参考リンク:生まれて初めてのコミックスが出た。(はてな匿名ダイアリー)
生まれて初めてのコミックスが出た。
生まれて初めての©だ!ISBNだ!と喜んだのもつかの間で、
続々とつく「つまらない」というネットレビューに愕然…。
これを読んでいて、僕は『スター・ウォーズ』のこんな話を思い出してしまいました。
「九州ウォーカー・2005.No.14」(角川書店)の「シネマ居酒屋」(Key教授・著)というコラムより。
(ジョージ・ルーカス監督に関するさまざまなエピソードのなかで)
1972年、ルーカスは1年懸けてかった13枚の企画書を書く。イントロは、”これは有名なジェダイのパダワン、ウズビー・C・J・テープの親戚で、尊敬すべきオプチのジェダイ、メイス・ウインドゥの物語である”。
これがスター・ウォーズの始まりだ。
彼のこの構想はユニバーサルやワーナー、ユナイト等の多くのスタジオからB級SF映画だと失笑された。
唯一20世紀フォックス映画の製作部長アラン・ラッドJrだけが350万ドルなら出そうと言った(ラッドは後に『エイリアン』『ブレードランナー』までも世に送る男となる)。
ルーカスは経験から、フィルムにハサミを入れないことを約束してもらいスター・ウォーズの製作が本格化。
が、完成したフィルムは妻マーシャから『失敗だわ』と言われ、試写を観た親友ブライアン・デ・パルマからは『最悪なものを観せられた』とののしられた。
だが、周囲の酷評の中で唯一スピルバーグだけが『これはハリウッドの記録を塗り替える映画になるよ』と語った。
1977年、ついに2つの太陽が沈むのを見ながら”自身の人生を得る”ことを夢見るルーク・スカイウォーカーがスクリーンに映し出される。ここから伝説は始まったのだ……
「日経エンタテインメント!・2003・12月号」(日経BP社)の特集、「ハリウッドスターの失敗作100」より。
ハリソン・フォードは、当たり役『スター・ウォーズ』(77年)のハン・ソロさえも、「薄っぺらなキャラクター」と一蹴している。
その『スター・ウォーズ』は、旧シリーズでオビ=ワンを演じた故アレック・ギネスも、出演したことを恥じている。子供たちにサインをせがまれると、もう2度と『スター・ウォーズ』を観ないと誓った子供にだけサインした。
『スター・ウォーズ』新シリーズでオビ=ワンに選ばれたユアン・マクレガーも、一時期、作品をけなしていた。
若き日のジョージ・ルーカスは、フランシス・F・コッポラの製作スタジオから、「THX−1138(1971年)」という実験的なSF映画を世に出したことがあるそうです。それこそ、「アーティスト」としてのプライドにかけて。しかしながら、その映画は、悲しいほど世間から無視されて、妻にまで「冷たい映画」だと酷評されたのだとか。
そこで、ルーカスは「じゃあ、明るい映画ならいいんだな?」とばかりに、青春映画「アメリカン・グラフィティ」を撮りました。ちなみにこちらは大ヒット。
もちろん、どちらの作品もジョージ・ルーカスという人が併せ持つ一面であることはまちがいないのですが、こういう経験が、ルーカス監督の「エンターテイメントとしての映画観」に、あらわれているような気がします。
「スター・ウォーズ」の誕生時には、いわゆる「映画関係者」の評判は、あまり良くなかったようなのです。
というか、ここに引用されている人々の反応からすると「最悪」に近かったのかもしれません。
でも、ルーカス監督は、「映画マニアではない一般の観客」が、どういう作品を喜んで観るかというのをしっかり理解していて、そこから「芸術として評価されたい」という方向にブレることはなかったのです。
それこそ「アーティストとしては不本意」だったのかもしれませんけど。
今から考えると、「スター・ウォーズ」は、特撮技術は当時の最高峰のものだったのですが、ストーリーは至極シンプルです。正義のジェダイと悪の帝国、父と子の葛藤。この映画を最初に観たとき、小学生だった僕ですら、「なんてベタなストーリーなんだ!」と内心バカにしていたような記憶があります。
それこそ、アーティスト志向の人には、「なんだこの底の浅い、パターン化された勧善懲悪SFは!」という感じだったのではないでしょうか。
でも、ルーカス監督は、そういう「王道」こそが、多くの人の心をつかむものだというのを、たぶん理解していたのです。そして、この映画をメジャーにするために、わざと、「そういう話」にしたのです。
最初に紹介した「新人マンガ家」さんの話を読みながら、この人がどんな作品を描いているのかわからないけれど、Amazonにレビューをたくさん書いているような「マンガ通」の意見にばかり振り回されないでほしいなあ、ということでした。
それこそ、ここでこうして本の感想を書き続けている人間が言っても、全く説得力はないのかもしれませんが……
万人が読んで面白いものなんて存在しませんし、レビューを書くような人と、大部分の受け手は、重なり合う部分がある一方で、かなりズレているところもあるのです。
もちろん、「両者ともに面白いと判定する」あるいは「両者ともにつまらないと判定する」作品というのも、ものすごくたくさん存在するのですけど(率直に言うと、ある程度(100以上、くらいでしょうか)の真剣なレビューが集まっている作品に関しては、「個々のレビューをまとめて傾向をみれば、「みんなの意見」とそんなにズレていない」という気がします)。
「結局、面白さに絶対的な基準なんて存在しないし、誰かが決められるようなものではない」ということです。
もちろん「影響力がある人」っていうのはいますが、その人がすすめたものが、必ずしも大ヒットになるとも限りません。
『ダークナイト』は、あれだけネットでは高く評価されていたのに、日本では興行的にかなり残念な結果に終わりました。
あえていえば、「面白さ」を判断できるのは、それを生みだした人間だけなのかもしれません。
まずは、自分で面白いと自信を持って言える作品なのかどうか。
あとは、それに共感してくれる人がいるのか、いるのだとすれば、どのくらいの人数なのか?
そこで、「自分にとっての面白さ」を貫くのか、それとも、読者の反応をリサーチして、自分の作品を変えていくのか。
そういうのって、ある意味「運」みたいなものなのかもしれませんけどね。
「マーケティングに基づいて創作する」といっても、やはり「自分の色」は出るだろうし、出ないようなら、創作者としてはやっていけないはずだから。
自分の感性と時代が求めるものが、マッチするかどうか、なんて、自分ではどうしようもない面がある。
ゴッホとか、本人はどう思いながら死んだのだろう、とか考えてしまうのです。
本人にとっては、死ぬ間際の時点で「あーなんかいっしょうけんめい絵書いたけど、俺の人生サッパリだったなあ、なんだったんだろうなあ」って感じだったのかな(あくまでも僕の想像です)。
『スター・ウォーズ』と比較するのはちょっと乱暴ではありますが、ネットなどの「わかっていそうな人」からのひとつひとつの評価に、あんまり踊らされないほうが良いのではないかと思います。
単行本になったってことは、少なくとも、ネットの人よりも「あなたの本の売り上げが自分の人生とより深くリンクしている」編集者には、それなりに評価されたってことでもありますし。
まあでもほんと、「みんなが面白いものって、案外つまらないもの」だったりしますよね。
逆もまた真なり、なんですけど。