- 作者: 中島らも
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- 作者: 中島らも
- 出版社/メーカー: 集英社
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内容紹介
睡眠薬、シャブ、アヘン、幻覚サボテン、咳止めシロップ、毒キノコ、有機溶剤、ハシシュ、大麻やLSDもあれば、アルコールもある。ドラッグのオンパレードである。著者自らが体験したリーガルなものもあるし、話に聞いただけのイリーガル・ドラッグもある。古今の作家の生活や名著などもひきながら、話は「人はなぜ快楽を求めるのだろうか」へと進む。煙の向こうにひとの本質が見え隠れするような傑作ドラッグ・エッセイ。
AmazonでKindle版のセールが行われていたのをみて購入(現在はセールは終了しています)。
この『アマニタ・パンセリナ』、1995年に単行本が出た際に一度読み、文庫化されたときにも読んだ記憶があるので、今回は20年ぶりくらい、ということになります。
最近、中島らもさんと喋ったときのことを書いたというブログを読んで、周期的に訪れる「中島らも熱」みたいなものが立ち上がってきていたのですよね。
20年以上前の本を読んで、面白いのだろうか?と思いつつ読み始めたのですが、やっぱり面白かった。
そして、20年前に読んだときとは「こんなドラッグがあるのか」と感心しながら読んでいたのですが、今読むと、ドラッグの話よりも、「中島らも」という人の体験と、その語り口の上手さ、そして、「こういうふうにしか生きられない人々」と一緒に暮らしながらも、「彼らの観察者でもあった」中島らもという人の立ち位置について考えてしまうのです。
僕が青少年であった1960年代から1970年代は、右を見ても左を見てもラリ公だらけだった。集団中毒だったのである。
そんなわけで、僕も睡眠薬の中毒を経験している。しかも、いままでに三回、経験している。
一度目は、フーテンをしていた十八から二十二、三歳まで。
二回目は二十六から二十八歳まで。
三回目は三十歳から三十三歳まで。
後になるほど中毒度はひどかった。
「なに。おまえはアル中のほかにラリ中もやっていたのか」
と叱られそうだ。もっと叱ってください。そうなんです。
初めてハイミナールを見たのは、十七くらいのときではなかったか。
当時、神戸周辺のフーテンやヒッピーは、三宮の”バンビ”という、かわいらしい名のジャズ喫茶にたまっていた。
高校生だった僕は、友人たちとおそるおそるその伏魔殿に通い始めたのだった。
年季のはいっていそうなフーテンがゴロゴロしていた。むずかしそうな話をしているのもいるし、トロ~ンとラリっているのもいる。
僕らは小さくなっていた。
その喫茶店は、三階にトイレがある。
ある日、僕はトイレの窓から何気なく外を見てみた。
二階のひさしの出っぱりのところに、なにやらいっぱい紙箱が落ちている。
よく見ると、全部睡眠薬の箱だった。
「なるほど、こりゃ聞きしにまさるところだな」
と、僕はとてもうれしくなった。
神戸に、そんなところがあったのか……
僕が生まれ少し前くらいの日本には、そんなアンダーグラウンドな世界があったのです(今も、僕が知らないだけで、「あるところにはある」のかもしれませんが)。
1960年代半ばにアメリカで生まれたヒッピー・ムーブメントが日本に輸入された時期でもあったんですね。
らもさんは、この本のなかで、妻の美代子さんと二人の子供たちと一緒に、大勢の「ヤク中」たちと同居していた時代のことを書いておられます。
らもさんは、大麻解禁論者であり、咳止めシロップ中毒、アルコール依存の一方で、「国策として、兵士たちの好戦性を増すために使われた薬」である覚せい剤(ヒロポン)に対して、強い嫌悪感を繰り返し表明しているのです。
「もともとクスリがないと生きていけない人」ではない「素人」の無知を利用して「元気が出るから」「ダイエットできるから」と騙して「シャブ漬け」にするのは許せない、と。
僕からすると、どっちも「麻薬」じゃないか、という気もするのですが、その「区別」は、らもさんにとっては、すごく大事なことだったみたいです。
