- 作者: 末井昭
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2013/11/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
母親のダイナマイト心中から約60年――衝撃の半生と自殺者への想い、「悼む」ということ。伝説の編集者がひょうひょうと丸裸で綴る。笑って脱力して、きっと死ぬのがバカらしくなります。
「キレイゴトじゃない言葉が足元から響いて、おなかを下から支えてくれる。また明日もうちょっと先まで読もうときっと思う」――いとうせいこうさん
「優しい末井さんが優しく語る自殺の本」――西原理恵子さん
大人気連載、ついに書籍化!
世の中、自殺について醒めているような気がします。
おおかたの人は自分とは関係ない話だと思ってるんでしょう。もしくは自殺の話題なんか、縁起悪いし、嫌だと目を背けてる。
結局ね、自殺する人のこと、競争社会の「負け組」として片づけてるんですよ。
死者を心から悼んで、見て見ぬふりをしないで欲しいと思います。
どうしても死にたいと思う人は、まじめで優しい人たちなんです。(「まえがき」より)
「伝説の編集者」末井昭さんによる「自殺」をテーマにした本。
中身は、末井さん自身の半生記や「自殺」に関連した取材やインタビューなど、かなりのバリエーションがあります。
僕が末井さんのことをはじめて知ったのは、末井さんの『パチンコ必勝ガイド』編集長時代。
「365日、都内のどこかの店で編集者(もしくは助っ人)がパチンコを打ち、収支プラスを目指す」という企画に、編集長ながら末井さんも駆り出されて(なのか、自発的なのかはわかりませんが)参加していたのです。
ところが、末井さんは編集長でありながら、店に入って短時間打って当たらないと、すぐやめてどこかに行ってしまうことが多くて、「なんていい加減な編集長なんだ……」とあきれてしまうくらいでした。
当時は、末井さんが『写真時代』などをつくった「伝説の編集者」だなんてことは、全く知らなかったんですけどね。
とにかく、僕にとっては「脱力系なのに、なぜか編集長をやっている、不思議なおじさん」だったのです。
僕の母親は、僕が小学校に上がったばかりのころ、自殺しました。僕の家の十歳下の青年とダイナマイト心中したんです。僕の故郷は、岡山県のバスも通らない田舎の村で、近くに鉱山があって、ダイナマイトは割と身近なものだったのです。
こんなショッキングな方法で母親が自殺した子どもは、生きづらい人生をおくってきたのではないかと思われます(子ども時代のことも、この本には書かれています)。
ましてや「田舎の村」のことですから。
しかし、この本での末井さんは、とにかく「率直」に、この「母親の自殺と、どう向き合ってきたか」を書いておられます。
のちに高校を卒業し、東京でデザインの仕事をするようになり、この「母親のダイナマイト心中」について、末井さんはこんなふうに考えるようになったそうです。
それまで母親の心中のことは誰にも言いませんでした。学校の友達や会社の同僚にそういう話をしても、雰囲気が暗くなるだけで、誰も聞きたくないだろうと思っていたからです。僕自身も、母親のことを肯定できていなくて、人に言いたくないと思っていたかもしれません。
しかし、グラフィックデザイナーの横尾忠則さんや粟津潔さんに憧れるようになって、表現ということに目覚めると、考え方が逆になりました。母親が心中した特殊な家庭環境で育ったことは、自分が表現者として選ばれたということではないか、と思うようになったのです。つまり、自意識が膨らんでしまったということです。
「母親の心中が、表現者として生きていくきっかけになった」というのもひとつの真実ではないかと、末井さんは仰っています。
それは、あまりに衝撃的な経験をした人間の「代償行為」なのかもしれませんが、それが「必ずしも自分の人生にとって、マイナスな面ばかりではなかった」ということです。
そういう「特殊な経験」がなければ、末井さんの一生は、もっと平凡なものだったのかもしれません。
もっとも、末井さんは「平凡な人生」を否定しているわけではないんですけどね。
「とにかく、こうして生きてきた自分の人生を肯定していく」ことに決めているだけで。
どんなつらい目にあった人でも、生涯ずっと落ち込んでばかりもいられないのだし。
末井さんがまだ駆け出しのデザイナーだった頃の、こんな話を読んで、大笑いしてしまいました。
入社して半年ほどして、大森ボウルというボーリング場のフロアディスプレイを任されました。初めてデザインらしきものができるということで、「よお〜し、ボーリング場に情念をぶつけてやるぞ!」と、えらく張り切ってしまいました。
天井から無数の天狗のお面をぶら下げ、裸のマネキンに天狗のお面をつけたものもぶら下げ、お経を書いたのぼり旗を数本立てるという、おどろおどろしいディスプレイを考え、それをパースにして(たぶん得意満面だったと思いますが)上司に見せました。
