- 作者: 谷充代
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/02/16
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
不器用で寡黙にして義理と人情に厚く、作品にも人に対してもいっさい手を抜かない―死して伝説と化した名優・高倉健。著者は、緊張感みなぎる国内外の映画の現場で、私的な会合の場や旅先で、「健さん」本人をはじめ監督や俳優仲間、スタッフや縁あった人々に細やかな取材を重ねてきた。俳優として、また人として稀有な男の流儀を追いつづけた四半世紀の集大成。
2014年11月に83歳で亡くなられた高倉健さん。
亡くなられたあと、追悼番組や出演された映画が放映され、追悼のための本や文章もたくさん公開されています。
さまざまなエピソードを知るとともに、あらためて、「高倉健」という人のすごさを再確認するのですが、この新書は、高倉さんを30年取材し続け、プライベートでの親交もあった編集者によるものです。
僕も以前から高倉健さんという人に惹かれていて、さまざまなエピソードに魅了されてきました。
でも、亡くなられたあと、よりいっそう「聖人化」されてしまっていることに、なんとなく違和感もあったのです。
この本には、「ロケ現場で、絶対に座らない、焚火にあたろうとしない高倉健」というような、よく知られているエピソードは、あまり収められていません。
長年、高倉健さんを取材し、親交があった著者からみた、そして、周囲の人から聞いた、「比較的素顔に近いところ」が、多いんですよね。
この新書自体は、3年くらい前にほとんど書き終えられていて、高倉さんの「まだ(プライベートな話ではなく)演技で勝負したいから」という意向で、世に出すことが控えられていたものなのだそうです。
だからこそ、「亡くなってしまった高倉健」ではなくて、「いまも、この世の中のどこかで生きている高倉健」について、あまり肩肘張らずに書かれているような気がしました。
ちょっとリラックスしている状態の高倉さんのことも書かれていて、僕は読んでいて、ちょっと嬉しくなりました。
それから刀匠の宮入さんが待つ食事処へ向かった。到着するとすぐに郷土料理が手際よく出されていった。その様子を眺めていると、突然、「うわっ……!」と健さんが低く叫ぶ声がした。大きな汁物の椀の中には、収まりきらないほどの立派な川魚。それが苦悶のさまで大口を開けている。健さんは、その大口をマネしながら蓋を戻し、横に滑らせるように静かに椀を遠ざけた。
健さんは大の魚嫌いである。小学校に上がったばかりのころに肺浸潤をわずらい、滋養のためにと母親が毎日うなぎを焼いて食べさせてくれた。しかしそのせいですっかり魚が苦手になった、と以前聞いたことがあった。思いのほか取材が順調だったこともあり、昼食の椀物を確認することまで気が回らなかった。
もちろんそれで怒るような人ではないけれど、魚一匹にたじろぐ健さんを見るのもまた愉快なことであった。
「小学生かよ!」と突っ込みたくなるような、こんな好き嫌いに関するエピソードも、なんだかとてもホッとしてしまうんですよね。
この新書によると、高倉さんは、車の運転も自分でされることが多く、荷物も自分で運び、基本的に「自分のことは自分でやる」人だったそうです。
映画スターともなれば、何人、何十人もの取り巻きに囲まれて移動するのが通例なのに、集合場所に、ふらっと「こんちはー!」と現れることもしばしばあったのだとか。
「自分のことを知らない人」と触れ合うと、むしろ、嬉々としていたようにもみえます。
逆にいえば、「常に高倉健でいること」には、大きなプレッシャーもあったのでしょうね。
また、映画会社の宣伝部にいて、健さんと仕事をしていたというSさんは、こんな話をしてくれたそうです。
撮影現場に立ち会っても、それほど話をしたわけではないとSさんは言うが、何年たっても健さんの名前を聞くと、ある場面がよみがえるそうだ。『八甲田山』のキャンペーンで、Sさんは北海道や九州へ健さんに同行した。そのときのことである。
