琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ある行旅死亡人の物語 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、 
あなたは一体誰ですか?   
 
はじまりは、たった数行の死亡記事だった。警察も探偵もたどり着けなかった真実へ――。 「名もなき人」の半生を追った、記者たちの執念のルポルタージュ。ウェブ配信後たちまち1200万PVを獲得した話題の記事がついに書籍化! 


2020年4月。兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死した。 
現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑鑑......。   
記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、身元調査に乗り出す。舞台は尼崎  
から広島へ。たどり着いた地で記者たちが見つけた「千津子さん」の真実とは? 
行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション。   


 医療という仕事をしていると、救急で「身元不明の行き倒れの人」が搬送されてくることがあります。
 急病で本人が意識を失ってしまっていることもあれば、認知症などで徘徊しているところを発見された、という場合もあるのです。
 それでも、何らかの身分証明書を持っているのではないか、と思うのですが、意外とそうでもないんですよね。
 大概は、診療をしているうちに警察が身元を特定し家族が駆けつけてきて、やっぱり国家組織の情報力はすごいなあ、と思い知らされるのですが。
 今の日本で、「身元不明」などというのは、戦争や大きな災害で一度に多数の人が亡くなる、あるいは遺体そのものの収容が困難な状況にならなければ、まず考えられない、そう思い込んでいました。

 共同通信の社会部で遊軍記者として「記事になるネタ」を探していた著者のひとりは、「行旅死亡人データベース」というサイトで、こんな死亡記事を見つけます。

「本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指すべて欠損、現金34,821,350円
 上記の者は、令和2年4月26日午前9時4分、尼崎市長洲東通×丁目×番×号(注:原文では番地など表記)錦江壮2階玄関先にて絶命した状態で発見された。死体検案の結果、令和2年4月上旬頃に死亡。遺体は身元不明のため、尼崎市弥生ヶ丘斎場で火葬に付し、遺骨は同斎場にて保管している。
 お心当たりのある方は、尼崎市南部保健福祉センターまで申し出て下さい。

 令和2年7月30日 兵庫県 尼崎市長 稲村 和美」


 3400万円もお金を持っていて(ちなみに、著者が当時検索した「行旅死亡人」のなかで、この所持金は2位の人より1000万円以上も多い、1位の金額だったそうです)、家の玄関先で亡くなったにもかかわらず、「住所・氏名不詳」なんてことが、ありうるのだろうか?
 著者たちならずとも、「世にも奇妙な物語」であり、何らかの事情や背景が存在しそうですよね。

 何度かすでに出てきている「行旅死亡人」という言葉については、このように説明されています。

 コウリョシボウニン、とは聞き慣れない言葉だろうが、身元不明で引き取り手のいない遺体を指す法律用語だ。記事には身長や服装、発見場所などの簡単な情報が十行程度にまとめられている。ほとんどが行き倒れや孤独死、自殺であり、事件性はめったにない。しかしシンプルで断片的な記載のため、ちょっとしたミステリーを匂わせる記事も少なくない。
 かつて、学校の理科室や大学の研究室にある学習用の人体模型(骨格標本)が、本物の人骨だったことが判明して騒がれたことがある。実は、そうした人骨も「行旅死亡人」として官報に掲載されていた。何らかの調査で模型だと思っていたものが身元不明の人骨だとわかると、役所は法律に基づいて身元の情報提供を呼びかけなければならなかったというわけである。
 私自身、過去に、とある県警の科学捜査研究所にあった標本が本物の人骨だったということに官報を読んで気づき、県警担当の記者に連絡して記事につながった経験があった。


 この「行旅死亡人データベース」というサイトを見ると、「2010年1月以来の行旅死亡人」ということで、1万人以上が掲載されていて驚きました。

kouryodb.net

 どこで見られているかわからない社会、個人情報がデータベース化されている世の中だと思っていたけれど、「身元すらわからない遺体」になっている人が、こんなにいるのか、と。
 大きな災害などで身元を特定するのが困難な状態で発見された人や、樹海などで身元を知られないように自ら命を絶った人も少なくないのでしょうけど。