この本をいまあらためて読んでみると、中島らもという人は「薬物に依存せざるをえないような人間や人生というのもあって、それはもう、運命みたいなものなのだろう」という「諦め」と「赦し」の入り混じった感情を抱えていたのではないか、と感じるのです。
自虐や反逆のツールとして使われているうちはクスリもたいしたことはない。問題はクスリが手段から目的にかわっていく瞬間にある。連続使用していると、睡眠薬の場合、その瞬間はけっこう早くくる。
友人の中では、Sがこの状態から戻ってこれなくなった。
彼は天才的なブルース・ピアニストで、鋭い作家でもあったのだが、いつの間にか完璧な睡眠薬中毒におちいっていた。
喫茶店の片すみにSを見つけて話しかけると、彼は僕の顔もさだかに見分けられないらしい。
顔を上げてひとこと、
「いい顔してるでしょ」
ニタリと笑う。
その顔を見ると、たしかにいい顔である。ガリガリにやせて、顔色は蒼黒く、薬疹が出て肌全体に吹き出物ができている。
そのうえ、何度も手首を切ろうとする。
そのたびにナイフやフォークを取り上げねばならない。仕方がないからスプーンを渡しておくと、それで手首を切ろうとしてこすっている。
おとなしくなったところで、かついで帰る。
これはもう、完全な廃人だ。
後日、Sはなんとか自力で立ち直って、フランスへ留学に行った。あれほどの中毒からどうやって立ち直ったのか、くわしくは知らない。たぶん、生きるべくさだめられている人はそういう風になるのだろう。死ぬ人間もたくさんいるのだから。
そのうちに、僕はサラリーマンになり、睡眠薬でラリることとも縁が切れた。
結局は「さだめ」なのではないか、というのが、らもさんの人生観だったのかもしれません。
この本のなかでは、うつ病で「死んでしまいたい」という気持ちにとりつかれ、遺書を準備し、死に向かいつつも、「家族のこともやりたいこともまだあるから、死ぬわけにはいかない」と葛藤したときのことも書かれているのです。
ギリギリのところで、マネージャーに助けを求め、らもさんは「生きる」方向に舵を切ったのです。
ところで、公演中にケリー・フォン・エリックがピストル自殺した。
馬場と死闘をくりひろげた、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの息子である。
プロレスファンの間では、「呪われた鉄の爪一家」と呼ばれているが、たしかに六人ほどいた自慢の息子レスラーたちが、次々と亡くなっていく。もう残っているのは、ケビン・フォン・エリックくらいだろうか。
ケリーは馬面に長髪、目を見張るような引き締まった巨体の持ち主だった。得意技は免許皆伝の「鉄の爪(アイアンクロー)」である。ところがこの人は何年か前に交通事故にあった。片方の足がぐしゃぐしゃになるほどの骨折で、もはや再起は不可能だろうといわれていた。
ところが、リハビリをして、彼は何年か後には再びリングに立ったのである。足はあまり動かない。それでもアイアン・クローを武器に、リングに上がっていた。この人の闘う動力になったのは、コカインだった。
十年近く、コカインを吸ってはリングにあがり、それが警察の知るところとなった。
有罪判決が出た数日後、彼はピストルで自らの頭を射ったのである。
裁判所のバカめ、と一言申し添えて、今回は筆を擱(お)く。
ちなみに、エリック一家では、フリッツ・フォン・エリックは1997年に他界し、1995年にプロレスからは引退していたケビン・フォン・エリック(フリッツの次男、ケリーの兄)は現在も存命です。
この話、僕は「とはいえ、やりがいがコカインじゃなくてもよかったのでは……」とも思うし、裁判所が、「そういう理由ならOK」とは言い難いのもわかるんですよね。
でも、ひとりのプロレスファンとして、「裁判所のバカめ」と言い捨てずにはいられない中島らもさんの気持ちも伝わってきます。
癌の患者さんに対しては、苦痛を緩和するための医療用モルヒネの使用が許されているのですが、人生における、耐えがたい苦痛は、癌だけによってもたらされるわけではないでしょうし。
早逝してしまった中島らもさんだけど、本人にとっては、「がんばって長く生きた」のではないかと、僕は思うようになりました。
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