琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】静かな退職という働き方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「静かな退職」――アメリカのキャリアコーチが発信し始めた「Quiet Quitting」の和訳で、企業を辞めるつもりはないものの、出世を目指してがむしゃらに働きはせず、最低限やるべき業務をやるだけの状態である。
「働いてはいるけれど、積極的に仕事の意義を見出していない」のだから、退職と同じという意味で「静かな退職」なのだ。

・言われた仕事はやるが、会社への過剰な奉仕はしたくない。
・社内の面倒くさい付き合いは可能な限り断る。
・上司や顧客の不合理な要望は受け入れない。
・残業は最小限にとどめ、有給休暇もしっかり取る。

こんな社員に対して、旧来の働き方に慣れたミドルは納得がいかず、軋轢が増えていると言われる。会社へのエンゲージメントが下がれば、生産性が下がり、会社としての目標数値の達成もおぼつかなくなるから当然である。
 そこで著者は、「静かな退職」が生まれた社会の構造変化を解説するとともに、管理職、企業側はどのように対処すればよいのかを述べる。また「静かな退職」を選択したビジネスパーソンの行動指針、収入を含めたライフプランを提案する。
 また「静かな退職」が、少子高齢化男女共同参画といった政府が直面する課題にどのような影響をもたらすかも著す。

「静かな退職」は、非難されるべき働き方なのか、それともビジネスパーソンの「忙しい毎日」を変える福音となるのか――「雇用のカリスマ」が解き明かす。


 少し前に、『働かないおじさんは資本主義を生き延びる術を知っている』という本を読みました。


fujipon.hatenadiary.com


 自分では「あまり働かないおじさん」だと思っている僕なのですが、自分の子供くらいの、いまの20代の働きかたをネットなどでみていると、「いやさすがにそれはヌルすぎないか」とか、「定時に帰るっていっても、他の人が残業している状況で帰るのって、かえって(人間関係的に)キツくない?」などと、老害的な発想に囚われてしまいます。

 人は、歳を重ねると考え方がおかしくなるのではなく、世の中の考え方の変化に「適応」できず、いつまでも自分が若かったり、業務の中心だったりした時代の常識を変えられずに「老害」になっていくのだな、と痛感しています。

 いやもう本当に、団塊ジュニア世代、1970年代前半生まれの僕からすれば、むしろ、「休むほうがめんどくさい」面もあるのです。
 同期のなかでは、「隙あらばどこかへ行っちゃう人」というポジションだったはずなのに。

「静かな退職」というのは、アメリカのキャリアコーチが発信し始めた「Quiet Quitting」の和訳で、企業(仕事)を辞めるつもりはないものの、出世を目指してがむしゃらに働きはせず、最低限やるべき業務をやって、給料をもらっている状態のことだそうです。
 正直、大部分の仕事って、そんなもんじゃない?とも思うのですが、僕が働いている医療業界でも、昔のように「医局で出世していずれは教授になりたい」という人よりも、専門職として安定した収入を得ながら、仕事に縛られすぎずに人生を楽しみたい、という人が多くなりました。

 大学を卒業して、直接、高収入で余暇も多い(らしい)美容形成外科に就職する「直美(なおみ、じゃなくて、ちょくび)」という選択をする若い医者が増えてきたことを嘆く先輩医師もSNSでよく見かけます。僕からすれば、美容形成外科は器用さとアートのセンスが必要で簡単じゃなさそうだし、毎日病院に寝泊まりして手術と術後管理、そして外来に病棟業務に学会発表に先輩との付き合いで飲み会なんていう若い外科医の働き方も「尋常じゃない」とは思うのですが。
 医療業界などの専門職は、なかなか「常識」にあてはめられないのも現実ではあります。


