あらすじ
ベトナム戦争の最中だった1971年、アメリカでは反戦運動が盛り上がりを見せていた。そんな中、「The New York Times」が政府の極秘文書“ペンタゴン・ペーパーズ”の存在を暴く。ライバル紙である「The Washington Post」のキャサリン(メリル・ストリープ)と部下のベン(トム・ハンクス)らも、報道の自由を求めて立ち上がり……。
2018年、映画館での9作目。
遅めの時間だったこともあり、観客は僕も含めて2人だけでした。
メリル・ストリープとトム・ハンクスの共演。
この映画を観終えて思ったのは、「これを日本の権力者べったりの新聞記者に観せたい」ということでした。
冒頭で、ベトナム戦争に至るまでのアメリカの歴代大統領の発言が流されていくのです。
最初は「アジアのことはアジアで解決すべき」「アメリカの若者たちに血を流させる必要はない」と言っていたはずの権力者たちが、次第に「自由と民主主義のため」にベトナム戦争に介入することを是としていくのをみて、僕は怖くなったのです。
「軍事的介入はしない」と約束したはずなのに、一度、関わりを持ってしまえば、ズルズルと深入りしてしまう。国の名誉とか、自分の政治家としての評価とかを気にするあまり、手を引くタイミングを失って、「勝てそうもない(あるいは、あまりに被害が大きすぎる)戦争」を続けてしまう。
たぶん、最初の頃のアメリカの人々は「ベトナムなんて遠い国に、本当に介入する必要があるのか?」「自分の身近な人を戦場に送るなんて、とんでもない!」と思っていたはずなんですよ。
ところが、戦争というのは、はじめてしまったら、そう簡単にはやめられない。
日本もいま、「国を守るために戦争ができる国にしますけど、実際は戦争はしませんからね!」っていう政治家の言葉に、なんとなくその気になりつつあるけれど、近い将来、いつのまにか戦争をしているのではなかろうか。
そんなの「何もしないから、ちょっと休んでいこうよ!」っていう男の言葉みたいなものですよね。
最前線の視察に派遣されたアメリカ国防総省のスタッフの報告を受け、「戦況が芳しくない」ことを知っていながら、権力者たちは「戦争に負けた人」として歴史に残るのを嫌って、戦争を続けてしまった。いやむしろ、次々に兵士を戦場に送り込んで、犠牲者を増やしてしまったのです。
権力者たちにとっての「不都合な真実」が政府の機密文書となり、外部への公開が禁じられていたのを知ったアメリカの新聞社(ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポスト)は、その機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を情報提供者から入手し、記事にするのです。
ただ、僕の感覚からすると、これはニューヨーク・タイムズの「特ダネ」であって、ワシントン・ポストは「後追い」というか、悪く言えば「いいとこ取り」みたいなものだよなあ、とも感じたのですが。
この映画、予告編を観たり、「あらすじ」を読んでいると、メリル・ストリープさんが演じている「The Washington Post」の社主・キャサリンは「報道の自由のために闘う、勇ましい人」のように思うのですが、作中ではむしろ「社交界の人脈と親や夫の威光で、ワシントン・ポストの社主としてまつり上げられている人」として描かれているのです。
特ダネを抜いた、抜かれたという世界で勝負してきた、トム・ハンクスが演じるベンを信頼し、記事については基本的に「お任せ」です。
キャサリンは、ファミリー・ビジネスとしてのワシントン・ポストをなんとか潰さずに次世代に引き継ぐことだけを考えていて、あとは、政財界の要人たちとの人脈というか、サロンの主としての立場を大事にしていました。
この「ペンタゴン・ペーパーズ」をめぐって、ワシントン・ポストは大きな決断を迫られます。
政府や権力者の強い拒絶や妨害、株の上場ができなくなるリスクと、「大スクープであり、異国で負け戦を余儀無くされているアメリカ兵たちの現実を知らせる」という報道の使命のあいだで、キャサリンは大きく揺さぶられることになるのです。
