- 作者: 安田浩一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/07/19
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- 作者: 安田浩一
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内容紹介
戦前右翼、反米から親米への転換、政治や暴力組織との融合、新右翼、宗教右派、そしてネット右翼・・・。戦後右翼の変遷をたどる。
僕はこの本のタイトルと著者が安田浩一さんというのをみて、「左翼側からみた、右翼批判」なんだろうな、と思い込んでいたのです。
僕にとっての安田さんのイメージは、『ネットと愛国』『ネット私刑(リンチ)』など、「ネット右翼や在日差別と闘っている人」だったので。
でも、この本を読んでみると、著者は、「右翼」というものを十把一絡げに批判しているわけではないのです。
僕のような「戦後民主教育を受けた、やや左寄り」の人間にもわかりやすく、受け入れやすく、日本の「右翼」は、太平洋戦争後にどのように変わり、枝分かれしてきたのか、が書かれています。
いま40代の僕が子どもの頃にみてきた「右翼」というのは、街宣車に乗って軍歌を大音量で流しながらやってきて、時代錯誤の軍国主義的な主張をがなりたてる、近づいてはいけない人々、だったんですよ。
日本では、「右翼」に対して、そういうイメージを持っている人は多いのではなかろうか。
安田さんはさまざまな「右翼団体」の関係者に取材して、彼らの言葉をこの本のなかで紹介しているのです。
安田さんには「左寄り」っぽいイメージがあったのだけれど、丁寧に右翼の人たちにも話を聞いておられます。右翼の人たちも、「一方的にヘイトスピーチをまくしたてる」ような連中ばかりではないのです。
著者は「はじめに」で、こう書いています。
プロレタリアートの前衛たる左翼に対して、右翼を「民族の触角」と表現したのは民族派の重鎮として知られた野村秋介だった。
時代への感受性と、危機に直面した際の順応性を、野村は火事場の半鐘に喩えた。
尻込みしない。素早く駆け付ける。人々の命を守るために自らが盾となる。必要とあらば、そのための暴力でさえ肯定した。人々の素朴な心情に寄り添うのが右翼だと説いた。
「弱いものが強いものに抗するための暴力が必要な時はある。だが、一般の人に体を張れと言うことはできない。そのために民族運動家がある」
それが野村の持論だった。実際、野村は大資本には容赦なく戦いを挑んだが、在日コリアンなどマイノリティに対する差別は許さなかった。
日本の右翼には右翼としての”正史”がある。欧米列強に立ち向かい、財閥の腐敗に憤り、農村の疲弊に涙した。まさに民族の触角として危機を感受し続けてきた。
野村さんは、カッコいい人だなあ、と僕も思うのです。
しかしながら、日本での「右翼」は、「人権」よりも「国家」を重んずるということで、「君側の奸臣(主君の近くにいて、権力をふるって悪事を行う臣下)を除く」という名目でのテロリズムが正当化されてきた歴史を持っています。
ペンは剣より強し、とは言うけれど、現実の暴力にさらされても、自分の主張を曲げずにいられる人は、ごくわずかなのです。
著者は、自らの取材経験をもとに、「本物の右翼」と「ネット右翼(ネトウヨ)」との境界が曖昧になっていることを指摘しています。
というか、僕もずっと「右翼」とは、街宣車で乗り込んでくる怖い人たちだとしか思っていなかった。
そこで、著者は戦後を「終戦から70年安保まで」と「『反共』から『改憲』へ」といういう二つの時代に大きくわけて、右翼の歴史を俯瞰しています。
この本の素晴らしいところは、教科書的に「俯瞰」するわけではなくて、実際に右翼として活動してきた人たちの肉声が収められていることなのです。
著者は「右翼」について、こんなふうに解釈しています。
右翼には、左翼のような教典がない。左翼には社会主義、共産主義という”目的”とすべき政治体制があり、マルクスの『資本論』をはじめとする”教科書”にも事欠かない。左翼は設計図と戦略をもって、社会主義に向けて階段を上っていく。ところが右翼はあるべき国の姿を設計する左翼のような政治的回路を持たない。具体的な設計図が存在しないのだ。
右翼はきわめて心情的なものである。一般には歴史と伝統を重んじた保守であり、異なる他者に対しては排他的で、復古主義であることが右翼だとされる。理念というよりは情念に近い思考だ。右翼思想がこだわるのは国と民族だ。風雪に耐え抜いてきた国と民族、それを支えてきた風土を守り抜くことこそが、概念としての右翼である。
だからこそ、国によって右翼の在り方には大きな差異がある。欧米では有色人種や移民の排撃をうたうネオナチが右翼の象徴的な姿であるし、南米やアジアでは富裕階級の利益を守る軍事独裁政権が右翼とされた。これらの姿形は様々で、目指すべきものも違うが、それでも共通するのが保守的、復古的、国粋的、そして「反左翼」であるという点だ。
著者は、のちの「日本会議」にもつながってくる「大東塾」という右翼団体をつくった影山正治さんの息子である正和さんのもとを訪れています。
正和はいま、個人としては直接に政治に関わることはしていない。大東塾の同人として農場の責任者を務め、神社を守り、同時に東京都酪農業協同組合の理事として、地域活動に取り組んでいる。自らは右翼であると名乗らない。
農場の一角に小さな小屋があった。入り口の引き戸を開くと、ケージに入った何匹もの猫は一斉に鳴き声を上げた。「捨て猫保護の活動をしているんです」と正和は目を細めた。
ケージの間から手を差し入れ、猫の頭を撫でる正和の温和な表情から、少なくとも影山家の血の記憶は見えてこない。
早朝から日が暮れるまで牛の世話に追われ、安全で美味い牛乳をつくるためにはどうすればよいのかと常に頭を悩ませ、神社を守り、捨て猫を保護し、そして地域の自治会長も務める正和の生き方は、右翼のイメージには遠いかもしれない。
だが、それこそ本来の「保守」ではないかとも思えた。
「保守」とは思想ではなく、生き方の問題である。伝統を尊び、時代の流れに翻弄されることなく、地域や社会に尽くすことではないのか。日章旗を乱暴に振り回しながら街を練り歩くことで保守だ、愛国だと悦に入っている連中は、こうした地に足の着いた生活をどう感じるであろうか。
ああ、本当の「保守」って、たしかにこういうものなのかもしれないなあ、と思いながら読みました。
この本を読んでいて感じたのは、右翼の有名な活動家には、左翼から「転向」した人がけっこう多いということなんですよ。
政治運動に関わりたい、とか、世の中を自分の力で変えたい、という情熱においては、左翼の人も右翼の人も共通していて、左右どちらに行くかは、その人がその思想に出会ったタイミングや人の縁で決まるものなのかもしれません。
左が正しい、右が正しい、というよりは、「世の中のために自分が何かやりたい」というエネルギーがどちらに向くか、だけではなかろうか。
そして、彼らの反対側にいるのは、この正和さんのような「地に足が着いた生活をしている人」のような気がします。
こういう生活というのも、息苦しさを感じる人は多いだろうし、そんなに簡単なものではないのでしょうけど。
それでいいのか――そんな私の問いに対し、「それでいいんですよ」と返したのは、在特会の地方支部長のひとりだった。デザイン社を経営しているこの男性はこう話した。
「ハードルは低くていいし、入り口は広いほうがいい。運動体として、あらゆる人を受けいれた方が力は強くなる。だからネットの力は重要です。それぞれが抱えた不満や危機意識を結びつけることができる。お手軽すぎるという批判も耳にしますが、大事なのは手段ではなく目的ですからね」
一般的な運動論として耳を傾ければ違和感はない。だが、在特会は手段はもとより目的も間違っている。異質な他者を排除することには何の正当性もない。それではナチスとまったく変わらないではないか。
在特会が隆盛を極めていた13年ごろまで、多くのメディアはこの組織を「過激な右派集団」と論じていた(私も同様の表現を用いていたことがある)。だが、いまにして振り返れば、これは「過激」でもなんでもない。間違っているだけだ。いかなるロジックをかき集めたとしても、属性を理由に人間を排除することが正当化できるわけがない。
本当にその通りだと思うんですよ、今になって考えてみると。
「間違っている」と言うのが怖くて、あるいは、その主張のなかに、一部なりとも頷けるところを見出してしまっていたからこそ、「間違っているだけ」だと言いきれなかった。
そうやっているうちに、その「過激さ」に少しずつ慣れてしまうところもあるのです。
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴とののしられた世の中を、私は経験してきた」
そんな言葉を残したのは2016年に亡くなった三笠宮崇仁親王だった。軍人として中国大陸に派遣された経験から、偏狭なナショナリズムが暴発したときの怖さを知っていた。
政権批判しただけで「売国奴」だと罵られ、在日外国人であることをもって「出ていけ」と脅迫されるようなこの時代を、三笠宮親王ならばどう評したであろうか。
右翼は国家権力の手足として振る舞うだけでよいのか。そんな思いを抱えながら本書を書き上げた。右翼は社会の矛盾に向き合うことから、足場を固めたはずだ。市民社会やマイノリティを威嚇するだけの右翼など、あまりに惨めではないか、不公平、不平等の涙から生まれたはずの右翼が、日本社会を、地域を、人の営みを壊しているような現状が残念でならない。
ネット右翼の人たちにこそ、読んでみてもらいたい本なのですが……とりあえず、「右翼」のことをよく知らないまま、敬遠していた人たちにおすすめです。
- 作者: 安田浩一
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