琥珀色の戯言

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【読書感想】弱い男 ☆☆☆☆

弱い男 (星海社 e-SHINSHO)

弱い男 (星海社 e-SHINSHO)


Kindle版もあります。

弱い男 (星海社 e-SHINSHO)

弱い男 (星海社 e-SHINSHO)

野村克也が死の直前に吐露した男の弱さとは、老いとはーー

プロ野球テスト生として南海ホークスへ入団以来、選手として、そして監督として輝かしい頂点を極めた不世出の男、野村克也。しかし最愛の妻を失い、生きることへの意志を喪った彼は、やるせない孤独に包まれた「弱い男」だった。本書は、貧困を極めた自らの幼少時代や妻・沙知代との、そして息子・克則との赤裸々な回顧であり、死の直前に自らの「弱さ」と真正面から向き合った、いわば「最後のぼやき」である。「弱さ」を抱え続けてきた人間だからこその「強さ」がにじみ出る野村克也ラストメッセージを、老いや死と向き合うすべての方々へ届けたい。


 最後のメッセージ……のつもりで御本人が喋っておられたのかどうかはわかりませんが、当初、出版社側が想定していた、この本を締めるはずの「弱さをさんざん語った上での、前向きな話」は、野村克也さんの逝去によって、失われてしまったのです。

 でも、その「リップサービスとして、前向きに語られた話」や「教訓」が無いことで、この本での野村さんの言葉は、ものすごく僕の心に沁みたのです。

 全編、ほとんど愚痴とボヤキ。

 貧しかった少年時代、働いてばかりで「幸せだったのだろうか?」と問わずにはいられなかった母親のこと。
 テスト生として南海ホークスになんとか入団したものの、1年でクビになりかけ、「クビになるんだったら、電車に飛びこむ」とまで懇願してプロ野球選手を続けさせてもらったこと。
 とてつもなく気が強く、夫にさえ「言っていた経歴は嘘ばかりだった」愛妻・サッチーこと沙知代さんのこと。

 読んでいると、野村克也さんが、行きつけの寿司店のカウンターで、ポツリポツリとボヤいているのを、店の片隅で盗み聞きしているような気分になってくるのです。

 でも、なんだか読んでいて、不思議な気分になってくるんですよ。
 さんざん「弱さ」や「愚痴」が語られているのだけれど、野村克也というすごい野球選手、「考え続けた人」は、自分の弱さを知り、「弱い人間が生き残っていくには、どうすればいいのか」工夫しつづけてきたのです。
 
 僕は50年近く生きて、自分が弱くて情けない人間だと思ってきました。
 その一方で、僕よりもずっと強いと思っていた人たちが、(僕からみたら)ちょっとした挫折で命を絶ったり、道を踏み外してしまったり、人生に絶望したりしたのを見てきたのです。
 弱い人間、失敗が多い人間には「挫折慣れ」「負け慣れ」している強さ、みたいなものがあるのではないか、とも思うのです。
 途中であきらめなければ、なんですけどね。


 この本のなかで、野村監督は、沙知代さんのことを繰り返し語っておられます。

 年寄り夫婦はどうやって過ごすのが普通なのだろうか?
 毎年、沙知代が好きだったハワイに行くのを別にすれば、二人で遊びに出かけるなんて、私たちはほとんどなかった。人生の余りもののような、オマケのような時間。仕事に忙殺されていた昔とは違って今は時間に余裕がある。
 長く訪れた暇は、お互いテレビを観ることで消化していた。それも一台のテレビを一緒に眺めるわけではない。私はリビングで、サッチーはダイニングで、別々にテレビを観ていた。同じ番組だったとしても、違うテレビで観ていたのだ。家庭内別居だよ。
 こう言うと、離婚寸前だったように思われるかもしれないけど、別に危機的状況にあったわけじゃない。少しずつ仕事が減っていくにつれて、ただ自然と会話の必要性も減っていただけだ。
 たいていは夫の仕事がなくなったら妻との時間が増えるものらしいけど、私の仕事は長らく沙知代に監督されていたからな。むしろ、仕事があるときの方が妻との時間は多かった。常に沙知代に監視、監督されていたんだね。
 監督を監督していたんだ。すごい仕事をしていたよ、サッチーは。
 私からすれば、サッチーの夫をしていた私の方がよっぽど大変ですごい仕事をしていたと言いたいところだけど、世間から見れば「監督の監督をしていたサッチーの方が立派だ」となるんだろうね。仕方ないよね。