そのときのポカンとした上司の顔が、いまでも記憶に残っています。「何、これ?」です。「ボーリング場のフロアをアングラ芝居にしてどうするんだ!」と。
いやまあ、当時は「そういう時代」だったのでしょう。
ちなみにこれは、残念ながら(?)採用はされなかったそうです。
ちょっと見てみたいですけどね、この「アングラボーリング場」。
末井さんというのは不思議な人です。
「自殺しようとする人たち」には、とても優しい。
その一方で、長年連れ添った夫人と、ちょっとしたきっかけで別居し、W不倫の女性と同居したまま戻らなかった。
ギャンブル好きで、先物取引でとんでもない額の借金をつくってしまうけれど、お金がなければないで、それなりに生きていける。
キリスト教を信仰しているのだけれども、飲む打つ浮気するの三拍子。
すごく世俗にまみれた生きかたをしているのに、ほんとうの「聖人」というのは、もしかしたら、こんな感じの人なのかな、とか、考えてしまうのです。
でもきっと「優しすぎる」というのは、魅力であるのと同時に、残酷さでもあるのですよね。
W不倫の末に一緒に暮らすようになった、末井さんの現在のパートナー美子さんは、ふたりの関係が不安定だったとき、こんな手紙を置いていったそうです。
末井さんにとって一番大切なことは、誰からもよく思われたい、特に自分のことを好きな女の人からは、ずっとそう思い続けられたいということです。そんなにそれが大切なら、そうやっていい顔して暮らしてください。私は自分のやりたいことをやるために生きているし、それが基本なのです。自分がよりよく、何か価値のあることをやることを考えないにんげんにとっては、人の気持ちだけを考えて一生暮らすことになるでしょう。それが壊れそうになるとなんでもして、あなたは自分を大切にするということがないと思います。だから、もし私があなたの子供を産んで家庭を持っても、自分すら大切にできない人が、自分の家庭を大切にするということもないと思います。
私が残念に思うのは、私があなたにとって「大切なものになる」こともなかったということです。何かを選ぶということは、他のすべてを選ばないということで、人から少々うらまれたりしたって、そんなことあたり前です。それが恐い人は「選ぶ」ことができない。あなたは私のことも結局選べなかったんじゃないでしょうか。
「他人に嫌われることが怖くて、八方美人になりがち」な僕は、これを読んで、なんだか自分が責められているような気がしてきました。
末井さんも「優しすぎて、弱い人の気持ちを理解しようとしすぎて」結果的に優柔不断な生きかたになってしまったのかもしれません。
でも、それは本当に「優しさ」なのか?
みんなを幸せにしたいという理想というより、嫌われることを恐れているだけではないのか?
しかし、美子さんのような考え方をする人が、末井さんに惹かれ、長年一緒に過ごしているというのも、なんだか不思議ではありますね。
放っておけない感じ、だったのだろうか……
人と人との縁って、わからないものです。
この本のなかで、とくに印象に残ったのは、末井さんのこんな言葉でした。
人身事故、つまり電車に人が飛び込むのが一番多いのは、月曜日なのだそうです。
学校でいじめられたり、会社で孤立したり、業績が上がらず上司から嫌味ばかり言われたりしている人には、休み明けの月曜日はつらいかもしれません。しかし、早まって電車に飛び込まないでください。そういうときは反対側のホームに行き、逆方向の電車に乗ることです。
僕も会社に行きたくないとき、逆方向の電車に乗ることがたまにあったのですが、行き先が決まっているわけではないので、適当な駅で降りて、駅の周りをブラブラ歩き回ったりして、最終的にはパチンコ店に入るぐらいなのですが、それでも気分は少しは変わります。
ああ、これはすごく実践的なアドバイスだなあ、と。
「死ぬな」「飛び込むな」と言われても、「死ぬこと」にとり憑かれている人は、そう簡単には翻意できない。
だから、末井さんは「物理的に、その場所から、行きたくない場所から、離れてしまえ!」と仰っているのです。
気持ちを変えることよりも、「環境を変える」ことのほうが、ラクな場合もある。
もしあなたが、電車に飛び込みたくなったら、この末井さんの言葉を、思い出してみてください。
もちろん、これが「完璧な方法」ではないのだろうけれど、これで「少し気分を変えて、生き延びてきた人」もいるのだから。
けっして「立派な人の、善良な本」ではありません。
でも、だからこそ、ひとりでも多くの人に、読んでみてもらいたい。
だって、普通の人はみんな、「立派」でも「善良」でもないのだから。
僕はこの本の最後の、末井さんの「生きててよかったと思うことはいっぱいあるんだから」という言葉を読んだとたん、目頭が熱くなってきて、涙が止まらなくなりました。
読んでいるあいだは、「泣ける本」だなんて、まったく思わなかったのに。