琥珀色の戯言

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【読書感想】はだしのゲン わたしの遺書 ☆☆☆☆


はだしのゲン わたしの遺書

はだしのゲン わたしの遺書

内容紹介
「忘れてしまうことが大事なこともあるが、これだけは忘れてはいけない」
はだしのゲン」作者が死の直前、次の世代に遺した最後のメッセージ


自身の被爆体験をもとにしたまんが『はだしのゲン』で知られ、原爆の恐ろしさを訴え続けてきた著者が、73年の人生の幕を閉じる直前に力をふりしぼり「遺書」の代わりに残した作品です。「戦争のおろかさ」「原爆の恐ろしさ」、そして「人間のたくましさ」を自身の半生をふり返りながら語りつくした自伝。すべての子どもたちと、彼らを見守る大人たちに残したかった平和への思いが224ページの中に込められています。
唯一の被爆国にもかかわらず、その教訓が生かされずに原発事故が起こってしまった日本の現状にも、著者は憤りをあらわにしています。
現代に生きる私たちが、世代を超えて語り合うことのできる一冊です。


出版社からのコメント
本書には、『はだしのゲン』の印象的なシーンを抜粋したまんがも数多く掲載されています。中学生以上で習う漢字には原則としてふりがなをつけていますので、小学校高学年以上であればお読みいただけます。


著者の中沢啓治さんは、2012年12月19日、肺がんのため73歳で亡くなられました。
この本が、最後の著書となったのです。


著者は、1945年8月6日、小学校1年生のとき、広島で被曝しました。
「戦時下なりの日常」から、父、姉、弟など、多くの家族をピカドン(原爆)で一度に失い、母親をはじめとする残された家族と「戦後」を生き、『はだしのゲン』を描くまでの人生が、この本には描かれています。


いまから30年も昔、僕の小学校時代にも『はだしのゲン』は、図書室に置かれていて、多くの生徒が読んでいました。
当時も、原爆投下から30年以上が経過していましたが、被曝した人たちから、『原爆の日』に講堂で体験談を聴く、という「平和教育」が毎年行われていました。
ただし、これは僕が広島県内の小学校に通っていたため、でもあったようです。
(九州に越してきてからは、そういう「登校日」は無かったので)


はだしのゲン』は、九州の小学校にも置かれていて、だいたいいつも「貸し出し中」だったんですよね。
当時は、図書室に置かれているマンガは、『マンガ日本の歴史』と、この『はだしのゲン』くらいで、「マンガがある!」と思って借りて大きな衝撃を受けた、なんていう同級生も少なからずいたものです。


この本のなかで、著者は、少年時代、被爆体験、そして『はだしのゲン』が生まれるまでの過程を、丁寧になぞっています。
とくに「あの日(1945年8月6日)のこと」についての生々しい描写は、僕が大人になったいま読んでも、息が詰まってしまうのです。

 さらに舟入川口町の方に向かって歩くと、今度は焼けこげてぼろぼろになった人たちが現れました。
 三千度以上の熱線を一気に浴びた体には、大きな水ぶくれがあちこちにでき、それが次々とつながってさらに大きな水ぶくれとなり、歩くたびに、中の水がぶるんぶるんとゆれるのです。そして、何かの拍子で皮膚が焼けると、皮膚がだらーんとたれさがってきます。
 顔は二倍くらいにはれあがり、肩の皮膚がずるずるーっとむけ、腕の皮膚もむけ、手の甲もむけ、五本の手の爪のところでその皮膚がかろうじて止まっている状態です。その皮膚が、ぼくの目の前でぶらんぶらんとゆれているのです。

著者は、「地獄絵図のようだ」「悲惨な光景だ」というような抽象的な言葉を並べるのではなく、漫画家の性なのか、ひたすら、自分の目で見た「そのもの」を淡々と描写していくのです。
はだしのゲン』の絵、子どもの頃は、ただひたすら怖かった記憶しかないのですが、いま大人になってみてみると「いかにもマンガ」という感じにみえます。
それについて、著者は、こんなふうに述べています。

