死ぬってどういうことですか? 今を生きるための9の対論 (角川フォレスタ)
- 作者: 堀江貴文瀬戸内寂聴
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日: 2014/09/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
内容紹介
時代の寵児から一転、出所後のホリエモンが、もっとも気になっているのは、お金のことでも仕事のことでもなく「生とは、死とは」という人類不変のテーマだった! いくつもの死と直面してきた寂聴さんの答えとは?
堀江貴文さんと瀬戸内寂聴さんが「死生観」について対話をするという、なかなか興味深い本でした。
ただ、9つの章のうち、踏み込んで「死について」語られているのは、2つくらいなんですよね。
この本の「あとがき」で、堀江さんは、こんなふうに仰っています。
「それにしたって、死ぬ話の本なんか誰も買わないわよ。しんきくさい」なんて編集者に言う寂聴さんは、つくづく生きる気満々の人で、たのもしい。そういうわけで、二回目以降は「生きる話」に変わっていった。
まあ、確かに「死ぬ話ばっかりしていてもねえ……」という感じではありますね。
でも、僕としては、この二人だからこそ、もっととことんまで「死ぬこと」について、突き詰めてみてほしかったな、とも思うのです。
半分くらいは「時事問題について語っている」感じですからねえ。
それがつまらないというわけじゃないんだけど。
瀬戸内寂聴:堀江さん、子どもに会いたくない? 恐ろしい?
堀江貴文:いや、恐ろしくはないんですけど、別になんか「どうしても」みたいな感じではないですよね。
瀬戸内:でも、いつか会いに来ますよ、必ず。
堀江:いるのわかってるし。僕、なんかそういうのあるんですよ。いるのわかってればいいって。問題がなく育っていれば別にそれ以上はない、っていうか。それは子どもに限った話でもなくて。
瀬戸内:人間ってね、そばにいないと、そんなに気にならないのよね。ほんとに。
堀江:うん。そうでしょうね。
瀬戸内:新たに子どもがほしいとかはない?
堀江:う〜ん、女の子だったらいいですけどね。
瀬戸内:結婚しないでも、ほしいでしょ? やっぱり結婚したほうがいい?
堀江:いやいやいやいや。結婚しなくていいです。結婚すると、とにかく相手の家が出てくるんで、それがイヤなんです。家っていうか、お父さんお母さんくらいまでは全く我慢できるんですけど、よくわかんない親戚がイヤなんですよ。自分の親戚だってそうですからね。もううっとうしいんですよ、SNSでイトコみたいなのか絡んできますからね。変な教材みたいなのネットで売ったりして(笑)。うわあ〜と思って。一時期鬱になえどうのこうのとか書いてあって、またまたうわあ〜と思って。親父のイトコなんて人からも来ましたね。そういうよくわからない血縁関係とか恐いし、めんどくさいですよ、ほんと。
この対談を読んでいると、堀江さんのずっと会っていない子供さんについて寂聴さんが尋ねる場面もあって、堀江さんに対して、構えることなく入り込んでいけるのは、やはりこの人だからだよなあ、と感心してしまうのです。
それに対して、堀江さんは、すごく率直に答えているんですよね。
「いるのわかってればいい」っていうのは、すごく突き放しているみたいだし、好感度は下がってしまうかもしれないけれど、そういう面があるというのは僕にもわかるような気がするのです。
その一方で、「血縁よりもずっと一緒にいることのほうが意味がある」ということについては、「でも、血がつながっているというのは、やっぱり大きいな」と思うことも多いのです。
僕も自分に子どもができるまでは「生みの親より育ての親」だと思っていたのだけれど、生まれてみれば、子どもとの関係というのは、理性だけでうまくやれるようなものじゃないなあ、って。
でも、この「なんかめんどくさい親戚づきあいみたいなのがイヤ」っていうのも、ものすごくよくわかります。
