琥珀色の戯言

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【読書感想】サーカスの子 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

大天幕の中に入ると、そこは夢の世界だった。--
舞台の上で繰り広げられる華やかなショー、旅を日常として生きる芸人たち。子供時代をサーカスで過ごした著者が、失われた〈サーカスの時代〉を描く、私的ノンフィクション。

あの場所は、どこへ行ったのか?
僕がそのときいた「サーカス」という一つの共同体は、華やかな芸と人々の色濃い生活が同居する場所、いわば夢と現が混ざり合ったあわいのある場所だった。(本文より)
幼いころ母とともにキグレサーカスで暮らした著者は、四十年近い歳月を経て、当時の芸人たちの物語を聞きにいく。
それは、かつて日本にあった貴重な場所の記録であり、今は失われた「故郷」と出会い直していくような経験だった。
気鋭のノンフィクション作家による注目作。


 著者は、サーカスの厨房で働くことになった母親とともに、全国を数ヶ月単位の興行で巡回していく、『キグレサーカス』の一員として、サーカスの団員やその子供たちと小学校入学前の1年間を過ごしています。
 

 後に『サーカス村裏通り』という本を書いた母には、いずれはそこでの体験を書いてもいいという野心もあったのかもしれない。ただ、僕が大学の夜間部を卒業して恐る恐る社会に出た20代の頃、一度だけ母がこう言ったことがあった。
「サーカス団に私が行ったのは、小学校に入る前のあなたにほんの少し、子供らしい時間をプレゼントしてあげたかったからだったのよ」
 そのときは、そういうものかと思って聞き流した。母がサーカスで働いたのは、母子家庭の生活の中での差し迫った選択だと思っていたからだった。
 でも、いま、自分自身が父親となり、こうして夢と現の境にあるようなサーカスの記憶に混然となって育ったものを見つめていると、僕はその言葉に込められていた何事かを感じずにはいられない。
 何より母の言葉通り、都会のアパートに二人で暮らし、保育園と部屋を往復するだけだった僕の生活は確かに一変したのだ。
 ともに旅をする芸人たち、くわえタバコの舞台職人、売店のおじさんや炊事班の姐さん、動物たち……。僕は生まれて初めて同じ釜の飯を食う「家族」に似た人々の中で、兄弟のような友達を得て、テント村を泥だらけで駆けまわる一年間を過ごした──それは東京生まれの自分の人生において、二度とない奇跡のような時間だった。


 著者の稲泉連さんは、1979年生まれだそうなので、ここに描かれている「子ども時代のサーカスの人々の生活」は、1980年代半ばくらい、ということになります。1970年代はじめに生まれた僕にとっては、自分が中学生や高校生の頃は、サーカスでこんな生き方をしていた人たちがいたのだなあ、と当時を思い返さずにはいられません。1980年代なんて、そんな昔じゃないような気がしていたけれど、もう、2020年代だものなあ……
 僕も小学生のときには何度かサーカスを観に行ったことがあり、目の前で繰り広げられていた煌びやかな衣装を着た人たちの綱渡りや空中ブランコに魅了されたり、お客さんを舞台に上げる演目では、「自分が指名されませんように」と願っていたりしていた記憶があります。
 運動音痴だったので、よくこんなことができるなあ、と感心するとともに、子供心に「事故が起こってほしくはないけれど、失敗するかもしれない、危ないから、お客さんもドキドキするんだよなあ」と、少し後ろめたい気持ちにもなっていました。
 この本のなかにも、公演中の事故で命を落とした団員の話が出てきます。
 ほとんどの公演は、無事に終わっていくのだけれど、そうではない時もある。
 それでも、翌日は、みんな何事もなかったかのように、舞台で同じ演目をやるのです。


 著者が子供時代にキグレサーカスに居た「美一さん」は、サーカスでの生活をこう振り返っています。
 キグレサーカスでは、クリスマスイブの夜になると誰かが企画するでもなく必ずサンタクロースの扮装をする人がいて、子供たちへのプレゼントが用意されていたし、お正月には子どもがいるテントはポチ袋がテントの中に次々と投げ入れられるように集まったそうです。

「我々も子供にお年玉やらなくちゃと思って稼ぐわけじゃん」と美一さんは笑った。
 いつも「何か楽しいことをしてやろう」という意識が大人たちにはあった。ときには邪魔だと叱りつけな柄も、サーカスという共同体全体が子供たちを包み込んでいた、と言えばいいだろうか。
 そこにはサーカスならではの子供観があった。サーカスでは赤ん坊が泣いていてもあまり気にしない。通りかかった誰かが、「お腹がすいてい流のか」とミルクをやるときもある。僕の母もそうしていた。
 夜になると、それぞれのヤサ(家・部屋)では酒盛りが始まることもあるし、男たちの中には街に出ていく者もいる。都会であればスナックやバーの女を冷やかしに行き、2か月の公演の間に彼らはすっかり馴染みの客になる。
 ときには誰かのヤサに集まって麻雀、チンチロリンやおいちょかぶといった博打をすることもあるし、一昔前まで遡れば「賭場」がどこかで開かれることもあったという。それは主に男たちの遊びだったが、美一さんもサーカス育ちの若い芸人に、スリッパを片手に持って頭をときどきはたきながら、麻雀を教えてやったこともあった。
「彼女がいなければ女も買いに行くし、車を持っていればちょっと改造してね。パチンコだって行きたいし、博打も好きな人が多かったよね。結局、結婚して子供でもいれば別だけれど、独身の男たちには宵越しの金は持たない、という価値観があったのは確かだった」
 貯金などをしているとみんなから笑われる。給料日になると「本部のお母さん」が現金を手渡しするのだけれど、受け取って外に出ると”借金取り”が並んでいる、なんてこともある。
「若い衆が給料をもらうと、借りたお金を返していって結局何にもなくなる、みたいなね。まあ、何をするにしても一人じゃないし、スリルもあるし、自由で、制約がない。だから、誰も寂しくないのよね」
 サーカスの人々には「家族」のようなつながりがある、と言われる。


