琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【映画感想】ベイビー・ブローカー ☆☆☆☆

クリーニング店を営む借金まみれのサンヒョン(ソン・ガンホ)と、「赤ちゃんポスト」がある施設に勤務するドンス(カン・ドンウォン)の裏の顔はベイビー・ブローカーだった。ある晩、二人は若い女性ソヨン(イ・ジウン)が赤ちゃんポストに預けた赤ん坊をひそかに連れ去る。翌日考え直して戻って来たソヨンが赤ん坊がいないことに気づき警察に届けようとしたため、サンヒョンとドンスは自分たちのことを彼女に告白する。


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 2022年13作目の映画館での鑑賞です。
 平日の朝の回で、観客は50人くらい。結構賑わっていました。

 是枝裕和監督が韓国で撮った映画、というのを聞いて、2018年に公開された『万引き家族』以降は、2019年の『真実』、今回の『ベイビー・ブローカー』と、日本以外の国を舞台にした作品が続くなあ、と思ったんですよね。
 『万引き家族』がカンヌ国際映画祭で最高賞(パルム・ドール)を受賞したことにより、世界的な名声が高まった、ということなのでしょうが、「その後」の日本での観客の反応や映画業界に失望してしまっているのではないか、とも想像してしまったのです。
 世界的な映画祭やアカデミー賞などで評価されるためには、日本よりもフランスや韓国で作ったほうが有利、というのもあるかもしれません。
 有村架純さん主演のドラマをWOWWOWで撮ってもいるので、日本と絶縁、というわけでもなさそうです。


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 まあでも、正直なところ、『トップガン マーヴェリック』という、エンタメモンスターみたいな映画の後に、この『ベイビー・ブローカー』を観ると、最初のほうは、あまりにも重苦しく、状況説明をなるべく省いたストーリーに、「これで映画料金同じなんだよなあ……」と思ったのも事実です。
 最近の映画は、なんでもセリフで説明しすぎなんだよ!とニワカ映画通を気取っていた僕なのですが、是枝作品を久々に観ると、「は?なんでこの人、赤ん坊を勝手に連れてきたり、映像を修正したりしているの?誰これ?」とか、音楽も映像も、なんか深刻すぎてつらい……という気分になってしまったのです。

 「いかにもカンヌで評価されそうな社会派映画」ではあるのですが、この映画に描かれていた出来事くらいで、自分の価値観や金銭的な欲求が揺らいでしまう、こんな「いいひと」たちが、赤ちゃんブローカーとして何度も取引を重ねてきたとは思えない。
 ある特定の人が当直しているときにだけ、「事件」が起これば、さすがに怪しまれるでしょうし。

 「取引」する赤ちゃんに対して、「眉毛の濃さが」とか「目の大きさが」とか、ルックスにケチをつけて価格交渉しようとする客がいたり、男の子と女の子の「取引価格」が違ったりするというのは、「そういうものなのか……」と思いました。

 キャストは熱演しているし、感動的な場面はたくさんあるのです。
 子供というのは、つくりたくない人、親に向かない人にもできる一方で、本当に欲しくて、親として子供を育てることに長けていそうな人が、さまざまな努力をしてもできないことがある。

 血がつながっているけれど、経済的に、あるいはキャラクター的に育児がムリな「実の親」の元にいるのと、血縁はないけれど、経済的に不自由させることなく、愛情を注いでくれる「義理の親」の養子になるのと、どちらが「幸せ」なのだろうか?

 そもそも、「両親と、血がつながっている『わが子』」という「昔は当たり前だと思われていた家族」という概念が、現代では揺らいできているのです。
 赤の他人どうしが、足りない部分を補い合って、共同生活をおくっていくような「家族」も、理屈の上では、他人事としては「有り」なのでしょう。
 ただ、それが自分のことになってくると、人はそう簡単に「新しい価値観」に染まりきることができない。

 僕自身、「血のつながりが有ろうが無かろうが、愛情(愛着)を持って日々接していれば、それは『親子」だし『家族』だろう」と、自分の子供を目の当たりにするまで思っていました。
 でも、「血のつながったわが子」の、ちょっとした仕草や言葉に「未来に受け継がれている可能性がある自分のカケラ」を見つけてしまうと、「血は水よりも濃い」という言葉の意味を考えずにはいられなくなったのです。
 
 是枝裕和監督の映画って、みんな似たような感じだよなあ。まあ、それが作家性だと言われればそうなんだけど。
 そんなことを考えながら、この『ベイビー・ブローカー』を観ていました。

 あと、これを日本で撮ったら、「赤ちゃんがかわいそう」「こんな犯罪者たちを『綺麗に』描くな!」「赤ちゃんポストはこんな杜撰なシステムじゃない!」など、さまざまな方面から矢が飛んできそう。
 
 時系列でみると、是枝監督は「血縁で縛られた『家族』というものの忌まわしさ」を、あえて露悪的に描いていたのが、「とはいえ、血縁というのも、やっぱり断ち切ってしまうのは難しい絆みたいなものなのだ」とあらためて考えるようになったように感じます。
 
 是枝作品では、相変わらず、誰も救われない。
 「問い」はあって、観客の心に澱のように積もっていくけれど、模範解答はどこにも示されない。
 この赤ちゃんは、どうなるのが、いちばん「幸せ」なのか?
 そもそも、子供にとっての「幸せ」って、何なのか?

 正直、「監督が伝えたいことのために、あまりにも状況が都合良くつくられすぎている映画」であることに、なんだかモヤモヤもするのです。
 もっと「どうしようもない人たち、金のためなら赤ちゃんを平気で売り飛ばす連中の映画」を観たかった気もします。

 「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」という作家・伊集院静さんの言葉を思い出しました。

 
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