琥珀色の戯言

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【読書感想】日本人の知らない 日本一の国語辞典 ☆☆☆☆


日本人の知らない 日本一の国語辞典 (小学館新書)

日本人の知らない 日本一の国語辞典 (小学館新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
日本には、『日本国語大辞典』が、ある。


成人した大人が理解できる言葉の数はおよそ5万語といわれている。その10倍以上の言葉を収録した日本で唯一の大辞典が『日本国語大辞典』。
この、世界に誇る国語辞典の完成を支えたのは、著者を含む3代にわたる辞書編集者一族だった。
そんな辞書編集者一族の物語、日国誕生から完成までの秘話に加えて、「声に出して読めない日本語」「カンカンゴゴ~混乱する日本語」「百年の誤読が生き残る日本語」「全然OKな日本語」などなど…日本語にまつわるエピソードも満載。
辞書編集の第一人者である著者が軽妙洒脱に綴る「日本語の来し方行く末」。


三浦しをんさんの『舟を編む』が、「本屋大賞」を受賞し、映画化もされたことをきっかけにした「辞書編集者ブーム」は、けっこう長く続いているようです。
この新書には、「日本で唯一の大辞典」である『日本国語大辞典』を編集した著者の「祖父、父、自分」という三代にわたる「辞書編集に携わってきた歴史と、辞書への想い」、そして、「ことばについての話」が書かれています。
最近は類書も少なくないのですが、そのなかでも「初心者向け」というか「辞書編集という仕事や、それをやっている人に興味があるのだけれど、あまり難しい話にはついていけそうにない」という人には、読みやすい一冊ではないかと思います。

 ほとんどの方が、『大辞泉』や『広辞苑』などを”大型”辞典と考えているかもしれません。しかし、これらは”中型”辞典と分類され、『新選国語辞典』『岩波国語辞典』などハンディなタイプの辞書が”小型”辞典と分類されているのです。
 では、大型辞典とは? ――実は、日本には大型辞典として分類される国語辞典はたった一つしかありません。
 それが、『日本国語大辞典』です。四十年以上前に刊行された初版は全二十巻、十四年ほど前に刊行された第二版は全十三巻と別巻からなっています。その収録語数たるや五十万を超えるという、まさに世界に誇る”日本一の国語辞典”なのです。

 日本には”大型辞典”って、たったひとつしかないのか……
 感覚的には、片手で持ち運ぶことができない『広辞苑』は、僕にとって”大型”だったんですけど。
 ちなみに、1951年の国立国語研究所の報告によると、小学校入学前の子どもが理解する言葉(語彙)は約5000語、二十歳の大人で5万語程度なのだそうです。
 また、小型辞典の収録語は7万〜9万語、中型辞典は20万〜30万語ぐらいなのだとか。
 むしろ、「よくそんなに載せる言葉があるな」と驚いてしまうくらいなのですが、それでも、見つけた言葉を片っ端から入れて50万語にするのではなく、それ以上の数の言葉のなかから、収録するかしないかを決めているとのことです。
 もちろん、コンピュータが収録語の取捨を決めてくれるわけではないので、これは、ひとつひとつ手作業で行われています。
 この新書を読んでいると、祖父、父、そして著者と三代にわたって、辞書作りへの思いが伝えられていることに驚くのと同時に、「毎日早起きして、1000語分の取捨を決めていく」などいう地道で気が遠くなるような作業を継続していく能力が受け継がれていることにも驚かされます。
 遺伝だけではなく、環境要因もあるのでしょうけど、こうして「家業」としてつくってきた人がいるからこそ、「辞書」というものがこの世に存在するのです。
 いやほんと、「人はなぜ辞書をつくろうと思うのだろう?」というのは、正直、僕には想像もつかないところではあるのですが。


 この新書には「いままで知っているようで知らなかった、さまざまな言葉の知識」が詰まっています。

 ここに挙げてきた例をみればわかるように、日本語は漢字を使うと読みにかかわりなく意味が通じる場合が多いので、読みが軽視される傾向は否めません。
 扉に「押」「引」と記してあったり、エレベーターに「開」「閉」という文字を見かけたりしますが、これらの漢字は記号化されていることもあり、どう読むかを問題にする人は、まずいないでしょう。以前は入場料を払う窓口に「大人」「小人」とあって、おとなと子どもの料金が表示されていました。最近では「大人」「子ども」という表示が多くなってきましたが、いまだに残る「大人」「小人」の読みも難しいものです。「大人」は「オトナ」でいいような気もするけれど、「小人」が「コビト」では変だし、「ショウジン」では意味が合わない。これを辞書で調べると「ダイニン」「ショウニン」と読むことがわかりますが、正しい読みはと聞かれて答えられる人はそうそういないでしょう。けれど、これも口に出して言う必要はないから、「オトナ、コビト」などと心の中で読んだとしても、それは一向に構わないわけです。


 これを読んで、僕は考えさせられました。
 たしかに「大人」「小人」という漢字と、それが指すものはわかります。
 でも、この「正しい読み方」なんて、意識したこともなかったなあ、と。
 それが漢字であれば、読み方は当然あるだろうし、頭の中では「オトナ、コビト」って読んでいたような気がするんですよ。
 あらためて指摘されてみると、「コビト」って、『白雪姫』じゃないんだから……という感じですが。
 逆にいえば、なんとなくで意味は通じているし、それで40年以上、とくに不自由したこともないわけですけどね。
 

 著者は、収録されている項目数だけでなく、解説の詳しさや用例について、こんなふうに書いておられます。

 この観点から他の辞書を調べてみますと、『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』など中型辞典の一項目の平均文字数は60〜70字。祖父が手がけた『大日本国語辞典』はというと、項目数約二十万、一項目平均約77字でした。
 され、『日国』ですが、初版は約45万項目で、一項目平均150字。そして、二版では項目数が増えて約50万項目となったうえに、一項目の平均字数も180字に及んでいます。類書に比べてずば抜けた情報量を収めていることになり、最大の国語辞典といわれることも納得していただけるでしょう。
 ちなみに、最近流行っているツイッターの文字数は140字、ショートメールが160字だそうですね。気軽に書いたり読んだりするのに適当な文字数なんだそうですが、『日国』の語釈の文字数がこれに近いというのも面白い偶然ですね。


 ツイッターの流行が「最近」なんて言われると、「いやいや、もうけっこう前からみんな使ってますよ」なんて言いたくなるのですが、古典文学の世界から現代まで、「ことば」を探しつづけている著者からすれば、「最近」だと感じるのも当然のことなんだろうな、と。
 

 コンピュータの普及によって、辞書の編纂にも、完成した辞書の大きななどを含む使い勝手にも、大きな変化が起きています。
 しかしながら、僕が生きているであろう、あと数十年の間くらいは、「自動的にデータを収集して、辞書をつくってくれるコンピュータ」には出会えそうにありません。
 僕はけっこう自分が地味な作業は得意なつもりだったのだけれど、辞書編集者の話を読むたびに、「これはレベルが違うな」と圧倒されてしまうんですよね。

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