- 作者: 宮藤官九郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/05/10
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (7件) を見る
Kindle版もあります。
- 作者: 宮藤官九郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
内容紹介
セリフを書きセリフを覚えセリフを喋って20年。人生の半分をセリフとの格闘に費やして来た宮藤官九郎さんが、思わず「いまなんつった?」と聞き返したくなるような名セリフをエッセイに! 『♪ドラゴン、ドラゴン、清少納言』、『喜劇は、誰が笑うか分かんないからね』、『宮藤くん! 警察!』、『塩がめっちゃかかってておいしいーっ!』などなど、テレビ・舞台・映画・音楽・家庭などで宮藤官九郎が耳にした膨大な言葉の中から選んだ名セリフばかり。いろいろ妄想しながらお読みください!
内容(「BOOK」データベースより)
セリフを書きセリフを覚えセリフを喋って20年。人生の半分をセリフと格闘してきた宮藤官九郎が思わず「いまなんつった?」と振り向いてしまうようなセリフをエッセイに。TV・舞台・映画・音楽・家庭で耳にした名&迷セリフばかり111個。巻末には、劇作家・俳優の岩松了が書きおろした岩松了の「いまなんつった?」を収録。
以前、宮藤官九郎さんの育児エッセイ『俺だって子供だ!』を読んだのですが、その後に週刊誌に連載されていた、この『いまなんつった?』は、ずっと「読もうと思いつつ、なんとなく読んでいなかった」のです。
今回、ようやく読んでみて、「ああ、なんでこれを後回しにしてしまっていたんだろうなあ」と、ちょっと後悔してしまいました。
別に「旬を逃したために、内容が古くなっている」というわけじゃないんですけどね。
このエッセイ集のなかで、僕にとってとくに興味深かったのが、脚本家としての宮藤官九郎さんが、自分の書いたセリフや演出などについて、分析している部分でした。
宮藤さんが書いた『ぼくの魔法使い』というドラマの最終回で、篠原涼子さんと伊藤英明さん演じる夫婦に男の子が生まれたとき、子供の寝顔をみつめながら、篠原さんが言うセリフ、
「親ってさあ、自分でなるもんじゃないんだね。子供が親にしてくれるんだね」
について。
あれ? 待って。5年前……うちのかんぱ(娘)が今年3歳。てことは……このセリフを書いた時点で俺まだ親じゃなかったんだ。いかにも経験に基づいたセリフみたいですが違ったんですね。2年後にかんぱが生まれ、丸3年に及ぶ子育てを経験した今、僕は声を大にして言いたい。
ごめんなさい!
子供は親になんかしてくれません!
むしろ逆で子供と一緒にいると自分もどんどん子供っぽくなっていく。散歩していたら頭の中は「座りたい」「休みたい」「タバコ吸いたい」。お絵描きしていたら子供より先に飽きちゃうし、びっくりドンキーで子供のハンバーグ横取りするし……やばい、完全に子育て日記に戻ってますね。
なぜ5年前の僕はあんな素敵なセリフが書けたのか? 思うに当時は子供が生まれて親になるという人生に幻想を抱いていて、その憧れに近い気持ちがあんなセリフを生んだのでしょう。極端に言えば「宇宙って広いよね」ぐらい現実感のないセリフだったのです。
子供のいる生活が現実となり、謎の高熱や謎の夜泣き、謎の脱臼、鼻水吸引などを経験し、マロングラッセ大のウンチを何度か手掴みでトイレにポイした今、「子供が親にしてくれる」なんて、ちょっと優等生過ぎて照れます。かといって「子供のウンチって外側はカチカチでも中は柔らかいから気をつけなきゃね」なんて書いたところで視聴者の共感は得られないでしょう。経験に基づいたセリフが必ずしも良いセリフとは限らない。むしろ未経験だから、知らないからこそ書けるセリフもあるんです。
ああ、こういうのって、わかるような気がする……
その「現実」を知らないからこそ、「良いこと」が書けるということって、少なくないと思うのです。
みんな、ドラマで「現実」を知りたいわけじゃないだろうし。
その一方で、「創作には人生経験が重要」だと主張する人もいるのですが……
このエッセイでの宮藤官九郎さんは、そういう「脚本家としての、セリフや舞台、役者さんへの率直な感想」を書いていて、なんだか親しみすら感じてしまいます。
そういうところが、「クドカン」の魅力でもあるのでしょう。
宮藤さんがこれまで影響を受けてきた人やドラマについての話も、僕と世代が近いだけに、「わかる」のですよね。
好きなドラマはいっぱいあります。
『ふぞろいの林檎たち』もちろん好き。
『淋しいのはお前だけじゃない』大好き。
『ザ・ハングマン』『池中玄太80キロ』『噂の刑事トミーとマツ』あと『毎度おさわがせします』ね。中山美穂さんかわいかったあ!
