、2つの家族と同じように。
あえて「結末」を描いていないのは、もしかしたら、「結末」を描きようがないから、なのかもしれないし、監督も決められなかったのかもしれません。

アクセスカウンター