 著者は「労働生産性」について、こんな話をされています。

 実は、欧州のエリート(たとえばフランスなら「カードル」と呼ばれる人たち)は、おっしゃる通り、バリバリ働きます。また、高級ホテルやブランドショップ、ガイドブックに載るような有名レストランでは、日本以上に至れり尽くせりのサービスが供されます。そうした「きらびやかな世界」での生活しか知らないエリートは、一般大衆の世相がわからないのです。
 さて、件の”生産性”について、説明することにしましょう。
 実は、仕事とは「手を抜けば抜くほど、生産性が上がる」ものなのです。たとえば、前述した友人のラジオDJがした、バルセロナからアンドラ公国に向かったバスが(渋滞で時間がかかり、運転手の勤務時間が終わったからという理由で)途中で停まり、乗客を降ろした話を考えてみましょう。
 この運転手は定時通りに仕事を終え、全く残業をしていません。対して日本なら、サービス残業をしてまで、現地に乗客を送り届けていたでしょう。結果、労働時間あたりの売上(バス乗客の運賃総額)はフランスの方が上になります。 
 さらにこの場合、降ろされた乗客は、新たなバスに乗るか、タクシーを捕まえるかしなければなりません。その結果、新たなバス・タクシー料金が発生します。それは、すなわち消費=生産が増えたことに他なりません。
 どうですか?
 この事例は極端すぎるので、他にも考えてみましょう。
 たとえば、欧米系の衣料品や家具の量販店では、いつでも返品OK」と銘打っています。その分、けっこう不良品も多い。たとえば、1%の確率で不良品が発生したとしましょう。 
 一方日本は、不良品自体を恥ずかしいと考えがちです。だから、不良品発生率を0.1%まで下げるよう努力します。結果、「ジャパニーズ・クオリティ」と世界で評されてもいる。その良き面は私たちも誇らしく思っています。
 だけど、この場合、生産総量は不良品発生率の差分となる0.9%増えるのみです。でもそのためには、検品や修繕などで労働時間が2〜3割程度延びるでしょう。生産数量はたった0.9%しか増えないのに、労働時間が2〜3割延びれば、生産性は大きく下がります。


 「生産性」という観点から見れば、「渋滞で遅れたら、バスの乗客を途中で下ろしたほうが上がる」のかもしれませんが、ずっと日本で生活してきた僕にとっては、「それでも目的地まで行ってくれる(もちろん、サービス残業ではなくて、残業代は支払われるべきですが)日本のほうが、暮らしやすく、ストレスが少ない気はします。
 日本が「良いサービスを安く受けられる国」として観光地として人気になっているのも、こういう背景があるのだと思います。

 その一方で、日本の製造業は「高品質を売りにしているけれど、その特別な機能が、実際にはあまり使われず、価格が上がって競争力を失っている」のも事実なのです。日本製の電化製品は、とくに海外の空港などではあまり見かけなくなりました。
 でも、一度「高品質、高精度」を売りにしてしまうと、なかなか「品質を落として価格も下げる」というのは難しそうではあります。
 僕を含め、多くの日本人は「日本製」に信頼感はあるのだけれど、実際に買うときには、価格をみて海外の製品を選んでしまうのです。

 著者は、海外でもエリートたちはバリバリに働いている、というのをデータなども提示しながら紹介しています。
 日本人は働きすぎ、だとまだ思い込んでいるけれど、日本人の労働時間も、この数十年で、かなり減ってきていて、世界基準でいえば、もう「エコノミック・アニマル」なんて言えない状況です。

 この本では、日本の給料の特徴として、男性の大卒正社員の初任給とピーク年代を比較すると、大幅な昇給(企業の大きさによって異なるが、2〜2.5倍程度)が起きていることが指摘されています。
 それに対して、非正規労働者や欧州の(非エリートの)一般労働者は、ほとんど昇給しておらず、日本の非正規労働者はピーク時でも年収は400万円台なのだそうです。
「日本では『正社員なら誰もが昇給し続ける』が、非正規だと『低給から抜け出せない』」と著者は述べています。

 正規・非正規の格差はさておき、「給料が上がる」のは悪いことではない、と思うのですが、企業側にとっては、「高齢で実務には貢献しておらず、あまり収益に貢献していないのに、勤続年数の長さで高い給料をもらっている人」が増えていくことになるのです。
 
 だから、日本では高給のシニアがリストラの対象になる。でも、転職で武器になるような能力を持っているシニアは少ないし、給料が大きく下がることも多いから、いまの会社にしがみつくしかない。

 それに対して、年齢に伴う昇給がほとんどない欧米の一般労働者は、「仕事を理解しているベテランでも安い給料で安定した仕事をしてくれる(もちろん「野心的」ではないけれど)から、シニアが積極的に雇用されやすい」のです。
 若者、新卒者が歓迎される日本とは異なり、未経験の大学新卒者にとって、欧米の企業は「狭き門」になりやすい。
 
 どちらも一長一短、という感じではありますが、日本のほうが、「高齢者ほど、いまの会社にしがみつかなければならない状況」のようです。

 著者は「静かな退職」(いわゆる「働かないおじさん」としてプライベートな時間を楽しみつつも、会社から給料をもらい続けられる存在でありづけること)を成功させるコツについて、かなり具体的なノウハウを書いています。

