琥珀色の戯言

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【読書感想】物語 江南の歴史-もうひとつの中国史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「中国」は古来、大陸に君臨した北方「中原」と経済文化を担った南方「江南」が分立、対峙してきた。湿潤温暖な長江流域で稲作が広がり、楚・呉・越の争覇から、蜀の開発、六朝の繁華、唐・宋の発展、明の興亡、革命の有為転変へと、江南は多彩な中国史を形成する。北から蔑まれた辺境は、いかにして東ユーラシア全域に冠絶した経済文化圏を築いたのか。中国五千年の歴史を江南の視座から描きなおす。


 僕はNHKで『人形劇・三国志』を観て中国史にハマってしまい、中国の歴史に関する本もかなり読んできました。
 専門家レベル、というわけにはいきませんし、『三国志』や項羽と劉邦の『楚漢戦争』、漫画『キングダム』で改めて注目されている春秋・戦国時代に比べると、中国の近現代史に対する興味は、やや熱量が下がってはいるのですが。

 中国は、黄河流域を中心とした「北方(中原)」と、長江流域の「南方(江南)」で、かなり土地柄が異なる、と言われています。
 ほとんどの天下を統一した王朝では、北方に首都が置かれ、政治的な中心となっているのですが、文化・経済的には、南方の方が豊かな時代が長く続いていたのです。
 また、北と南に別の王朝が生まれ、対立していた時代もありました。

 とりあえず「対」よろしく二つに。首都を北京というくらいだから、大きく南北に分けてみよう。首都の名称からみても、北が中国の表玄関・顔である。そうは言っても、顔だけ・玄関だけみていても、人も家も理解できない。
 やはり中身が大切だ。中国でその中身にあたるのが、南である。中国の南とは何か。本書はここに焦点をあててみようとしたものである。
 現在、簡便には「南方(ナンファン)」ともいうが、より由緒あり、格式ある言い回しは「江南(こうなん)」であった。そこは「南方」を貫いて流れる大河、長江(揚子江)と切っても切り離せないからである。「東南半壁」という言い回しもあった。指しているものに大きなちがいはない。しかしその字面から半分、パーツとみられていたことが、いよいよ明白である。
「江南」を知れば、それで「中国」がわかる、とはいわない。あくまでパーツにすぎないからである。しかし「江南」がわからなければ、「中国」がわからない、といえば、それはまったく正しい。
 現実の中国の地理を考えても、そうである。そうした対の発想は、もともと自然環境に由来していたのではないか。
 そう感じさせるほど、中国を南北に分けてみると、「北方(ペイファン)」と「南方」の自然・生態は、鮮やかな対のコントラストをなす。一方は平原・乾燥・畑作・馬、目に映るのはほとんど黄褐色の世界、他方は山谷・湿潤・稲作・船・緑黄色の世界である。
 南北ともに大河を湛える。川の存在がペアであるのは当然。北を流れるのを「黄河」、南を「長江」といい、この呼称もまた対をなす。


 中国の「北方」と「南方」は、お互いに異なる性質を持った土地であり、そうであるがゆえに、お互いの足りない面を補い合ったり、それぞれが独立を志向したりしてきたのです。
 
 この本では、南方に成立したさまざまな王朝の歴史をたどりつつ、中国全体での南方の政治的・経済的な位置付けの変遷について書かれています。
 僕のなかでの南方のイメージは、三国志の『呉』が大きくて、それなりの経済力があって繁栄している一方で、外向きの野心みたいなものは比較的乏しく、現状での安定を望みがち、という感じなんですよね。
 経済力があり、自前で食糧を確保でき、文化も豊かであるがゆえに、「天下統一」へ向かう力が弱くなる。
 中国の歴代王朝でも、南方から起こって全土の統一王朝になったのは、14世紀に朱元璋がひらいた『明』がはじめてだったのです。

 南方の経済力が強くなっていくにつれて、中国全体での、南方在住者の人口が占める割合も高くなっていきました。

 王朝政権の把握した大まかな概算数字にすぎないものの、とりわけ3世紀の機構の寒冷化以後、南方の人口は次第に増加し、8世紀半ばには、中国全体で45%を占めた。それが温暖化を経た11世紀になると、65%に上昇し、過半数に達している。人口比が南北で逆転したのであって、中国史上、未曾有の局面の変化であった。
 こうした現象はいうまでもなく、多くの人口を養える水稲栽培が江南の低湿地で普及したことによる。南方人口の実数増加・比重増大は、以後も続く趨勢であって、当時の変革を如実に象徴していたといってよい。


 この本を読んでいくと、「南方」は有史以来肥沃な土地だったわけではなく、治水による耕作地の拡大や農作物の品種改良という長年の人間の努力によって、豊かな土地になっていったことがわかります。
 また、「北方」「南方」と一括りにされやすいのですが、「南方」のなかでも、早い時期から繁栄していた地域もあれば、近現代まで開発が遅れていた地域もあるのです。


 そして、経済・文化の発展に比べて、その政治的な位置付けは、なかなか上がってはきませんでした。

 紀元前からたどってきたように、そもそも江南とは、春秋時代の呉・越・楚に始まって一貫して「夷(えびす)」の位置づけであって、世界史上の「文明」としても、はるかに後進的だった。それに対する華北・北方は、古来「中原」である。政治的な「中華」「夷狄」という優劣上下の構図は、そのまま経済文化にもあてはまっていた。
 やがて3世紀・六朝以後、南北の分立が続いて、南方に流寓した王朝政権は権力・文化の系譜で、「正統」「東南半壁」をとなえる。それでも現実には、ようやく第一次開発の段階がはじまった未開地であって、社会・民間・経済の実質で中核を占めることは叶わなかった。さらに時を経て、いかに開発の段階がすすんでも、事態のありようはさしてかわらない。あくまで辺境としての経済発展である。


 現在、21世紀の上海、深圳、広州などの南方の諸都市の経済発展と繁栄をみると、もはや中国は「南方の時代」ではないか、とも思えてくるのです。
 しかしながら、現在でも、政治の中心は北京なんですよね。
 ちなみに、南北の人口比に関しては、11世紀に南方が65%に達した以降は、平準化してきており、近年は南北ほぼ半々、という状態になっています。

 かなり長い時間の話を時系列で述べており、ある程度中国史に関する予備知識がないと、ついていくのは結構大変だと思います。
 また、テーマが壮大であるがゆえに、歴史的事実の羅列になりがちで、「物語」としての面白みには欠ける気がしました。
 それでも、中国史に興味がある人にとっては、手に取りやすい「南方の通史」として十分な価値があると思います。


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