堀江さんは「メディアの寵児」でもありましたから、そういう人たちが寄ってきまくった時期もあったのでしょうし。
また、堀江さんは、自殺について、こう仰っています。
寂聴さんの「日本の自殺の原因には経済的なものがいちばん多いのではないか」という話に対して。
堀江:経済的にねえ……。僕、自殺って、プライドの問題だけだと思いますけど。病苦を除けば、日本の場合の自殺はそうでしょう。お金が払えなければ踏み倒せばいいんですよ。それは当たり前の話じゃないですか。実際踏み倒す人いっぱいいるじゃないですか。それに踏み倒していいことになってるじゃないですか。
瀬戸内:いや、そんな堀江さんみたいな図々しい人間ばかりいませんからね。なかなか踏み倒せないんじゃないいの。ちっちゃな街だったら、いっそうどこの誰がってわかってるから。
堀江:小さな街で踏み倒せないんだったら、そこから出ていくなり。
堀江さんの「身も蓋もなさ」が炸裂しているところ、ではあるのですけど、この「踏み倒せばいい」っていうのは事実ではあるんですよね。
死ななくても、日本の法律には「自己破産」というシステムがあるのです。
そういうシステムがあるのは「どうしようもなかったら、死なないで踏み倒していいよ」ということなのです。
それでも、借金を苦にして自殺してしまう人がいる。
「自己破産というシステムを知らない」とか、「どうやっていいのかわからない、相談する人がいないまま、追いつめられていく」という人が、実際は少なくないのかもしれません。
堀江さんは「そういうシステムを知ることが、生きるための武器になる」ことを知っている人でもあるのです。
その堀江さんでさえ、「自分のプライドのため」に、実刑判決をうけ、刑務所に入ることになったのは皮肉ではありますけどね(堀江さんは、罪を認めて争わなければ、執行猶予がついたのではないかと言われています)。
他人のことはわかっても、自分のこととなると、なかなかうまく割り切れないのが人間というもの。
寂聴さんが「太平洋戦争がはじまったときのこと」について語っていたのが、僕にはすごく印象に残りました。
瀬戸内:そして昭和15年に女学校を卒業して、東京に出て、女子大に入った年の、その次の年が真珠湾。十二月でしょ。ちょうどそのときは学期末の試験、明日試験があるので寮で一生懸命試験勉強してた。廊下で誰かが、真珠湾がなんとか! って叫びながら走っていく。その声にみんな部屋から出てね、「わーっ、勝った勝った!」って喜んでる。そのとき私が一番喜んだのは「明日試験がない!」ってこと(笑)。それでね、その日はもう勉強やめてグウスカ眠った。そして翌日になったら、試験はあったのよ(笑)。だからひどい点だった。そういう雰囲気でまだ切迫した感じではなかった。そのあとはリレーで水を運ぶ練習なんかをさせられてましたよ。空襲で火事になったとき、火を消すんだって(笑)。東京女子大だからわりあいとゆるやかだったわね。
あれだけ多くの人が亡くなった太平洋戦争のはじまりも、当時生きていた人がそのとき感じていたことは、このくらいのものだったのです。
「まだ、このくらいは大丈夫だろう」と思いがちなのだけれど、たぶん、あの時代の人たちもそんな感じで過ごしていて、いつのまにか後戻りできなくなっていたのではないかなあ、と。
90歳を過ぎてもしっかりと当時のことを覚えておられる寂聴さんは、本当に貴重な証言者だと思います。
ふたりの対話のなかで、いちばん意見が分かれたのは「原発について」でした。
でも、それ以外のところでは、けっこう「アウトロー的な共感」みたいなのも感じられるんですよね。
堀江さんも寂聴さんも、世間の「良識派」から、眉をひそめられながら生き抜いてきた人ではありますし。
「読むと死ぬのがこわくなくなる」というタイプの精神世界をテーマにした対談ではなくて、二人の時事放談がほとんどなのですが、この組み合わせが気になる人は、読んでみても損はしないと思いますよ。