 広島カープの小園選手が若くして結婚し、その相手について話題になり、「もっと野球に集中してほしい」なんて言うカープファンもたくさんいるのです。
 僕はそういう反応をみるたびに、「でも、野村克也さんは、妻がサッチーであの実績を遺したからなあ……夫婦って、他人がとやかく言うようなものではなかろう」と思っていました。
 

 沙知代がいるときは、まあ恐かったね。
 そもそも、「他の女に手を出そう」なんて思っていないけれど、それでも銀座に行くことはあった。自宅に帰ったら、沙知代は「そんなの気にしないわ」って涼しい顔をしていたけれど、間違いなく気にしていた。
 ホステスさんから営業電話がかかってきたら、その携帯はすぐお亡くなりになった。勘がいいんだよな。電話を取っちゃうんだよ。そして、先方を恫喝した後に、携帯電話を折ってしまう。一体、何本の携帯を折られたことか。
 先方だって、私に本気で恋愛感情を抱いているわけではない。誰がどう考えても、「お店に来て、お金を遣ってほしい」という営業電話だとわかるだろう。沙知代だって、そんなことは重々承知だろうに、怒髪天を衝く勢いとなってしまうのだ。
 その姿は異常だった。でも、それぐらいこの私のことが気にかかっていたのだろう。
 今から思えば、そんなやり取りでさえも懐かしく思える。


 す、すごすぎる……そもそも、携帯の本体って、けっこう高いし、そう簡単には折れないのでは……
 野村監督は監督で、けっこう難しい人だとは思うのですが、何度も語られているサッチーの修羅っぷりには驚愕してしまいます。
 よく、こんな相手と結婚生活を長年送ってこられたものだなあ、それこそ、プロ野球のスター選手であれば、引く手あまただったはずなのに。
 結果的には、人と人って、相性とか縁なのかな、なんて考えずにはいられないのです。

 野村監督は、このインタビューのなかで、「家族」のことを長く語っておられます。
 野球人として、「考える野球」「相手選手の配球やクセを見破る技術」を究めていった野村さんも、家庭人としては、ひとりの男であり、どこにでもいる夫で、父親だったのです。

 いつだったか、(野村)克則と親子ゲンカをしたときに、彼からこんなことを言われた。
「オレは父親らしいことを何もしてもらったことがない」
 この言葉はズシリと胸に響いたよ。図星だったからな。母子家庭で育ち、「父親とはどういうものなのか?」が、さっぱりわからなかったんだよ。「父として、子どものために何かをしたい」という思いは人並み以上に持っていたつもりだった。
 けれども、何をしていいのか、どうすればいいのかわからなかった。
 何もしてやれず、頼りない父親で本当に申し訳なかったと思う。


 野村さんは、選手として、解説者として、そして監督として、すべてトップクラスの実績を遺してきた稀有な人なのです。
 それでも、家庭人として、父親としては「どうすればいいのかわからなかった」。
 
 ああ、野村さんでさえそうなんだ……
 僕はこれを読んで、少し「救われた」ような気がしたのです。

 沙知代が亡くなってから、涙もろくなったよ。ドラマを見ていてもすぐに泣く。
 母が死んだときは「幸せだったの?」って聞いた。不幸な人生だったから。
 沙知代はどうだったのかな?
 幸せな人生だったと思うよ。私といういい夫を見つけられたのだから。
 私も幸せだった。
 野球があったから、ここまで生きてこられた。「野村克也」以上に、野球で成り上がった選手はいないだろう。やっぱり、幸せな人生だった。
 そして、沙知代がいたから、こんなに弱い私も何とかここまで生きてくることができた。世間において評価を受けることができた。それはすべて沙知代のおかげだった。
 私は本当に幸せだった。


 この本では、終始、野村監督が自分の「弱さ」を吐露しているのです。
 「老い」とはこういうものなのか、とせつなくなるのと同時に、結局のところ、野村さんは幸せな人だったのではないか、と思わずにはいられないのです。
 野村さんの訃報は、僕にとっては突然だったけれど、御本人にとっては、十分生き尽くして迎えた「終わり」だったような気がします。


野村ノート

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野村克也 野球論集成

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