琥珀色の戯言

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【読書感想】サザエさんの東京物語 ☆☆☆☆


サザエさんの東京物語 (文春文庫)

サザエさんの東京物語 (文春文庫)


Kindle版もあります(文庫版より少し価格高めです)。

サザエさんの東京物語

サザエさんの東京物語

内容(「BOOK」データベースより)
ワンマン母さんと串だんご三姉妹、女ばかりの長谷川家。極端な人見知りで知られる町子姉は、家の中では「お山の大将」。声も主張も人一倍大きくて型破り、そして甘えん坊だった―実の妹が時にユーモアを交えながら、ありのままに姉の素顔を綴る。「サザエさん」さながらの、賑やかで波乱万丈な昭和の家族の物語。


 『サザエさん』の作者、長谷川町子さん。
 これは、町子さんの妹である洋子さんによって描かれた、お母様と3人姉妹(町子さんは次女)の「長谷川一家の物語」なのです。
 この本のなかで、洋子さんは、あえて、「作家・長谷川町子」ではなく、「姉・町子」について描くことに専念しているように思われます。
 のちに、自ら『彩古書房』という出版社を起こした洋子さんですから、「長谷川町子の作品」についても、あれこれ語ることはできたでしょうし、思っていることもあったのではないでしょうか。
 でも、洋子さんは「作家論」ではなくて、「人間としての長谷川町子」を描くことにした。
 それは、妹である自分にしか書けないことだし、読者もそれを望んでいる、と。


 これを読みながら、太平洋戦争から、終戦、戦後を生き抜いた「長谷川家」について、考えずにはいられませんでした。
 長谷川家のお母さんは、貞子さん。
 長女・まり子、次女・美恵子(幼少時に病死)、三女・町子、四女・洋子。
 お母さんと、3人の娘たちという「女4人」の長谷川家なのですが、お母さんは配偶者の死後、再婚ではなく、自立の道を選びます。「自分で働いて、食べていく」という選択。
 戦後の日本で、それを貫いていくことは、すごく難しいことだったはずなのですが、敬虔なクリスチャンでもあったお母様は、妥協することがなかった。
 その「自立」の精神が、娘たちにも受け継がれています。
 長女のまり子さんは、結婚したものの夫は戦没し、町子さんは生涯未婚(「わたしに結婚生活は合わない」と仰っていたそうです)、洋子さんは結婚し、2人の娘さんにめぐまれましたが、経済記者だった夫は35歳で病死。
 なにかの大きな力で、「女性だけで自立して生きていくこと」を余儀無くされたかのように、長谷川家というのは「女性だけの家族」になるのです。
 途中に出てくる男たちが、短い期間で「退場」していくのは、男である僕にとっては、なんというか、ちょっと言葉にしづらいような不安を抱いてしまいます。
 そんな環境のなかで、「結婚とかに頼らずに、自分の力で生きていくこと」をお母さんから刷り込まれた長谷川町子という人が、あの「日本を代表するホームドラマ」を描いていたというのは、なんだか不思議ですよね。
 

 洋子さんは、町子さんの「内弁慶」な姿を、活き活きと描いています。

 町子姉は家の中では「お山の大将」で傍若無人、声も主張も人一倍大きかった。
「一人で五人分くらい騒々しい」と、まり子姉は時々、耳をふさぐようにして許していたくらいだ。
 我が家の中だけが彼女にとって本当に居心地のいい世界だったから、喜怒哀楽はすべて家庭の中で発散していた。何でも話せる友達でもいて、お酒でも飲めて、外でワイワイ騒げるタチなら、家の者達は助かったのだが。
 かねがね鬱晴らしは外でしてもらいたいと思っていたので、ご機嫌のいいときを見計らって、私が、
「少し我儘が過ぎるんじゃない」
と意見すると、
「我儘というのは、我のままということでしょう。それはつまり裏表のナイ、ウソのない人ということよ。わかったか、ボケナス!」
とうそぶいて改める気色もなかった。三つ子の魂百までと言うが、かつての悪童は閉鎖的な家庭の中で、そのまま大人になってしまったようだ。
サザエさん』という庶民の家庭漫画を描き続けながら、
「家庭漫画って清く、正しく、つつましく、を要求されるでしょう。だけど、それって私の本性じゃないのよね。だから『いじわるばあさん』のほうが気楽に描けるのよ。私の地のままでいいんだもの」
とよく言っていた。『いじわるばあさん』を自認していたということだろうか。その割には反省の色が少しもなかったと思うのだが。
 結婚についても、いくつか縁談があり、中には婚約までいきながら土壇場で断った例もあった。
「やっぱり私は結婚には向かない。ご亭主や子供の世話で一生送るなんて我慢できない。お嫁さんが欲しいのは私のほうだわ」
というわけで、町子姉の世話をし、こまごまとした家事を引き受け、三度三度美味しい食卓を用意して見守ってくれる家族を、姉は必要としていたのだ。