「ご存知のように高倉さんは大のコーヒー好きです。その日は博多でしたが、僕もそのたび付き合い、数えてみたら朝からなんと二十五杯目。夕方に時間が空くと、また『コーヒーを飲みましょう』と高倉さんがおっしゃる。僕は少し胃がもたれていたので、理由をつけてお断りしました。高倉さんは顔色も変えなかったけれど、翌日から『コーヒーでも』と言わなくなったんです。今にして思うと、高倉さんはコーヒーを仲立ちに、たった五分でも同じ時間を共有しようとしてくれたんじゃないかな。年月が経つほど、何であのとき二十六杯目のコーヒーを付き合わなかったのか、と悔やまれます」
あれほど礼節を重んじる人に、なぜ自分はわずかな時間をご一緒できなかったのか、そう語るSさんが忘れられない光景がある。移動中の乗り物の中で、布バッグから鉄アレイを取り出して、たえず身体を鍛えている健さんの姿である。
「あの時代、あの組にいて、高倉さんの傍に少しでも置いてもらえたことか、自分にとって財産です。おかげでその後、あまり堕落しないで生きてこられたような気がするんですよ」
これを読みながら、僕はSさんに「これは僕だって断るよ……胃につらそうだし……というか、いくら健さん相手でも、よく一日に二十五杯も付き合ったものだなあ……」と思っていたんですよ。
でも、それを「後悔」してしまうほどの「魅力」が高倉さんにはあったのだなあ、と。
この本に出てくる人の多くが、「高倉健さんに出会ったこと」によって、自身の生き方に大きな影響を受け、感謝しているのです。
高倉さんは、恩着せがましい言葉をかけたり、そんな態度をみせたりすることは、一切なかったのだけれども。
そして、高倉さんは、「気配りの人」であるのと同時に、「妥協しない人」でもあります。
「甘いだけの人」ではなくて。
さて苦心の末に何とかまとめた原稿だったが、土壇場で「待った」がかかった。最終校了の原稿を編集部に送ってから間もなく『Hanako』(マガジンハウス)の編集長から電話が入ったのだ。
「原稿を読ませてもらいました。実に面白い内容です。今になってなんですけど、明日校了にしたいので、高倉さんご自身から電話をいただけたらと思うのですが」
はじめは真意がわからずとまどったが、どうやら「本当に高倉健から許可をもらっているのでしょうか」ということらしい。編集部として責任があるので、高倉健の名前で掲載する以上、本人からじかに「これでOKです」という了承をとりつけたいという話だった。
「創刊号から責任のあいまいな原稿を載せたくない」という編集長の考えもよく理解できた。ただ、それでは私を信頼して起用してくれた編集者の顔がつぶれてしまうのではないか。迷いながらも私は健さんのオフィスに電話をかけ、「お話したいことがあるので、電話をくださいますようお伝えください」と伝えた。
健さんはすぐに電話をくれた。ことの次第をすべて話しおえると、健さんは短くこう言った。
「一緒に仕事をする仲間を信じることができない人とは、仕事をすべきではない」
それだけ言うと電話は切れた。
その通りではあるのだが、どう話したものかしばらく考えてから、私は腹をくくって編集長に「今回の仕事は降ります」と伝えた。「原稿は返してください」と重ねると、編集長は一瞬声を詰まらせてから、「わかりました。原稿はこのまま掲載します」と言った。
ちょっとめんどくさいし、感じの悪い話でしょうが、高倉健さんが、編集長に電話1本入れれば済むだけの話です。
それで、親しくしている女性編集者に、良い顔もできる。
あるいは、「何でオレがそんなことを!」と怒ってもいい。
でも、高倉健という人は、そうはしなかった。
自分のための計算は、しない人だったのです。
いつだったか忘れたが、健さんがこんなことを言った。
「誰それがよろしくと言っていました、という人がいるが、僕はちがうと思う。本当によろしくと思っているなら、どんな形でも自分で伝えるべきじゃないかな」
高倉健という人は、本当に、そうしていたのです。
これを心がけるだけでも、少しは、健さんに近づけるかもしれないな、と思います。
こう言うのは簡単でも、実行するのは、ものすごく大変なことなんだけれども。
- 作者: 野地秩嘉
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