琥珀色の戯言

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【読書感想】コレクションと資本主義 「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
いま最も注目される経済学者、水野和夫氏と、コレクションの歴史と現在を知り尽くした山本豊津氏。資本主義の誕生からそれが終焉したあとの未来まで、経済学から美術までを縦横無尽に引用して語り尽くす。


このタイトルと「内容紹介」をみたときには、「これ、一体何が書いてある本なんだ?」と、疑問になりました。
 アートと経済、というのは、たしかに、関係があるのだろうけど、僕のなかでは、なんだかうまく結びつけられなくて。
 「コレクション」というのが成立するのは、資本主義社会だから、というのはわかるのだけれど、「コレクションを知る」ことが、なぜ、「経済の核心がわかる」ことに通じるのか。

 
 読み終えての感想としては、なんとなくわかったような、わからなかったような感じなんですよ。
 ただ、この本を読みこなすには、ある程度の「アートへの興味と現代アートへの予備知識」が求められ、水野和夫さんの「フロンティアが失われることによる資本主義の行き詰まり」についての著書を何か一冊くらいは読んでおいたほうが良いと思います。
 いちおう御紹介しておくと、水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)には、「世界からフロンティアが失われ、すべての地域が『グローバル化』してしまえば、『後進地域からの労働力の搾取』ができなくなり、資本主義は行き詰まってしまうのではないか?」という話が書かれています(あくまでも、かいつまんで言えば、ですけど)。


 水野さんは、日本の現在の金利がきわめて低く、一部では「マイナス金利」にすらなっているということに触れ、「現実空間にも仮想空間にも投資先がなくなり、金余り状態になっている」と指摘しています。
 日本政府は国債を発行しつづけ、国民の「貧困率」は上昇してきている一方で、「お金を貸して一儲けしたいと思っても、貸す相手がいなくなってしまっている」のです。
 先日読んだ、銀行がカードローンによる個人への融資を重視するようになった、という現象は、まさにこの「大きな投資先が無くなってしまった時代」を反映しているのでしょう。


fujipon.hatenadiary.com

 これまでの著作で触れていますが、歴史上、低金利の時代がほかにもありました。七世紀初めのイタリア・ジェノバです。ジェノバ国債金利は、1555年に9%に跳ね上がったあと、1619年には1.123%まで下がり、その後、11年にわたって1%台で推移しました。シドニー・ホーマーとリチャード・シラの『金利の歴史』によると、紀元前3000年のシュメール時代から利子は存在していて、それまで過去最低の利子率は古代ローマ帝国アウグストゥス時代の4%ですから、十七世紀初頭の1.125%というのはたいへんな低金利ということです。
 十六世紀半ばから十七世紀初めにかけてのイタリアでは投資が全土におよび、資本が行き場を失いました。そこで何が起きたか? ジェノバ金利が史上最低になると同時に、資本が新天地を求めて動き出したわけです。それによって時代は封建社会から大航海時代を経て国民国家の時代へと変化します。地中海資本主義は終焉し、代わって近代資本主義が誕生してくる。すなわち政治・経済・思想上のパラダイム転換が起きたのです。
 こうしたパラダイム転換を、フランスの歴史学者であるフェルナン・ブローデルは、1450年から1650年までのおよそ200年間を「長い十六世紀」と称し、まさに世界史の大転換の時期だと指摘しています。この「長い十六世紀」の後半の100年が「利子率革命」の時期に相当するように、大転換期には利子率の大幅な低下が起きるのです。


 中国という巨大なフロンティアの開拓がピークを越え、東南アジア諸国やアフリカ諸国は、規模や地理的な条件を考えると、この「余った金」を注ぎ込めるほどの規模のフロンティアではなさそう。
 ITなどの仮想現実への投資も、リスクや限界がみえてきている。
 「長い十六世紀」の行き詰まりは、大航海時代の新大陸の発見によって、うち破られました。
 しかしながら、現時点では「長い二十一世紀」の出口が見えてこない。
 そこで、次に投資の対象となるものこそが「アート」ではないか、というのです。
 すでに天下統一が見えてきた時期の織田信長が、部下たちへの恩賞として、限りがある領土のほかに、茶器を活用したように。

「蒐集(しゅうしゅう)」は「収集」と発音は一緒ですが、微妙に違います。「収集」がたんに「集める」という行為を表すのに対し、「蒐集」は自分たちの価値基準に応じて分類し、選別しながら蒐めるというニュアンスが強い。
 旧約聖書の「創世記」に描かれている「ノアの大洪水」から近代、そして現代の西欧の歴史と発展の根本に、「蒐集」の思想がある。その端的な例が古代ローマの時代から植民地支配を経て、世界中から蒐められた膨大な美術品や文化財、歴史的遺物などのコレクションです。
 イギリスの大英博物館やフランスのルーヴル美術館に行くと、一日では回りきれないほどの膨大な展示品があります。彼らはたんにモノを蒐めて持ち帰ったのではありません。世界中の珍しいもの、貴重なものを選別し、蒐めることが「力」になると知っていたのです。
 そこには世界中の富や財を蒐集することで自分の富を肥やすという、直接的な蓄財の意味もあったでしょう。しかし、それ以上に重要なのは、世界中の価値を集め、自分たちの価値観によってそれらを体系化し、「世界を所有すること」です。そして、それらを一般に公開することで、所有している「自分の立場と力を誇示すること」なのです。所有する側はつねに、所有される側の上に立ちます。大英博物館が膨大なコレクションを無料で公開しているのは、決して気前がよいからではありません。コレクションを公開することで自分たちの力を誇示し、ヒエラルキーの上位にいることを世界中の人に知らしめたいという意図と戦略があるからです。


