Kindle版もあります。
宗教2世。親が宗教を信仰している家の子供。宗教ありきで育てられ、世間とはずいぶん違う生活を送っています。
参加してはいけない学校行事があったり。
薬を使わせてもらえなかったり。
人を好きになってはいけなかったり。
休日は宗教活動のための日だったり。もちろんそこに幸せを見出す人たちもいるけれど、中には成長するにつれて苦しさを感じる子供達がいることを、知ってほしい。
著者含む、7人の宗教2世たちが育ってきた家での出来事をマンガ化した作品が、加筆修正を加え、単行本化。
単行本描き下ろし45p収録
子どもに、親は選べない。
そして、子どもは、親に愛されたい。
いや、親だって「子どものため」だと思い込んで、子どもが望まないことをしてしまう。
でも、「いま、子どもがやりたいこと」だけをやらせていたら、きっと、その子は大人になって後悔するはず……
僕はこの本を読み終えて、しばらく「うまい感想」が思い浮かびませんでした。
「自分はこのマンガに出てくる7人のような宗教2世として生まれてこなくてよかった」という気持ちと、僕自身が、それぞれの2世たちの事情や経緯について深く考えることもなく、「アイツの家は『宗教』だから」と拒絶していたのを「あちら側」から突きつけられたという困惑が入り混じっていたのです。
人は、こういう作品に触れたときは、「宗教2世」の心に寄り添った気分になり、拝金主義の新興宗教や、子どもを信仰に巻き込んだ親たちを断罪したくなる。
でも、現実社会では、彼らは「普通の生活をおくっている隣人」であり、見た目でわかるラベルが貼ってあるわけではありません。「礼儀正しい、おとなしくて争いを好まない人」が多い印象もあります。
「フラットに接しようとすれば、こちらが取り込まれてしまうのではないか」という怖さもあるし、それは「取り越し苦労」でもない。
この作品の登場人物のなかにも、「自分の親が勧誘して入信した知人とその子ども」の話が出てくるのですが、世の中は、えてして、「あまり興味がないのに友達に誘われて入った部活なのに、自分のほうが熱心に取り組み、ハマってしまう」というものではあります。
僕はもう中年のオッサンなので、「2世」の苦悩とともに、「宗教にのめり込んでしまった大人たち」のことも考えずにはいられないのです。
芦田愛菜さん主演で映画化もされた『星の子』という小説(これはフィクションではありますが)では、「どうしても治らなかった子どもの病気が良くなったのがきっかけで信者となった両親」が描かれています。
この『星の子』の冒頭で、主人公・林ちひろの両親が、ある新興宗教にハマってしまった理由が語られているのです。
それは、子供の頃、病弱だったちひろが、とある「特別な水」と称するものを使ったのと同時期に、その病気が改善したことでした。
どんな治療をやってもうまくいかず、苦しんでいる小さな娘がよくなったのをみて、両親は「救われた」のです。
こういうのって、いくらでも解説はできるんですよね。プラセボ効果とか、病気のなかには、成長とともに自然に軽快・改善するものがあって、その時期と「特別な水」を使った時期が偶然合致していた、とか。
でも、何をどうやっても救われない、と絶望していた当事者は、そんな「合理的な説明」よりも、「目の前にあらわれた結果」を信じてしまう。
自分の子供が、同じような状況だったら、どうだろうか?
僕たちが、ふだん、「あやしい宗教にハマっている、おかしな連中」だと思っている人々にも、それぞれの理由が、きっとあったのでしょう。
某宗教団体が戦後の高度成長期に勢力を伸ばした理由に、田舎から集団就職で知り合いもなく東京に出てきた人たちの孤独を「宗教的な仲間」をつくることによって癒した、というのがあったそうです。
もし自分が「林ちひろ」の親だったら、この「奇跡」を客観的に、科学的に解釈し、この宗教をスルーして生きていけただろうか?
