琥珀色の戯言

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【読書感想】いまこそ「小松左京」を読み直す ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容説明
大規模自然災害、ウイルス・パンデミック、科学技術の進歩と限界…。驚くべき精度で「現在」を予見した小松左京の作品に、いまふたたび注目が集まっている。彼はなぜ「未来」を見通すことができたのか?『日本沈没』をはじめとする代表作を読み解きながら、いちSF作家を超えた、戦後最大の知識人の洞察の淵源を探る。


 新型コロナウイルスの感染予防のため、外出がほとんどできなかった2020年の春、僕は久しぶりに、小松左京さんの『復活の日』を読み返しました。
 

fujipon.hatenadiary.com


 僕には映画版での、人類を救うために草刈正雄さんが演じていた主人公が命がけで基地に侵入するシーンを記憶していたのですが、本では、それ以前の「未知のウイルスで人類が滅亡していく様子」が克明に描かれているのです。30年以上前に、本も読んだはずなのに、すっかり忘れてしまっていました。

 小松さんは、新型コロナウイルスが流行するずっと前に、ウイルスによる人類の危機を描いていたのです。

 この新書では、評論家の宮崎弥さんが、小松左京さんの作品と、その世界観、SFというジャンルに与えた影響を語っておられるのですが、「小松左京は先見の明を持つ、『予言者』だった!」という内容を予想していた僕は、読み進めていくうちに、「あれ?」という気分になっていったのです。

 宇宙の構造と人間、あるいは人間型知性のあり様、そして個の存在の意味を繋ぐ「物語」としてのSF。これは小松SFのメインストリームである、いわば”宇宙構造探求系”の作品に共通する根源的なテーマです(この系列にある主な作品、『果てしなき流れの果に』『ゴルゴディアスの結び目』『虚無回廊』については第2章、4章、5章で重点的に紹介します)。
 ここで私達はある逆説に突き当たります。自然科学をはじめ、先端的なテクノロジーや哲学、心理学、認知科学言語学、論理学、社会学などを横断的に素材として取り込んできたSFが、機能としては古代から伝承されている神話や宗教的説話に近づいているという逆説です。
 神話や説話、黙示文学、叙事詩(以下、「神話類」と総称する)の多くは、世界の起源、宇宙の開闢(かいびゃく)、そしてその終末を描き出しています。しかもそれは当然にも、往々にして神などの超越的、外部的、あるいは形而上学的な存在の「御業(みわざ)」によると説かれた。そうして創造された世界(宇宙)において、個々、各私の生存の起源や由来、意味が定位される。「神話類」とは、このようにマクロな世界観からミクロな個々の生の意義までを一貫して基礎付け、総体的な世界構造を示唆する「大きな物語」です。
 SFが「神話類」に近づいているといっても、「神の死んだ」現代において、古の神話説話や中世の叙事詩がそのまま反復されるわけではもちろんありません。けれども、世界の存在理由、宇宙の存立構造を解き明かすことで個々の実存の意味を定める、という古来「神話類」が果たしてきた役割を、近現代において担ってきたのはSFなのです。

 ちなみに小松が少年時代に最も影響を受けた文学作品がダンテのキリスト教叙事詩神曲』であり、青年期には、埴谷雄高の『死霊』に傾倒したというのは象徴的です。逆に読書欲が旺盛な時期にも自然主義文学や白樺派には「全く興味がなかった」と切り捨てています(『SF魂』新潮新書)。


 この引用部を読んでいただければわかると思うのですが、正直、けっこう難しい本ではあるのです、これ。
 小松左京、という偉大な知性は未来を予言していた、すごいですね!というような内容かと思いきや、著者は、世間的な小松さんの代表作とみなされている『日本沈没』や『復活の日』については、あまり詳しく語ってはいません(それでも、『日本沈没』には1章を割いているのですが、今まさに話題になっている『復活の日』については、ほとんどスルーしています)。

 その代わり、『果しなき流れの果に』『ゴルディアスの結び目』『虚無回廊』のような、小松左京という人が、SFを通じて「人類、あるいは人間の存在意義」を探求しようとしていた(であろう)作品について紹介し、語ることに、多くのページが割かれているのです。

 僕は『日本沈没』『復活の日』の小松左京、というイメージしかなくて、「難しい」作品にはあまり積極的に触れてこなかったので、小松さんの「本質」みたいなものに対しては、ほとんど知らないままだったのではないか、と思ったんですよ。

