- 作者: 矢口祐人
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/06/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
博物館から見える「奇妙なアメリカ」とは?
8つのディープなミュージアムを、東大教授が徹底調査!
第1章 進化論を「科学的に」否定する……………創造と地球の歴史のミュージアム(カリフォルニア州)
第2章「核のボタンを押してみよう! 」…………全米原子力実験ミュージアム(ネバダ州)
第3章 田舎町の巨大美術館は「成金趣味」か……クリスタル・ブリッジズ・ミュージアム(アーカンソー州)
第4章 アメリカ人が考える「罪と罰」……………犯罪と罰のミュージアム(ワシントンDC)
第5章 日系人が「アメリカ人」になるとき………全米日系人ミュージアム(カリフォルニア州)
第6章 ハリケーンは「天災」か「人災」か………ルイジアナ州立ミュージアム(ルイジアナ州)
第7章「9.11」はいかに記憶されるべきか………ナショナル・9.11メモリアル(ニューヨーク州)
第8章 真珠湾に浮かぶ「正義」と「寛容」………戦艦アリゾナ号メモリアル(ハワイ州)
8つの個性的なミュージアムを通じてみる「アメリカ」という国の現在。
日本では博物館や美術館は「真面目なお勉強をするところ」というイメージがあり、誰もが気軽に訪れるという感覚はあまりない。だからミュージアムを通して文化全体を考えるというのは、いささか奇妙なアプローチに思えるかもしれない。
しかしアメリカではミュージアムはとても人気があり、社会的に大きな影響力を持っている。大小さまざまな規模と種類のミュージアムがあり、その数は1万6000から2万にもなると言われている。また「アメリカミュージアム協会」の調査によると、同国のミュージアムを訪れる人の数は毎年8億5000万人にもなる。これはメジャーリーグ(MLB)、プロバスケットボール(NBA)、プロフットボール(NFL)などの主要プロスポーツの観客動員数に、ディズニーランドなどの有名遊園地の入場者数を足した合計(約4億8000万人)をはるかに凌ぐものだ。
こんなに来場者がいて、人々にとって「身近なもの」なんですね、アメリカのミュージアムって。
この本を読んでいると、アメリカのミュージアムには、僕でもすぐに思い浮かぶような絵画を展示した「美術館」や歴史的な遺物を収集した「博物館」とは異なる、「奇妙なミュージアム」が多数存在していることに驚かされます。
しかも、それがかなり大規模なもので、多くの人が来場しているのです。
成り立ちもそれぞれで、「ナショナル・9.11メモリアル」のような公的なものから、ある集団が、自分たちのイデオロギーを広めるためにつくったもの(「進化論」を否定している人たちが運営している「創造と地球の歴史のミュージアム」)、娘を犯罪で亡くした人がつくった、アメリカの凶悪犯罪の歴史をたどり、犯罪者が使っていた凶器や当時の報道などを展示しているもの(「犯罪と罰のミュージアム」)など、さまざまです。
進化論を否定し、『創世記』に記された「神のこの世の創造」を全面的に信じている人たちがつくったのが、カリフォルニア州サンディエゴの郊外にある「創造と地球の歴史のミュージアム」です。
日本で教育を受けてきた僕にとっては「トンデモミュージアム」という展示内容なのですが、アメリカでは、必ずしもそう見なされてはいないのです。
キリスト教信者の多いアメリカでは、聖書を字義通りに解釈する「原理主義者」と呼ばれる保守派を中心に、進化論を根拠のない「疑似科学」と断罪する傾向が強い。そのような人たちは、近代的な社会に住み、ごく普通の生活を営みながらも、創世神話と合わない近代科学を冒涜的で誤謬に満ちたものとして否定する。あくまで世界は神によって創造されたと主張するのである。
科学誌『サイエンス』に掲載された調査によると、アメリカで進化論を信じる成人は40%に過ぎず、ほぼ同数の39%は明白に否定し、21%は「わからない」と答えている。日本やヨーロッパ諸国で約80%の成人が進化論を真実として受け入れているのと対照的である。
進化論がすんなりと受け入れられている日本社会の視点からは、最新科学の成果を否定する創造論者たちは非近代的で反科学的な、時代遅れの集団にしか見えないだろう。無知で野蛮な人びとにすら思えるかもしれない。
確かにアメリカでも、創造論を唱えるキリスト教原理主義者たちは、しばしば反知性的で頑迷な集団扱いされることがある。
しかし実際の創造論者は知性に欠けているわけではないし、必ずしも反科学ではない。神の存在を否定する進化論には徹底的に反対するが、科学そのものを否定しているわけではない。
逆に創造論者は、科学を使って創造論を立証しようとさえする。すでに触れたヘンリー・モリスのように、「創造科学」という研究分野を築き、科学の研究成果を利用しながら、地球と生物が聖書の描写通りに誕生したことを示そうとしている。宇宙物理学から分子生物学に至るまで、さまざまな学問の最新の知見をもとに、進化論を徹底的に否定し、『創世記』の正しさを証明しようとする。
だから創造科学の推進者にとって、進化論と創造論をめぐる議論は、「科学」と「宗教」の対立ではない。「ふたつの科学」の対立である。創造論を科学的に立証しようとする者にとって、聖書にある創造の物語をめぐる議論は宗教論ではなく、客観的な科学データの理解をめぐる、科学論争なのである。
このミュージアムには「ノアの方舟」についての展示もあるそうです。