 近年のサーカスは、外国人のパフォーマーが増えたこともあり、濃密な人間関係は薄れていったのですが、著者が子どもの頃のサーカスは「団員は家族」であるのと同時に、人の出入りも激しくて、「来る者は拒まず」「去る者は追わず」だったそうです。
 一度サーカスを抜けるてしまえば、その人間関係もあっさりリセットされてしまうのです。
 そして、サーカスでの生活に馴染んでしまうと、とくに、団員の子どもとして生まれ、転校を繰り返しながら、そのまま親と同じようにサーカスに入った人たちは、「一般社会での暮らし」に適応するのが難しかった。

 美一さんが「サーカスで育った子供」の困難を知ったのは、弘前での生活が始まって2か月程が経ったときだった。
 深夜、彼女が子供たちと寝室で寝ていると、アパートの別室からどたん、どたんという音が聞こえるようになった。眠い目をこすりながら襖を開けると、駒一さんが箪笥や机などを動かしていた。
 駒一さんは最初、新しい生活と仕事に適応しているように見えた。ところが、しばらくすると、彼はどこかそわそわと落ち着きがなくなり、部屋の模様替えを何かに憑かれたように始めたのだった。そのような「発作」は模様替えを終えると一度は収まるものの、また2、3かげつが経つと再び模様替えをせずにはいられなくなるようだった。
 ちょうどサーカスでの「場越し」の間隔で彼がそれをしていることに気づいたのは、しばらく経ってからのことだった。弘前に来てから1年半ほど、その「場越し」代わりの模様替えが続いたのだった。
「一つの閉じられた世界で生まれ育った人は、ご飯を食べる術をそれしか知らない。じゃあ、そうやって育った子供たちが大人になって、そのまま外に出たらどうなるか。お酒の自動販売機の前で、倒れて死んでいたという人もわたしは知っている。後に孤独死した駒一だって同じようなものよ。多分、彼はぜんぜん幸せじゃなかったと思う」
 駒一はさ──と彼女は続けた。
「生まれたときからサーカスだったからね。やっぱり彼にとってみれば、あの場所から出るっていうのは、本当に勇気が必要なことだったんだと思う」


 サーカスで暮らしている家族は、子供が小学校に上がる前に、サーカスを出て「社会復帰する」ことが多いそうです。
 子供たちを自分と同じような、数か月ごとに転校を繰り返すような小学生にしないために。
 僕は団員たちの証言を聞くまでは、サーカスの人たちだって、別に牢屋に収監されているわけではなく、ステージや練習の時間以外は自由に外出できるのだから、そんなに「外の世界」と変わらないのではないか、と思っていました。
 でも、ステージの事故で明日はないかもしれないという前提で生きている人たちの集団というのは、想像以上に濃密で特別なものだったのです。


 この本を読みながら、以前聞いたこんな話を思い出しました。


fujipon.hatenadiary.com

 かつて、進歩的で合理的な考えの人たちが、子育てをもっと効率よく行う方法はないかと考えた。その結果、一人の母親が一人の子どもの面倒をみるのは無駄が多い、という結論に達した。それよりも、複数の親が時間を分担して、それぞれの子どもに公平に関われば、もっと効率が良いうえに、親に依存しない、自立した、もっと素晴らしい子どもが育つに違いないということになったのである。
 その「画期的な」方法は、さっそく実行に移された。ところが、何十年も経ってから、そうやって育った子どもたちには重大な欠陥が生じやすいということがわかった。彼らは親密な関係をもつことに消極的になったり、対人関係が不安定になりやすかったのである。さらにその子どもの世代になると、周囲に無関心で、何事にも無気力な傾向が目立つことに、多くの人が気づいた。
 これは、イスラエルの集団農場キブツで行われた、実験的とも言える試みの教訓である。効率本位の子育ては、愛着という重要な課題を、すっかり見落としてしまっていたのである。こうした弊害は、幼い子どもだけでなく、大人になってからも不安定な愛着スタイルとして認められた。ただし、同じようにキブツで育っても、夜は両親と水入らずで過ごしていた場合には、その悪影響はかなり小さくなることも明らかになった。
 この「実験」の結果は、愛着における不可欠な特性の一つを示している。それは、愛着の対象が、選ばれた特別の存在だということである。これを「愛着の選択性」という。愛着とは、ある特定の存在(愛着対象)に対する、特別な結びつきなのである。愛着対象は、その子にとって特別な存在であり、余人には代えがたいという性質をもっている。特別な存在との間には、見えない絆が形成されているのである。それを「愛着の絆」と呼ぶ。


 このイスラエルキブツでの子育ては、サーカスのなかで大人たちに囲まれて育った子供たちに似ていると感じたのです。
 時代によっても変わるのだろうけど、人間どうし、大人と子供の距離感というのは、本当に難しいものだと思います。
 映画『三丁目の夕日』とかを観ながら、「昔は隣の家に醤油とか借りていたんだよなあ、あの頃はみんなで助け合っていたなあ」なんて言う人でも、2024年にいきなり隣人が醤油借りにきたら、「えっ?」って驚きますよね。コンビニで買ってくればいいのに、って。
 でも、この本で、あの頃の「サーカスの人々」の話を読んでいると、何かすごく懐かしくて温かい気持ちにもなるのです。


fujipon.hatenablog.com

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