 長谷川家は、お母さんを中心にして、固い団結のもと、「戦後」を生き抜いていったのです。
 町子さんの仕事を支えるために「姉妹社」という出版社をつくり、家族で運営していました。
 ものすごく仲が良い「運命共同体」だったのだけれども、「仲間なんだから、裏切りは許されない」という束縛もあったのです。
 それが、良いとか悪いとか決めることはできないし(そもそも、洋子さんも長谷川家の経済的な恩恵は、少なからず受けているのですから)、その鉄の結束があったからこそ、長谷川町子という人は創作を続けてこられたのでしょう。
 それだけに、洋子さんが60歳を前にして、「独立」を希望したときの他の家族との軋轢は、読んでいてつらいものがありました。
 洋子さんの気持ちは、ものすごくよくわかる。
 その一方で、自分たちから離れることを選んだ「裏切り」に反感を抱き、結局、「ゆるす」ことができなかったお姉さん(まり子さん)の心境も、想像はできるのです。

 実は姉達が引っ越していってから一ヵ月間、私は多少の自由を経験したのだった。自由とはこんなにも素晴らしいものなのだったのか。それは生まれて初めての経験だった。目に見えない縄目から解放され、手足も心も、のびのびと動くことに感動した。
 些細なことでも自分の一存で決められるのは新鮮な驚きだった。六十歳に近くなってひとり立ちもおかしいが、これがひとり立ちできる最後のチャンスではないだろうか。
 いろいろ考えているうちに決心が固まってきた。
 姉達の新しい家は歩いても十分位の近さで、朝夕訪ねたり、共に食事をしたりするのに何の支障もない。必ずしも同じ屋根の下で暮らす必要がどこにあるのか。何も変わらないと思うのだが。


<今まで通り一緒に旅行したり観劇を楽しんだりしましょう。病気や困ったことがあったら助け合いましょう。ただ、私は自分らしく自分の選択した余生を送ってみたいのです>


 だから、
「私はこの古い家にとどまります」


「もう洋子さんも60歳近いんだから、自由にさせてあげればいいのに」


 でも、「そんな年になってしまったからこそ」お姉さんは、許せなかったのかもしれません。
 自分はもう、ここから逃げられないのに、ずっと一緒になってきたはずなのに、なぜ、あなただけがいまさら「脱出」しようとするのか、と。
 こういうのって、第三者としてみると「おとなげない、許してあげればいいのに」と思う。
 しかしながら、自分のことになると、なかなかそうはいかないんですよね。
 「許す」って言うタイミングを見つけることができなかったり、他人を許せない自分について考えるだけでイヤになり、思考停止したりしてまう。
(といっても、この本の内容からは、洋子さんは「絶縁」なんて激しいものを望んでいたわけではなく、ずっと一緒だった家族から少し離れて、ひとりで自由な生活をおくりたい、というくらいの、ささやかな希望にみえるのですが……)


 お母さん、お姉さんたちとの懐かしく、楽しい思い出と、その人生の後半になって訪れた「軋轢と別れ」。
 洋子さんは、お姉さんたちと和解できなかったことを悲しんではいるけれど、恨み言は書いておられません。
 それもまた、「長谷川家らしさ」なのでしょう。
 
 

 私達家族は、町子の健康が心配で、何かにつけて、
「こんなしんどい仕事は、もうやめたら」
と頼むのが常だった。しかし、一度だけ町子が、
「でもね、いい作品ができたときの嬉しさや満足感は、あなた達の誰にもわからないと思うわ」
と言ったことがあり、その言葉の重さに私は以来、口をつぐむことに決めた。
 サザエさんを応援してくださった、たくさんの愛読者の方達と、「誰にもわからない嬉しさと満足感」に支えられて、姉は後悔のない生涯を送ったのだと、私は思いたい。

 これは、洋子さんから町子さんへ、そして、読者への感謝の言葉なのですが、僕には、長谷川町子という人を公私にわたって、自分を犠牲にして支えながらも、「あなた達にはわからない」と言われてしまった洋子さんの寂しさが込められているように感じられました。

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