ベンをはじめとする現場の記者たちは、「報道の自由のために闘う」ことを求めますが、彼ら記者たちは、もしこれで政府に刑事告発されたり、新聞が潰れても、かえって「メディア人として、名を上げる」ことができる可能性も高い。彼らにだって、「正義」だけではなく、個人的な野心もあったはずです。
しかしながら、ワシントン・ポストの社主であるキャサリンにとって、「ペンタゴン・ペーパーズ」を記事にすることは、ワシントン・ポストのメディアとしての躍進のチャンスではあるけれど、これまで築いてきた政財界への人脈や会社をすべて失ってしまう可能性が高い危険な賭けです。政府を敵にまわすことにもなります。
彼女には、この記事を差し止めることができる。
もちろん、その場合は、有能な記者たちを失うことになるでしょう。
とはいえ、記事を出さなければ「最悪でも、そのくらいの被害で済む」のです。
僕ならどうするだろうか……たぶん、日和ると思う。
ベンは、キャサリンに問うのです。
「これまでは、政治家と新聞記者が仲良く食事をして、ネタをもらったり、不都合なことはあえて書かないというのが当たり前の時代だった。でも、そんな時代は、もう終わりなのではないか。新聞は、メディアは、誰のためにあるのか?」と。
ベンも、けっして「真っ白」な人間ではなかったし、ある有名な政治家と昵懇にしていました。
でも、彼は、ある大きな事件がきっかけで、「権力者とメディアの一線」を知ることになったのです。
キャサリンは、基本的に「上流階級の人たちと、仲良く過ごしていきたかった人」だと思います。
そして、この映画での彼女の決断を、スピルバーグ監督は「理想に燃えて」というふうには描かなかった。
僕には「いままで選択することを許されなかった人間の意地」あるいは「半ばヤケ」のようにもみえました。
そして、そういう「強い決心なのだか、ヤケになってしまったのか、よくわからない人」の演技が、メリル・ストリープさんは滅法上手い。
首相と一緒に食事をしながら、仲睦まじく「意見交換」をしている「政治記者」は、誰のために仕事をしているのだろうか。
権力者の傍にいることによって、自分も権力を握ったつもりになっている、いや、実際に周囲から「忖度」されているのではないか。
アメリカのメディアが半世紀前に悩み、そして断ちきった呪縛に、まだ日本のマスメディアはとらわれている。
日本でマスコミが信頼されなくなったのは、彼らが、こちら(読者・国民)のほうを向いていないことに、みんな気づいてしまったからであって、活字離れとか、ニュースに関心がなくなったからではないのかもしれません。
もっとも、アメリカでも紙の新聞はどんどん淘汰されているのが現実ではあるのですが。
いま、スピルバーグ監督がこの映画を撮ったのも、こういう道をくぐりぬけて「浄化」されたはずのアメリカのメディアのなかに、「政権のプロパガンダ」ばかりやっているところ(某F○Xニュースとかです)が出てきて、しかもそれが多くの人に支持されているという現状への不安があるからだと思うのです。
日本のメディアは……とはいうけれど、これは、日本に限った問題ではありません。
そうそう、ひとつ言っておきたいのは、こんな重い話ではあるのですが、この映画は、エンターテインメントとしても、十分楽しめる、ということです。
結果はわかっているはずなのに、「どうなるんだろう?」と思わずにはいられない。
さらに、ベトナムの戦場の描写とか、巨大な輪転機がまわって、大量新聞が印刷される様子は圧巻です。
そのシ—ン、なくても映画としては成立するはずなのに、ものすごくお金かけてるんじゃない?
でも、そういう、「なんでここまで?」と感じるシーンこそが映画のアクセントになり、観客の記憶に残るんですよね。
やっぱり、スティーブン・スピルバーグは、凄い監督だなあ。
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