しかし影響を受けたドラマをひとつ挙げよと問われたら断然『刑事ヨロシク』なんです。
今や「世界のキタノ」と呼ばれる巨匠ビートたけし主演の刑事ドラマで、演出は久世光彦氏。26年前の作品でありながら全く色あせない。
ああ、僕も観ていました『刑事ヨロシク』。
ひとつ挙げよと言われて出てくるのがこれというのは、言われてみるとすごく宮藤官九郎さんらしいなあ、と。
まず度肝を抜かれるのはオープニング。いきなりたけしさんのフリートークなんです。
「いやーそれにしても刑事ドラマって嘘が多いですね!」とカメラ目線で延々毒を吐く。早口で。漫談です。そしてオチがついたところで、
「というわけで、刑事ヨロシク!」とタイトルコールするんです。
カッコいいっ!
ちなみにこれをパクった? いやオマージュを捧げたのが『タイガー&ドラゴン』です。毎回、登場人物が高座に上がり前回までのあらすじを語りカメラ目線で「というわけで、タイガー&ドラゴン」」……うーん、ごめんなさいパクリでした。
そうか、あれは『刑事ヨロシク』だったのか……
「どこまでネタバレしましょうか?」
映画を宣伝する際に必ず訊かれます。作り手としてはなるべく先入観なく観て欲しいので隠したい。でも宣伝側は少しでも興味を引きたいから公表したい。双方のせめぎ合いが続く。『少年メリケンサック』を例に挙げると「ダメOLがネット動画でパンクバンドを発掘する映画」では弱い。
「ところが、それは25年前の解散ライブの映像でメンバーはすでに中年になってる!」と、ここまで公表して初めて興味を持ってもらえる。その代わり本編を楽しむ時に「え、おっさん!?」という驚きが失われる。どっちが得なんだろう。
観たい映画をより楽しむためには、受け手側が意識的に情報をシャットアウトするしか無いのでしょうね。
大ファンの監督や役者さんが出ている「指名買い」の映画でなければ、予告編などをみて、劇場に足を運ぶかどうか決める人が多いはずです。
情報が少なすぎると、面白いかどうかわからなくて二の足を踏んでしまうし、逆に「予告編のほうが面白かった」と観終えてガックリするような映画もあります。
少なくとも、予備知識が多ければ多いほど、「意外性」は失われてしまいますよね。
2007年に公開された『パーフェクト・ストレンジャー』という映画は、「ラスト7分11秒まで、真犯人は絶対わからない。」というのが売りだったのですが、あらかじめそう言われていると「ああ、まだラストまで時間がありそうだから、このいかにも真犯人っぽい人は、犯人じゃないんだな」という観かたになってしまうんですよね。
あの『シックス・センス』も、「ラストに大きなどんでん返しがある」というのを知らずに観ていたら、もっと衝撃的だったと思うのです。
とはいえ、「最後にみんなびっくりするよ!」というのは、確かに有効な宣伝文句ではあるのでしょう。
作っている側からすれば、「本当は何も知らない状態で観てほしい」っていう作品は、少なからずあるのでしょうけどね。
巻末には、TBSプロデューサーの磯山晶さんと、「大人計画」プロデューサーの長坂まき子さんの対談が収録されています。
そのなかで、こんなやりとりがあるのです。
磯山:マグロは泳ぎを止めると窒息しちゃうから急速時でも止まらないって言うけど、宮藤くんは面白いことを次々に言ってないと前に進めない、みたいな(笑)。
長坂:隙あらばセリフやギャグを足そうとするからね。そうすると、情報量が多くなって、お客さんが流し見できる部分がなくなっちゃう……。宮藤くんの台本は、意外なとこで意外な人がいいセリフを言うから、敏感な人じゃないと全部は受け止められないよね。
磯山:洗い物とか「ながら見」していると気付かないことが多々あるので、ぜひ集中して見てください!
これを読んでいて、僕が宮藤作品を「ちょっと苦手」に感じている理由がわかったような気がしました。
僕は「ながら見」派なんだよなあ、基本的に。
現代を代表する脚本家のひとりである宮藤さんの作品が、テレビでは視聴率的に苦戦しているのは、こういう「大勢いる『ながら見』の視聴者向きではない」のが、ひとつの要因なのかもしれませんね。