 「アートは、その時代に力をもっている地域・国に集まってくる」のは事実なのです。
 ナポレオンは侵略した国の美術品をフランスに持ち帰ってルーヴルで展示しましたし、大英博物館には、イースター島から運ばれてきたモアイの像があります。あんなに大きくて重そうなもの(とはいっても、モアイ像のなかではそんなに巨大ではないものですが)を、わざわざ運んでくるなんて……
 「そんな酔狂なこと」をやってみせるのが、権力の誇示につながるのですよね。


www.tripadvisor.jp


 バブル時代の日本でも、ものすごい値段で、絵画を買っていた人がいました。
 そういえば、最近は、日本がらみで、そういう景気の良い話はほとんど耳にしないですよね。

山本豊津:アートの世界でも、中国は欧米に並ぶマーケットになっています。美術品関係の世界最大のデータバンクであるフランスのArtpriceが発表した「2016年上半期世界美術品市場報告」によれば、美術品のマーケットシェアは中国が23億1760万ドル(35.5%)で1位、アメリカは17億4885万ドル
(26.8%)で2位、次いでイギリス(21.4%)、フランス(4.6%)、ドイツ(1.6%)の順です。


水野和夫:2017年3月に『フォーブス』が発表した世界長者番付では、保有資産10億ドル以上のビリオネアの数はアメリカが565人で1位、次いで中国が319人で2位につけています。そうした富裕層が絵画を買っている。
 

山本:そもそも中国では、お金が絵画などの美術品に回りやすい。というのも、彼らには日本人のような土地神話がないからです。中国は共産主義国ですから、基本的には土地私有ができない。人民が買えるのは土地の所有権ではなく、70年間の使用権だけ。それゆえ土地を資産として購入するという考えが弱いし、不動産に対する思い入れは日本人に比べてはるかに低い。そこで余ったお金が絵画や古美術品に回るわけです。


水野:それにしても、いまや世界でいちばんアートを買っているのが中国人というのは驚きですね。


 現代アートというのは、作品そのものの魅力というより、「これまでのアートの文脈のなかで、どのような位置づけにあるのか」「どんな言葉で説明できるのか」が重視されているように思われます。
 それは「日常生活において、絶対的に必要ではないし、役に立つわけでもないもの」だからこそ、「値札がつけられない価値」が生まれてきるのです。


 山本さんは、最近みたという展覧会の話をされています。

 2017年6月にヴェネツィアピノー財団の美術館で見たダミアン・ハーストの展覧会は衝撃的でした。対談でも少し触れましたが、ハーストは紀元1~2世紀くらいにインド洋に沈んだ難破船から多くの古代美術品を引き揚げたという体で、それらを展示したのです。すべてはつくり話で完全なるフェイクですが、その徹底ぶりに驚かされます。彼は十年の歳月と巨額の資金を投資して、仮想の難破船「アスピストス」(ギリシャ語でアンビリーバブルの意味)号に満載した蒐集品を実際にインド洋に沈め、そこから引き揚げ作業を行い、偽物の美術品を展示しました。
 展覧会場に入るとまず驚かされるのが、三階建ての建物の大きさはあろうかと思われる巨大な人物像です。ところどころ壊れ、海藻や牡蠣殻のようなものがまとわりついていて、不思議なリアリティを感じさせます。さらに金銀宝石などの財宝が展示され、引き揚げの際に実際に撮影されたビデオが上映されていました。
 ここまでくると、フェイクとはいえ圧倒的な存在感です。200点に及ぶ大小の展示品のなかには本物の古美術品も紛れ込んでいて、虚構と現実の区別が次第に曖昧になっていく。するとそれをあざ笑うかのように、展示品やビデオのなかにミッキーマウスマクドナルドのロゴが紛れ込んでいるのを発見するのです。
「大丈夫かい? これはフェイクなのだよ」。ハーストが舌を出している姿に気づいて、見ている私たちは我に返るのです。


 この展覧会、僕も観てみたくなりました。
 現代アートって、ある意味「言いくるめられる快感」をもたらしたもの勝ち、って感じもするのだよなあ。
 そもそも、貨幣とか資本主義だって、みんなが信じているだけのフェイクだとも言えます。


 正直、著者の趣味が前面に出すぎていて、鵜呑みにしかねる気はするのですが、アート好きで、水野和夫さんの著書を面白いと感じたことがある人は、読んで損はしない新書だと思います。


資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書)

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