村上春樹さんが以前、(元)オウム信者にインタビューをした『約束された場所で』という本があります。
fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com
オウム信者たちは、あるいは、教祖である麻原彰晃自身も、少なくとも教団を立ち上げた最初の頃は、「苦しんでいる人、あるいは自分自身を救いたい」と考えていたはずです。
でも、それは教団が大きくなるにつれて、歪んで、独善的なものになってしまった。
大きな組織を維持していくには大金が必要になるし、宗教を通じての「仲間」しかいなくなってしまった人々には、そこから離れるハードルは高すぎる。
この『「神様」のいる家で育ちました』で描かれている「2世」の多くはまだ若い(たぶん、現在20~30代くらいの人々)であり、本当に宗教を捨ててよかったのかどうかの結論は、まだ出されていません。2世たちは「宗教を捨てることは、親を捨てること」だと刷り込まれながら生きてきたのです。
親の側の子どもの信仰に対するスタンスも一様ではなくて、信仰を捨てた我が子と「絶縁」してしまった人もいれば、「子どもが自分で決めたことなら、それはそれで仕方がない」と、それぞれ別の道を歩むことを受け入れた親もいます。
この本の著者の菊池真理子さんは、2017年に『酔うと化け物になる父がつらい』を上梓されています。
fujipon.hatenadiary.com
お父さんはアルコール依存症、お母さんは熱心な宗教の信者で、子どもにも信仰を強く勧めていた。
こういう「2世」の多くの事例では、母親が熱心な信者で、子どもを「2世」にしようとしています。
「お父さんは何をやってるんだ、もともと同じ宗教の信者どうしならともかく、そうじゃないなら、おかしいと思っているはずだろう、なんで母親のやりたい放題にさせているんだ!」
僕もそう、思っていました。
でも、自分が大人になり、「両親のひとり」として家庭というものに直面してみると、配偶者と衝突してまで、あえて何かを変えようという勇気というのは、なかなか出ないものだと実感しました。
「あなたは何も言わなかったじゃないか」
「言っても聞いてくれないくせに」
結局、お互いに「腫れものには触らない」ことで、なんとか「いま、致命的に崩壊すること」を避けようとし、それを続けていくと、亀裂はどんどん深くなっていく。
それぞれが「あなたがお酒ばかり飲んで好き勝手しているから」「あなたが宗教にハマって、家族を巻き添えにしているから」という「正当な理由」を振りかざし続けてしまう。
宗教に限らず、不倫やお受験で崩壊する家庭や親子関係だってある。
何の問題もない幸せな家庭を築くなんて、『シュタインズ・ゲート』の初見でトゥルーエンドに到達するくらい難しい。
大学生になってはじめて スクールカウンセラーに宗教の悩みを相談した
返ってきた言葉は
「あなたは あなたの人生を生きなさい」すごい一般論 たぶん正論
だけど
ほかの人にはわかってもらえないってことがわかっただけだ
自分は「運が良かった」だけなのかもしれない。
いや、それは思い上がりで、「死んでも天国へ行ける」と信じることができるのは、その人にとっての「偽りの幸福」だと言い切れるのか?
自分が「幸せ」だと自身を持って言える人だけが、彼らに石を投げなさい。
著者は、「あとがき」で、安倍元首相殺害事件について触れています。
「こんな形で注目されることを望んだ(宗教)2世はいなかった」
でも、「良くも悪くも、世間の関心はかつてないほど高まった」
あんなことが起こる前に、世の中が、「暴走した宗教とその信者たち」に目を向けていれば。
しかしながら、「本人の意思でやっていると、その本人が主張していること」に、他者はどこまで介入することができるのか?
「洗脳」と「信仰」の境界は、どこにあるのか?
「お受験」のために子どもの心を壊す親だっているのです。
そんなに重苦しいトーンに満ちた作品ではありませんので、興味を持った方は、ぜひ、読んでみていただきたい。
読めば何かがすごく変わる、というわけではないだろうけど、「人には、それぞれの事情がある」ことを考えるきっかけにはなります。
この作品が世に出た経緯を知って、「そんなくだらないスキャンダルをいちいち報じるなよ」と思うことも多い文藝春秋社の「聖域をつくらないメディア」としての存在意義、矜持も感じました。