 著者は、同僚の記者とともに、この「大金を残して亡くなった女性」の身元を追っていくのです。
 この多額の遺産の問題もあって、行政や担当になった弁護士がさまざまな手段でこの女性の家族や親族、知人を探していたのですが、それまでに目立った成果は得られていませんでした。
 とはいえ、何らかの覚悟を持って、身辺整理をしたうえでの死であれば、「身元を分からなくする」ことも可能だとは思うのですが、急病による玄関先での突然死と考えられる状況下で、なぜこの女性の身元がわからなかったのか?
 自分のこととして考えてみると、取っておこうと思わなくても、公共料金の通知であるとか、通販の宛名、カードの利用明細などが送られてくるわけですし、ミステリ的には、歯医者での治療データや(犯罪歴があれば)指紋などで身元がわかる、監視カメラに写っていた、なんてこともあります。


 著者は、相続財産管理人に指定された弁護士から、こんな話を聞いています。

 警察が部屋に入って、身元を特定できる書類がない。でも、ただ本籍さえわかればいいんです。たとえ一人で亡くなっても、携帯電話や電話帳(住所録)に同じ名字の人物が記載されていれば連絡して、普通はたどり着ける。しかし、この方はそうしたものが一切ない。
 普通、近くのスーパーとか行ったらレシートが出るし、領収書ももらいますやん。それもほとんどない。郵便も全然、残ってない。誰かが捨てたんちゃうかな、なんて。とにかく普通じゃない。何にもない。本人が捨てる意味がわからんし。あえてわからんように暮らしていたとしか……何が何だか全然わからない。40年ぐらい住んでて、下の階のおばあちゃんも全然素性を知らない。指がないことさえも知らなかったんですよ。
 右手の指が全部なかったら、お財布からお金出せないでしょう?『気がつくんちゃいますか?』と大家に聞くと、『いつも封筒の中に、きっちりの金額を入れて渡してきた。一度、水道代が足らへんときに、その場で財布でも出せばいいのに、また部屋まで帰って、きちっと持って戻ってきた』と言うんです。
 近所の買い物についても、探偵を入れて聞き込みをしたんです。とにかく、誰か一人でいいんですよ。一人、親族の連絡先さえわかれば、あとはわかるんで。それさえわかればいいと思って、探偵を入れて聞き込みをしてもらったんですが……誰も知らない。
 普通じゃないぐらい、どこの誰だかわからん。警察もこんな例はないと言っていましてね。経験がない、と。へんし事案でも、一人暮らしの人が亡くなるのは珍しくないが、ここまでわからんことはないという。
 もちろん、たまにはそういう方もいてるんですけどね。この人の場合は、お金を持ちすぎてる。年金手帳はあるけどもらってない。住民票ないんだもんね。
 一体、田中千津子って誰やねんと。さすがにこんな話、ないやろと思いませんか。


 著者である共同通信の記者たちは、現代的な検索と昔ながらの聞き込みや人脈を伝っていく方法で、この女性がどんな人生をたどってきたのか、に迫っていきます。
 読んでいると、21世紀になって20年も過ぎたネット社会でも、ネット上では探せない情報というのは少なからずあるのだな、と思いますし、ひとりの人間が、近くで何十年も生活していても、周囲は何かのきっかけで「知り合い」にならないかぎり、その人の日常生活や過ごしてきた人生に興味を持たないものなのだな、とあらためて痛感しました。
 僕自身も、毎日、何十人、何百人という人とすれ違っていながら、彼ら自身に興味を抱くことはほとんどないのです。


 いや、身近だと思っている人のことさえ、わからないことはたくさんあります。
 僕は母親が亡くなったとき、よく一緒にコーヒーを飲んでいた、という人にはじめて会って、驚いたことがあります。
 あまり外に積極的に出ていくほうではなく、持病もあって、家族以外の友人の存在を感じなかった母だけれど、家の外には、「母親」あるいは「妻」という役割以外の、誰かの「友人」としての顔があった。
 そんなの、考えてみれば当たり前のことなのですが、僕には何だかそれがすごく意外だったのです。

 正直、ミステリ小説的に読むと、引きつけられる展開なのに中途半端に終わってしまう、「解決編」がない作品、という印象を受けました。
 でも、ひと呼吸置いて考えてみると、「叙述トリック」とか「どんでん返しに次ぐどんでん返し!」なんて、現実にはまずあり得ないわけで、もどかしさとリアルな手触りが同居しているルポルタージュだと思います。

 無料で読める記事ではなく、税込1760円の書籍としてみると、「ちょっと割高かな」とか、つい考えてしまうのですが。


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