 その際、重要になるのは心証です。同じ業績・成果を残しているのに、新章で損をすることは大きなマイナスに他なりません。ただし、心証点を稼ぐために、意味のない付き合いに参加したり、顧客の無茶な要望(たとえば棚卸しを手伝え!とか)に付き合ったりするのでは、「静かな退職」とは言えません。そうした手のかかることは一切せずに、心証点を上げる方法を考えていくことにしましょう。

 まず第一に気をつけるのは「身なり」「言葉遣い」「マナー」。
 同じ業績でも、日常の態度が悪いと、明らかに「ダメな奴」「評判が悪い」という烙印を押されてしまいます。会議でも、言っている内容は良いのに、「言葉遣い一つで、「あいつはダメだ」となってしまうのです。
 仮にもし、リストラが取り沙汰された場合、低業績者はもちろんですが、心証の悪い人も、厄介払い的にその対象に含まれやすいことは間違いありません。
 逆に言うと、マナーさえ一流であれば、話の中身に意義があるかどうかなど、多くの場合、あまり問題視されないのです。ここに気づいてください。
 そして、マナーなどはひとたび身につけてしまえば、何の負荷にもならないのです。
 つまりあなたの「持ち出し」はほぼないのに、確実に心証点を稼ぐことができるでしょう。


 なるべく「嫌われないようにする」「敵をつくらないようにする」というのは、安定した生活を継続するために、けっこう大事なことだと僕も思います。
 職業人として「必要とされる」ためには、「人が嫌がる、面倒くさがるような仕事も、快く引き受ける(ような態度をとる)」のも戦略のひとつ、ではあるのですが、「いい人戦略」というのは、やりすぎると、引き受けてくれる人のところに仕事が集まってくることに加えて、一度そのキャラクターと認知されてしまうと、断ったときに「この間は引き受けてくれたのに」と、かえってマイナスの印象を与えることもあるのです。
 そのあたりの「自分に振られる仕事を敵を作らずにうまくかわすコツ」みたいなものもこの本には書かれています。
けっこう「痒いところに手が届く」感じではあるのですが、この本に書いてあることを滞りなく実行するには、かなりの能力と気配りが求められそうです。

 それだったら、もう、一生懸命正攻法で働いたほうが、ラクなのではないか、とも思えてきます。
 「静かな退職」をちょうどいい感じで実現するために、ずっと最新の注意を払って、「なぜかクビにならないおじさん」になるのが「いい人生」だとは、僕には思えないのです。
30年くらい「日本的な労働環境」のなかで生きてきているし、年齢的にも「高齢者の給料を抑えろ」と今さら言われてもつらい、それこそ「貧乏くじ世代」じゃないか、と言いたくもなります。

 政府は今でも政策の軸足を「忙しい毎日」に置いています。まずここにボタンのかけ違いがある。
 たとえば昨今の政府が「人への投資」という名で進めている政策はどうでしょうか?
 リスキリングなどはその典型でしょう。
 これは、「日本人の給料が上がらないのは、スキルアップが足りない体。欧米の職業訓練のような技能底上げの仕組みを用意し、日本人も稼げる技術を身につけ、給料を上げよう」という考え方が基本にあります。もっと努力しよう、もっと頑張ろう、なのですね。
 でも、欧米に行けば、配達員もウェイトレスもレジ打ちも、みんな時給2500円をもらっています。彼らのスキルは高いですか? この本で何度も書きました。スーパーではスマホ片手にレジ打ちをし、ビニール袋を丸めてよこす店員もザラです。そんな「低レベル」のサービスでも時給2500円を稼いでいるのです。
 なぜ、こんな低レベルのサービスでも高賃金が稼げるのか?
 焦点を当てるべきは、そこでしょう。「そんなに頑張らなくても、いいんだよ」「いやむしろ、頑張らないほうが生産性は上がるんだ」──日本もそちらの方向に政策誘導しよう! これが正解じゃないでしょうか。


 これは、半分「煽り」みたいな感じではありますね。
 みんな生産性、生産性っていうけれど、数字を左から右へと動かすだけの、いわゆる「ブルシット・ジョブ」的な仕事や必要最低限のサービスに留めていくほうが、「生産性」は上がりやすいのです。
 でも、「生産性」を上げるために、バスの運転手が途中で帰ってしまったり、レジ袋を放り投げられるような社会を受け入れられるのか……

 たぶんそれは、今後の世代の課題になっていくと思います。
 個人的には、日本のサービスは、そういう「非効率的でも、完成度の高さを目指す」ことで、差別化されている、というメリットもあるような気もするのです。


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