はだしのゲン』は、被曝のシーンがリアルだとよく言われますが、本当は、もっともっとリアルにかきたかったのです。だけど、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出だし、ぼくは本当は心外なんだけど、読者にそっぽを向かれては意味がないと思い、かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました。
 原爆の悲惨さを見てくれて、本当に感じてくれたら、作者冥利につきると思います。だから描写をゆるめてかくことは本当はしたくなかったのです。
 こんな甘い表現が真に迫っているだろうか。原爆というものは本当はああいうものじゃない。ものすごいんだと。そういう気持ちが離れないのです。
はだしのゲン』の連載が始まると、漫画家仲間からも、「おまえの漫画は邪道だ。子どもにああいう残酷なものを見せるな。情操によくない」と叱責されたことがありました。
 けれど、ぼくは、「原爆をあびると、こういう姿になる」という本当のことを、子どもたちに見せなくては意味がないと思っていました。原爆の残酷さを目にすることで、「こんなことは決して許してはならない」と思ってほしいのです。

本当は「もっとリアルにかきたかった」。
でも、それは許されなかった。
許さなかったのは、一部の「読者」や「漫画家仲間」だった。
この本のなかには、『はだしのゲン』の印象的なページが引用されています。


ちなみに、連載当時のこんなエピソードも紹介されているのです。

 また、天皇制を批判する内容が含まれているので、抗議も覚悟して、ぼくは女房に「変な電話とか手紙も来るかもしれん。扉は簡単に開けるな」と言っておいたのですが、まったくなく、拍子抜けしたものです。
 むしろ近所の人に女房が「よく被爆者と結婚しましたわね」、「よく身内の恥をかいているわね」などと言われ、女房から「原爆漫画をかくのをやめて」と言われたこともありました。「原爆を売り物にしている」といった声もきこえてきました。その方がつらかった。ぼくは「原爆漫画家」というレッテルをはられるのが一番嫌いでした。

こういうところは、いまでも「同じ」なんですよね。
漫画家・こうの文代さんが、「被爆者を最も差別してきたのは、日本人なのだ」と書かれていました。
それは、「周りは日本人ばかりなのだから、当たり前のこと」なのかもしれません。
でも、そういう気質が変わっていないという事実は、みんな知っておくべきではないでしょうか。
それにしても、「身内の恥」とは……


僕はこの本を読みながら、「原爆の悲惨さ」を日本人が共有しているわけではないことを考えずにはいられませんでした。
僕は子どもの頃から、いわゆる「平和教育」を受けてきた世代なので、なんとなく、「みんな原爆資料館に一度くらいは行ったことがあるはず」「教科書に『碑(いしぶみ)』が載っていたはず」だと思い込んでいたのですが、それは「僕のとっての常識」でしかありません。


週刊少年ジャンプ』で、『はだしのゲン』の連載がはじまったのが、1973年。
当時送られてきた読者からの手紙には、

「戦争と原爆がこんなに悲惨だとは思いませんでした。もっともっと原爆と戦争の実態をわたしたちに教えてください」

というようなものがたくさんあったそうです。


1973年の子どもたちでさえ、「原爆の悲惨さ」を、『はだしのゲン』を読むまで、知らなかった。
それから40年後の、いまの子どもたちにとっては、原爆というのは、歴史年表のなかの出来事でしかないのかもしれません。


「日本も核武装すべきだ」と言う人もいます。
僕自身も「どうせ死ぬのなら、銃で撃たれるのと、原爆で焼かれるのに、そんなに違いがあるのだろうか?」などと考えたりもします。
でも、「世界唯一の被爆国」に生まれた人間として、「日本が核兵器に反対しなかったら、誰がそれをやるんだ?」とも思う。


著者は生前『はだしのゲン』のコマがネットなどで「ネタ」として使われることに寛容だったそうです。
「どんなきっかけでもいいから、作品に触れて、原爆について知り、考えることにつながってくれれば」と。


あれから70年近くが経ち、「生き証人」が少なくなってしまっている今だからこそ、『はだしのゲン』は読み継がれていくべきなのではないかと僕は思っています。
「気持ち悪いことは、見ない、見せない」ようにしたからといって、現実は、変わらないのだから。

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