琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ルポ路上生活 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

2021年夏、オリンピックを横目にホームレスと共に生活を見つめた記録

果たして貧困とは何なのか?
2021年夏、オリンピックを横目にホームレスと共に生活を見つめた衝撃の記録。

一日七食のホームレス!? 貯金ができるカラクリとは?

寝床探しから襲いかかる災害・犯罪の恐怖まで、家に帰らず2カ月間の徹底取材。
大阪・西成のドヤ街で暮らした日々をまとめた『ルポ西成』で鮮烈デビューを果たした著者が、《生活》の常識を根底から問い直すドキュメント。


東京の「ホームレス」は、どんな生活をしているのか?

吾妻ひでおさんの『失踪日記』を読んで、こんな感じなんだろうな、と僕はイメージしていたのですが、『失踪日記』が上梓されたのは2005年ですから、もう20年近く前の話なんですよね。
初代iPhoneが海外で発売されたのが2007年6月だったので、まだ「スマホ以前」の時代です。
時間が経つのは、早いものですね。

fujipon.hatenadiary.com


この本、『ルポ・西成』で、実際に西成のドヤ街で78日間生活して、そこに住む人たちを書いた著者による、「2021年夏の東京ホームレス体験記」です。

fujipon.hatenadiary.com


文字通りの体当たり体験記、ではありますし、その一方で、ちゃんと「いざとなったら帰れる家」がある人間の期間限定での「ホームレス体験」というのは、なんか悪趣味ではあるな、とも思います。
僕も悪趣味な読者なので、読んでしまうわけですが。

 私は東京23区の各地で、東高五輪の開会式が行われた2021年7月23日から9月23日までの約2ヵ月間をホームレスとして過ごした。
 具体的な場所を挙げれば、「東京都庁下」「新宿駅西口地下」「上野駅前」「上野公園」「隅田川高架下」「荒川河川敷」の六つのエリアである。
 そこで見た彼らの生活を、ありのままここに記す。


 ホームレスの生活って、こんなに飢えと不安で苦しいんですよ、彼らをサポートして社会復帰させてあげましょう!

 ……そんな内容を予想していた僕の思い込みは、見事に打ち破られました。
 それなりのマメさは必要なものの、東京のホームレス、案外食べ物には困らないんだな、世の中には「いいこと」をしたい人って、けっこうたくさんいるんだな、と僕はこの本を読みながら考えずにはいられなかったのです。

 この日の献立はこんな感じだ。


 代々木公園でカレーを二杯食べる→14時から都庁下で食料の配給→夜8時頃キリスト教系団体がパンを配りに来る→夜9時頃「スープの会」がスープを配りに来る


 代々木公園でカレーを食べて食休みして戻ってくると、ちょうど都庁下の炊き出しが始まっているという。寝床にいても一日が長く感じるだけなので、今日も付いていくことにした。一体、都庁と代々木公園の間を何往復するのだろうか。

「この炊き出しには毎週行くんですか?」
「カレーと中華丼が隔週で出されるので、カレーのときだけ行くようにしている。できれば中華丼には当たりたくないので。ただ、不意に中華丼が2週続くことがあるんだよね」
 黒綿棒が中華丼を避けるのは、ただただカレーのほうが好きだからという理由に尽きる。ホームレスは常に食べ物に困っているという先入観があったが、それは都内で生活するホームレスに限れば”完全な”思い過ごしであった。黒綿棒はこの日14時から行われる都庁下の炊き出しにも苦言を呈する。
「トマトをさ、5個も6個もくれるでしょう。僕らは料理ができないのだからせめてプチトマトにするべきだとずっと思っている。どうかすると汁がほかの食料に浸食してしまう。でも捨てるにも捨てられないだろう」
 たしかに、大粒のトマトを6個も渡されたところで保存も効かないので食いきれないのだ。そして何より飽きる。恵んでもらっている立場で言うことではないが、これがホームレスの本音だ。公園で鳩にトマトを揚げているホームレスもいた。しかし、鳩もトマトは口に合わないようで手を付けていなかった。
 すでに代々木公園南門前には行列ができていた。先頭には弁当が入ったダンボールが二箱あり、主催者が箱を開けると黒綿棒は中身を確認するために高校野球の伝令のように飛んで行き、「今日はカレーで〜す!」と最後尾まで伝えに回っていた。さすがにお節介だろうと思ったが、黒綿棒と同様に「中華丼じゃなくてよかった」とホッとしている人が何人かいた。カレー弁当を二杯食べ、ベンチで食休みをする。
「一週間いると炊き出しのスケジュールがなんとなくわかってきます。わざわざ池袋まで足を延ばす必要はまったくないですね」
「そうでしょうとも。一回ここに住んでしまうとほかの場所に移ろうって気にはならないでしょう。雨風しのげて飯も食えて24時間ベースを張れる。ほかの場所がどうかは知らないけども」