創造科学者にとって、聖書にある洪水と方舟の話はあくまで真実である。展示にはノアの方舟の模型が置かれ、その内部が再現されている。説明によると『創世記』に記されている方舟の形状は、現代の最新技術を駆使して設計する船の形とほぼ同じであり、それは計算上、工学的に最も効率の良いデザインだ。そこに「哺乳類が3700種以下、鳥類が8600種以下、爬虫類が6300種以下、そして両生類が2500種以下」の21100程度の種が乗っていたと推論されている。なお、創造科学によれば、すべての動植物はほぼ同時期に誕生したことになるから、この洪水の時点で絶滅していた動物は存在しない。したがって、ノアの方舟には恐竜も一緒に乗りこんでいたことになる。ミュージアムの外に立つティラノサウルスもいたことになるが、大人の恐竜は大き過ぎるので、小さな子恐竜が選ばれ、乗せられていたという注釈がある。
これほどの動物をノアがどのようにして集め、長期間船内に閉じ込めておくことができたのだろうか。そのような疑問に対しては、「動物は危機に直面すると特定の行動をとる」という動物生態学に基づく論が提示されている。つまり洪水の危険を悟った動物たちは、自らノアのもとに来て、素直にその指示に従ったのである。また、方舟内で動物がおとなしくしていたのは、神が一時的に動物を冬眠状態にしてしまったからではないかと推測されている。
そういえば、今年公開された、ラッセル・クロウさん主演の映画『ノア』では、方舟のなかの動物たちは、麻酔薬のような謎の気体で眠っていました。
あの映画も、それなりの「創造科学的根拠」のもとに、つくられていたのかな。
さすがにそれはムリがあるんじゃないか?と、僕としては言いたくなる理論のオンパレードなのですが、彼らは彼らなりの「科学」があるんですね。
そして、ある結果を実現するための「理屈」というのは、いくらでも思いつくことができる。
進化論だって、未来永劫「正解」であるとは限りません。
また、「全米原子力実験ミュージアム」には、こんなアトラクション(?)があるそうです。
このようにミュージアムはネバダ州の実験場での核兵器開発が、戦後世界の安全と繁栄に不可欠なものであったことを示そうとする。そこには核兵器の開発に対するためらいや異論はない。
その姿勢は数々の体験型展示に顕著に現れている。たとえば核爆弾を炸裂させるという、日本の感覚からするといささか信じ難い体験コーナーがある。「実験の責任者になって核爆弾を爆発させよう」という表示があり、「大きな声でカウントダウンをして、ボタンを押してみよう」という指示とともに、赤いボタンが用意されている。来館者が実際にカウントダウンをしてボタンの核爆弾を爆発させ、セダン・クレーターを作りました」という表示が出る。セダン・クレーターとは、浅深度核実験の衝撃で生み出された直径390メートル、深さ98メートルほどにもなる巨大な穴だ。子供たちを含め、数多くの来館者がこのボタンを押して、強大な破壊力を持つ核兵器を使用する快感を味わうのだ。
被爆国・日本で生まれ育った僕の感覚からすれば、「とんでもない体験コーナー」だとしか言いようがありません。
しかしながら、アメリカにとって、第二次世界大戦は「正義の戦い」であり、核開発もまた「必要不可欠だったこと」なのです。
ただし、著者は、「長崎の原爆の日」である8月9日に、このミュージアムの前で核兵器反対を訴えていたアメリカ人の団体がいたことも紹介しています。
彼らはミュージアム側と衝突するわけでもなく、反核のアピールをしながらも、警備の人たちと談笑していたそうです。
著者は、その光景に「イデオロギーの違いが有りながらも、彼らは『アメリカという国』を信頼していることで、繋がっている」のではないかと述べています。
ウォルマートの経営者一族が、一族にとっての縁が深い土地であるアーカンソー州につくった「クリスタル・ブリッジズ・ミュージアム」についての「社会的な評価」は、非常に興味深いものでした。
「金をばらまいて、アメリカの美術史上の名品を田舎町に集め、多くの人の目に触れにくくしてしまった」という評価もあれば、「おかげでふだん美術作品に接する機会がない地元の人たちが、身近に接することができる」という声もあり。
また、低賃金で労働者を酷使する「ウォルマート」の経営者一族が、それで儲けた金で、豪華なミュージアムをつくるということに対する疑問も出ているそうです。
絵に10億円払う金があったら、労働者の給料を上げたり、労働条件を良くするために使うべきじゃないか?と。
「芸術にかかるコスト」について、こういう問題は、どこにでもみられることなのですが、この「クリスタル・ブリッジズ・ミュージアム」は、いわゆる「ブラック企業」と「豪華なミュージアム」のコントラストを浮かび上がらせているのです。
とはいえ、この本を読んでいると、僕も一度行ってみたくはなったんですけどね、このミュージアムに。
けっこう交通が不便な場所だそうなのですが。
この本の巻末では、日本も「博物館大国」であり、年間の総来場者数は2億6000万人にものぼることが紹介されています。
たぶん、日本にも僕の知らない面白いミュージアムが、たくさんあるんじゃないかな。
ミュージアムでみる、アメリカ。
なんだか強引な企画だな、と思いながら読み始めたのですが、読み進めるにつれて、このアプローチは、すごく真っ当なのではないか、と感じるようになりました。
著者が「自分の正義」を押しつけずに、そのミュージアムについてのさまざまな観点を提供してくれているのにも好感を持ちました。