- 作者: 小笠原弘幸
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2018/12/19
- メディア: 新書
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内容紹介
オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。
「オスマン帝国」って、「オスマン・トルコ」のことだよね、と読み始めたのですが、著者によると、研究者たちは、この呼称を用いることはないそうです。
この国が国号として「トルコ」という自称を用いることはなかったし、オスマン帝国の歴史上、トルコ系の人々がマジョリティであった時期はきわめて短く、他民族からなる帝国としてその歴史を紡いできたからである。帝国臣民を構成する主要な民族だけでも、アルバニア人、セルビア人、チェルケス人、ギリシャ人、クルド人そしてアルメニア人など、枚挙にいとまがない。
もちろん、ある民族が支配者として統治し、さまざまな他民族が被支配者の立場にあるという国家は他にもあったろう。しかしオスマン帝国の特異性は、支配エリート層をむしろ非トルコ系出身者が占めていたことにある。トルコの貴顕の血を誇った王家にしても、36代におよぶ歴代君主のうち、トルコ系の生母を持った君主は初期の数例に過ぎない。こうした理由から、「トルコ」という民族名を付してこの国を呼ぶことは、ふさわしいとはいえない。
というのが、学会の考え方なのですが、現在のトルコ共和国では、エルドアン大統領率いる親イスラムの公正発展党政権下で、オスマン帝国は「偉大なる我々トルコ人の過去」としてアピールしているそうです。
そのおかげで、オスマン帝国を再評価する機運が高まり、歴史的な研究も急速に進んできている、とのことでした。
600年あまりも続き、コンスタンティノープルを陥落させて東ローマ帝国を滅ぼし、アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる版図を得て、いまから100年前にはまだ存在していたこの大帝国なのですが、日本語で簡便に読める通史はほとんどなかったのです。
僕も、キリスト教側からみた「敵国」としてのオスマン帝国は知っていても、主役としてイメージしたことはほとんどないような気がします。
しかしながら、こうしてその歴史を追っていくと、個性的な皇帝たちや、宗教と官僚、軍隊のバランスをうまくとっていくための政治形態や駆け引きなど、興味深いところがたくさんあったのです。
オスマン帝国には、日本やヨーロッパ、中国とは異なるシステムが少なからずありました。いや、システムというより、価値観の違いと言うべきなのかもしれません。
しかしオスマン朝では、生母の貴賤が問われることはほとんどなかった。これは、イスラム法にもとづいている。すなわちイスラム法では、母親の身分にかかわらず、認知さえされていれば、子が持つ権利は同等なのである。たとえば37代続いたアッバース朝のカリフたちは、ふたりを除く全員が奴隷を母をしていた。母が奴隷であることは、カリフたちの権威をなんら貶めなかったのである。オスマン朝においても、ほとんどの君主の母は奴隷であった――さらにいえば、彼女たちは非トルコ系の(元)キリスト教徒であった。こうしたことは、当時すでにオスマン朝がトルコ・モンゴル的な家族制度を脱ぎ捨て、アッバース朝のような王家のあり方を取り入れていたことの証左である。
1451年、二度目の即位をはたしたメフメト二世がまず行ったのは、弟アフメトを処刑させることであった。アフメトは、父ムラト二世がジャンダル侯国の王女ハティージェとのあいだに儲けた王子で、まだ生まれて間もない乳児だった。これが、悪名高いオスマン帝国の「兄弟殺し」――スルタン即位時にその兄弟を処刑する慣習――の創始である。
自分の兄弟を、しかも乳児を殺すなんて、残酷きわまりない、と思うのですが、スルタンが自分の地位を安定させるために、この「兄弟殺し」というのは、それなりの合理性があったのです。
兄弟による相続争いで衰退した国はたくさんありますし、スルタンの母親が奴隷というのは、その実家が権力を握るのを抑止することにもつながっていました。
時代が下っていくと、「兄弟殺し」は行われなくなってはいくのですが、権力を維持するうえで、「自分の親類縁者を取り立てて、本家をサポートさせる」というのと、「お家騒動を防ぐために、身内や親戚を遠ざける」のとどちらが良いか、というのは、権力者にとって、世界共通の悩みのようです。
ちなみに、「兄弟殺し」が行われなくなっても、しばらくは、兄弟を宮殿の奥に隔離しておく、という措置がとられていたのだとか。オスマン帝国では、王家に生まれるのもラクじゃなかったのですね。競争を勝ち抜いて、スルタンになるか、殺されるしかないのだから。
オスマン帝国の長きにわたる存続を可能ならしめたのは、卓越した王位継承のコントロール・システムと、王権を支える柔構造の権力体制であった。また、スルタンをはじめとする帝国の人々の持つ帰属意識は、濃淡の差こそあれさまざまであり、複数のアイデンティティを同時に持っていることもあった。こうした同床異夢のなかで、緩やかな統合が果たされていたのが前近代のオスマン社会であった。
そしてオスマン帝国にとっての近代とは、こうした前近代のオスマン帝国が持っていた弾力性や多層性が深刻な挑戦を受けることと同義であった。すなわち、近世までの帝国の特性である柔構造が、均一かつ同質な国民国家を形成するという潮流が世界的に加速するなかで機能不全を起こしたのである。イェニチェリに代表されるさまざまな特権を持つ団体が排除されていったこと、あるいはイスラムの庇護のもとに不平等ながらも共存していた非ムスリム臣民がナショナリズムに目覚めて帝国から独立していったことは、その表れである。
オスマン帝国は、多彩な民族が集まってつくられていただけに、民族意識が高まった時代に衰退し、分裂していったのは、歴史の必然だったとも言えるのでしょう。
むしろ、これだけの帝国が、600年も命脈を保ったのは、驚くべきことなのです。
さまざまなスルタンのエピソードも含め、読みごたえのある「オスマン帝国通史」だと思います。
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