 空き缶拾いをして日銭を稼いだり、飲食店やコンビニで賞味期限切れの商品をもらって空腹をしのぐ、そんな姿を想像していたのだけれど、都会のホームレスは、身体が動けば、食べるものがない、ということはなさそうです。少なくとも、炊き出しのメニューを選り好みできるくらいの「供給」はあるのです。
 こういう話を読むと、「給食代がない子どもたち」の話を思い出してしまいます。人は、わかりやすくて効率が良い「善行」をしたがるけれど、支援を必要としている人たちへの届き方には偏りが出てしまう。
 もちろん、「ホームレスたちは、みんな食べるものもなく、いつ餓死してもおかしくない」よりは、現状のほうが良いのだろうけれど。
 宗教団体の炊き出しの様子を読んでいると、奉仕する側もされる側も、半ば「形式化」していて、「信者になるとは思えないし、まともに話も聞いてくれない人たち」に、定期的に食料を提供することは、この宗教にとって意味があるのだろうか?とも感じるのです。
 

 1時間ほどしてベースに戻ると、黒綿棒はタオルで顔を隠すことなくスヤスヤと眠っていた。島野君は夢中になってニンテンドーDSドラクエをプレイしている。
すれ違い通信とかあるやつですよね?」
「あるけど、それはやってないです」
 島野君の声を聞くのは「辛いからカレーはいらない」以来の二日目である。持ち運びの充電器を持っており、毎回乾電池を買っているらしい。そしてこの島野君、「履き心地が気に入らなくて」と、サンダルをものすごいペースで買い替える。島野君がホームレスになったのは4ヶ月前だというが、その間に6回サンダルを買い替えている(黒綿棒談)。
 8月の頭、どこかの新聞社がコロナで苦しむホームレスとして島野君を取材し、記事にしていた。彼の後ろ姿が写真で載っていたのでweb記事を見てすぐに分かったのだ。
 記事によれば、島野君は約4ヶ月前前に工場の仕事をコロナ禍でクビになり、都庁下では炊き出しが豊富という情報を見てここにやってきたという。島野君は取材に対し、「五百円で毛布を買い、もうお金がない。今日の食事は確保できたので安心だが明日はどうなるか分からない」といった旨の発言をしていた。
 サンダルや乾電池の金はどうしたのか。だったらなぜ炊き出しを断るのか。その記事では島野君の訴えを五輪批判や政権批判に繋げており、私はモヤモヤ感をぬぐいきれなかった。島野君の言動も腑に落ちないが、新聞も悲劇的な部分を切り取ってオピニオンの材料にしているだけではないか。
 2021年7月31日にBBCが配信した「[東京五輪]なるべく見えないよう……都心で排除されるホームレスの人々」という動画はSNSで広く拡散されたが、現場からすると失笑してしまうような内容だった。東京五輪によって不公平で非人道的なホームレス排除が行われているという。たしかに、東京五輪の開催が決まってから、国立競技場周辺のホームレスは立ち退きを命じられたが、何も「消えろ」と言っているわけではない。
 僕らが何事もなく都庁下に住み続けているように、ほかにも住む場所はあるのだ。それを、排除された一部のホームレス、「五輪をやっている場合か」と声を荒げる一部のホームレスにスポットを当てて、悲劇的に報じている。実際の空気感とはあまりにも温度差があり過ぎるのだ。さらに海外メディアという点もどうも納得できない。日本に乗り込んできては結論ありきの取材をして、悲劇的に誇張した内容を世界に発信する。甚だ迷惑である。


 「サンダルの履き心地へのこだわり」には、贅沢というより、精神疾患的なものを僕は想像してしまいますし、著者も「ルポとして面白くなるような、特徴のあるホームレス」を大きく採りあげているようにも感じます。
 その一方で、メディアは「まず自分たちが言いたいこと、結論があって、それに合わせた『取材』をし、都合よく切り取ることが多い」のも事実でしょう。
 ただ、良くも悪くも、「刺激的」だったり、「人の感情を動かす」ほうが、視聴率が取れたり、PV(ページビュー)が上がったり、雑誌が売れたりするし、「お金にならないもの、面白みがないものを伝える」ハードルが高くなるのは、受け手がそういうものを求めていないから、でもあるのです。

 この本を読んでいると、プライドを捨てられれば、ホームレスと僕を分けるものって、好きなものを好きなときに食べられるかと、ゲーム機がニンテンドーDSか、それともSwitchか、というくらいしかない気がしてくるのです。「こちら側」には負担やプレッシャーの大きさもある。
 ホームレスに憧れる、ということはないけれど、ホームレスになった人たちの多くが、そこから抜け出すための努力をするより、効率良く炊き出しを回ってホームレスであり続けようとするのは、一度なってしまえば、そんなに居心地の悪いものではないのかな、などと考えてしまいます。
 逆に、ホームレスのほうがマシ、と思えてしまうくらい、「外界」はキツイ、とも言えるのかもしれませんね。
 ギリギリのところで、自力で頑張ろうとすると、かえってつらくなってしまう社会は、少なくとも「正解」じゃないと僕は思います。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター