琥珀色の戯言

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【読書感想】美貌のひと 2 時空を超えて輝く ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

愛と裏切り、交差する運命
名画は現代の私たちに何を語りかけているのか――。

実在した絶世の美女やおとぎ話の姫、殺人現場に立つ妖艶な女性。寵愛を受けた王を退位に追い込む「傾城の美女」や結ばれぬ恋。異様な自己耽溺を見せるナルシス、男性版ファム・ファタール(運命の女)。一枚の絵のなかに切り取られた一瞬には、罪や裏切りをも孕んだドラマチックな生が凝縮されている。
圧倒的な美は善悪を軽々と超え、人々を魅了する。誰もがうらやむ美貌は、時として災いや呪いとなるのかもしれない。有名作品から知られざる一枚まで、時空を超えて輝く男女の美と生き様を40点以上のカラー作品で読み解く。話題作『美貌のひと』の第2弾。


 中野京子さんの「絵画解説シリーズの新書」は、書店で見かけると、つい、手に取ってしまうのです。
 これ、前に買ってなかったよな……と少し不安になりつつ。
 この『美貌のひと』では、「美男美女」を白雪姫、ナルシスといった伝説上の存在から、20世紀まで生きた、比較的近年の実在の人物まで、さまざまな人の肖像画が出てきます。

 それぞれの絵の人物について紹介された文章を読んでいると、端的にまとめられた人物伝になっていて、「美しさを武器にして成功した人々」の栄枯盛衰について考えずにはいられないところもあるのです。
 僕自身は、昔から「鏡を見るのも嫌い」で、自分のルックスに全く自信がなく、福山雅治に生まれてみたかった……と思っているのですが、モテる人というのは、それはそれで捌ききれないほどの好意を向けられて大変な面もあるみたいです。
 美しいがゆえに、容貌のことばかり取りざたされる、ということもある。


 ヘンリー・メイネル・リームの『白雪姫』の絵の項より。

 白雪姫は死んでなお美しかったので、小人たちはガラスの棺に入れて山の上に据え、毎晩見張りを置く。こうして長い時が経ったある日、一人の王子が現れ、死人に恋をした。棺を譲り受け、家来に運ばせる。
 ふつうメルヒェンにおける王子は、ヒロインにとって完璧な存在の象徴だ。若く、ハンサムで、優しく、勇敢で、大金持ちで、いずれ国を治める。
 だからこそ王子との結婚がハッピーエンドになる。ところが白雪姫のこの王子にはネクロフィリア(屍体愛好)の妖しい気配がたちこめる。異様だ。
 さて、城へもどる道すがら家来は石に躓き、棺をひっくり返しそうになった。
 そのはずみで白雪姫の喉に詰まっていた毒リンゴのかけらが口から飛び出し、息を吹き返す。そして二人の結婚式に継母を招き、焼けた鉄の靴をはかせて死ぬまで躍らせましたとさ。とっぴんぱらり。


 継母のさまざまな罠に何度も注意喚起されながらも引っかかってしまう白雪姫には呆れるのですが、ネクロフィリア、とか言われると、そのときの白雪姫の遺体の状態とかを、想像してしまいますよね……毒リンゴが外れたからといって、生き返るものなのだろうか。『ドラゴンクエスト』の呪文じゃないんだからさ……
 こういう「元の話」を読むと、いま童話として一般的に語られているものは、かなりマイルドに改変されているようです。

 中野さんは、「白雪姫も、後年、自分の娘に嫉妬するようになるかもしれない」と書かれているのですが、自分が子どもの頃にされてイヤだったことを、自分の子どもにやってしまいがちなのは、事実なんだよなあ……とも思うのです。

 それぞれの人物紹介には、「中野信子史観」的なものが含まれていて、ちょっと考えすぎ(あるいは下世話すぎ)なのでは……と思うところもあるのですが、それが中野さんの絵画観の魅力でもあるんですよね。
 アートというものは、聖なるものだと思われがちだけれど、「聖なるものを、聖なるままでは受けとめきれない普通の人たちにわかりやすくしたもの」が宗教画である、と考えることもできるのです。

 19世紀後半から20世紀前半のアメリカを生きた、アニー・オークレーという女性を描いたポスターも紹介されています。

 アニーは1860年リンカーンが大統領になった年に、オハイオ州の丸太小屋で生まれた。両親はイギリスから新大陸へ渡ってきたクエーカー教徒(プロテスタントの一派。人間は神の啓示を直接受けることができると説く)。
 父が病死したのはアニーが6歳の時。極貧のため、ほとんど学校へ通えず(そのため読み書きを覚えたのはだいぶ後になる)、近所の家の手伝いや、罠を使った狩猟で鳥を捕まえて家計の足しにした。8歳になると罠ではなく猟銃を使いはじめ、自らの才能を知る。百発百中だった。仕留めた獲物をホテルやレストランに売りさばき、家族を養った。
 当時はロデオや射撃大会が盛んだったので、アニーも賞金稼ぎにいくつかの大会に参加し、盛名を馳せるようになる。銃を肩にかつぎ、鏡を見ながら背後の的に当てたり、トランプのハートの6を空中に投げ上げてもらい、ひらひらと地面に落ちる前に6つのハートマーク全てを撃ち抜いたというから驚く。後年、エジソンが発明したキネトスコープによる映画にも出演し、早打ちの腕前を披露している(今もネット動画で見られる)。


 ミュージカル『アニーよ銃を取れ』のモデルになったアニー・オークレーさんなのですが、この本のなかには、アニーさんの絵が描かれたポスターとともに、1903年頃に撮影されたという、40代前半の本人の写真も掲載されているのです。事実は小説より奇なりと言いますが、その写真が、すごい美人であることに僕は驚きました。絵に描かれた「美男美女」って、画家の脚色が加えられたり、時代ごとの美醜の観念が異なっていたりして、実際はそんなにたいしたことはないのでは……と思っていたのですが。
 人を見かけで判断するな、とは言いますが、「美しい」というのは、それだけでひとつの「武器」というか「財産」ではあるのでしょう。僕自身は芸能人には全く縁がないのですが、東京で働いている知り合いは、「いや、人気の女優さんとかは、本当に、その場にいるだけで『オーラが出ている』のだ」と熱く語っていました。

 ちなみに、著者の中野信子さんは、アニー・オークレーについて、こう書いています。

 メリーランド州に自邸を建て(現国家歴史登録財アニー・オークリー・ハウス)、慈善事業も行いつつ、アニーは女性たちに銃の扱い方を教授した。
 彼女が生涯に教えた生徒は1万5000人にものぼる。アニーはわかっていたのだ。もしアメリカに生まれていなければ、そして銃がなければ、自分は底辺を這いずりまわる生涯だった、と。
 だが銃教育は、かつての自分と同じ境遇の女性を救うためだけではなかった。
 銃は、か弱く小さな女であっても身を守る大きな助けとなる。
 アメリカ西部を車で走ったことのある者なら、人っ子ひとりいない広大な荒野の恐怖を知っているだろう。現代でさえそうなのだ。都会暮らしでは決してわからない。まして当時の危険な状況では、女性が自ら身を守る術を知っておくのは必須だった。
 さらに射撃は──日本の弓道にも似て──精神と肉体の鍛錬でもあると、アニーは強い信念をもっていた(銃規制論者の意見もわかるが、アメリカの成り立ちを考えれば、文化や価値観の異なる他国が軽々しく批判できるものではないかもしれない)。

 銃所持が厳しく規制されている日本で生きてきた僕にとっては、銃による犯罪が多いアメリカは危険に感じるし、規制すればいいのに、と思うのです。
 しかしながら、アメリカの歴史的な経緯を鑑みると、「弱い存在が自分で自分の身を守るには、銃が必要なのだ」という主張も、合理的なものではあるんですよね。
 銃があるから危険が増す、でも、銃が無いと、その危険に対して自分の身を守れない。
 世界から銃がすべて消えてしまえば良いのかもしれないけれど、それは現時点では夢物語です。

 読むことによって、何かすごい教訓を得られるとか、賢くなる、ということはないと思うのですが、いつか、どこかの美術館で、みんなが一瞥して通り過ぎる作品に、自分だけが目を留めることがあるかもしれない、そんな気持ちになる本です。


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