 なぜSFは人類や国家の滅亡を好んで描くのでしょうか。小松は『拝啓イワン・エフレーモフ様』にこう書き付けていました。

破局)を設定することによって、はじめて人間が、人類が、そのモラルが、社会機構や文明や歴史が、いわばこの世界が”総体”として問題にされるのです。世界がその全貌をわれわれの前に現すのは、それが総体的に否定される時であり、<破局(カタストロフ)>の仮定は、単純でしかも力強い否定の様式の一つにちがいありません。そして現代社会においてはSFこそが、繊細な肥大漢と化して、それ自体の内面性との間に甘い対話をつづけながら身動きとれなくなった二十世紀前半文学に対して、単純で荒々しい破局の姿を提出しつづけているのであります(『拝啓イワン・エフレーモフ様)。


 従って、『日本沈没』がわれわれ読み手に突き付けているのは、大規模地震をはじめとする災害の脅威でも、防災のための国土改造の緊要性でもありません。もちろん道具立てが精巧であるため、そういう「用途」を期待して読むことも十分可能ですが、それは作者の本意からは離れています。
 この作品の意図は、全壊全滅の危機に瀕している状況を媒介として、戦後日本社会の「総体」を明確に炙り出すことにあった。これも一種の「思考実験」だったのです。


 日本が沈没するのも、未知のウイルスで人類が絶滅の危機に陥るのも、小松さんにとっては「道具立て」でしかないのだと著者は述べています。
 そして、その「道具立て」がきわめて精巧であるからこそ、そこに引き込まれていくなかで、読者はいつのまにか「このような弱い存在であるにもかかわらず、人間はなぜ生きるのか」と問われているのです。
 著者は、小松左京さんの創作活動の原点にあるのは、太平洋戦争中の小松さんにとってのさまざまな納得できない世の中の仕打ちと、戦争が終わったとたんに、それを捨ててあっさり「転向」してしまった社会への疑問であると書いています。
 こんなに簡単に変わってしまえる人間とは何なのか?もしかしたら「変わらなかった未来」みたいなものが存在するのではないか?
 小松さんといえば、大阪万博でも活躍されていましたし、SF界の中では政治とのかかわりも深く、未来を楽観しているようなイメージがあったのですが、内心では、「自分がみている世界は真実だといえるのか?」という問いをずっと抱えていたのかもしれません。

 小松は『自伝』で宗教や神学に関して「神とか仏とかそういうのを全部、一種の止揚アウフヘーベン)をすると、宇宙になるだろうと思う」(『自伝』)と述べています。

 人間がなぜ存在するかは昔から哲学が問題にしてきたけど、そのうち知性と情念が出てきて、知性は科学に、情念は文学になっていく。だけど科学的宇宙論、それから生命科学や進化論を含めた科学的文明論。僕はそういったものがこれから全部収斂していって、新しい科学的神学になるんじゃないかという気がするんだ。だから哲学者と神学者をもう一度来世紀にかけて復活させなきゃいけない。
 宇宙を物理現象として扱うんじゃなくて、何かもうちょっと大きくて高度な目的があると考えれば、宇宙は神学の対象になるだろう。地球は生命が発生して進化したけど、あのとき余計なことをしてくれたおかげで、いま僕たちが非常に悩んだり苦しんだりする。逆に僕たちが存在していることが、宇宙にとっては迷惑かもしれない。だから宇宙がなぜできたかというのは、やっぱり神学が解かなきゃいけないことなんだ。(『自伝』)


 かかる問題意識から、「神とか仏」ならぬ悪魔や地獄の存在、延いては本質的悪が、宇宙論的神学においてどのように位置づけられるかを物語によって追求したのが中編『ゴルディアスの結び目』だ、といえるでしょう。
 本作には、いろいろおぞましい記述や常軌を逸した描写も多数みられますが、『神曲』や『往生要集』の現代的なあり方と捉えれば得心がいきます。
 ちなみに、近年のキリスト教神学には、小松の提起に答えるような動向も認められるようです。


 『日本沈没』『復活の日』の小松左京しか知らない、という人にこそ、一度読んでみていただきたい本です。
 「世界の危機を予言してみせた」のは、小松さんにとって、「読者を引き込むための道具」でしかなかったのだなあ。


果しなき流れの果に (角川文庫)

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日本沈没 決定版【文春e-Books】

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虚無回廊

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ゴルディアスの結び目 (角川文庫)

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