琥珀色の戯言

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【読書感想】イーロン・マスク(上・下) ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

スペースXが31回もロケットを軌道まで打ち上げ、テスラが100万台も売れ、自身も世界一の金持ちになった年が終わり2022年が始まったとき、マスクは、騒動をつい引き起こしてしまう自身の性格をなんとかしたいと語った。「危機対応モードをなんとかしないといけません。14年もずっと危機対応モードですからね。いや、生まれてこのかたほぼずっとと言ってもいいかもしれません」
これは悩みの吐露であって、新年の誓いではない。こう言うはしから、世界一の遊び場、ツイッターの株をひそかに買い集めていたのだから。暗いところに入ると、昔、遊び場でいじめられたことを思いだす――そんなマスクに、遊び場を我が物とするチャンスが巡ってきたわけだ。
2年の長きにわたり、アイザックソンは影のようにマスクと行動を共にした。打ち合わせに同席し、工場を一緒に歩き回った。また、彼自身から何時間も話を聞いたし、その家族、友だち、仕事仲間、さらには敵対する人々からもずいぶんと話を聞いた。そして、驚くような勝利と混乱に満ちた、いままで語られたことのないストーリーを描き出すことに成功した。


 大手自動車メーカーが軒並み撤退しつつあった電気自動車を「クール」な存在にして一気に普及させ、NASAが手を引いたアメリカの宇宙ロケットを民間事業として復活させた男。
 そして、Twitterを買収し、大勢の技術者をリストラし、そのリベラルな社風を一気に変えたことにより、数多のユーザーから疑問の声を浴び続けている男。
 テスラとスペースXとTwitter、どれかひとつを創り上げ、経営するだけでも歴史に残る存在になるはずなのに、この3つを同時に経営しているのが、イーロン・マスクなのです(Twitter(X)は、彼が創ったものではないけれど)。
 
 スティーブ・ジョブズの人生を書き上げたウォルター・アイザックソンが、マスク本人と2年間も行動を共にして上梓したというこの伝記は、本当に読み応えがありました。それと同時に、イーロン・マスクと2年も一緒にいることを許され、実際に一緒にいることができたというアイザックソンさんは、どんな人なんだろう、と興味が湧いてもきたのです。

 スティーブ・ジョブズがそうであったように、スタッフにハードワークを要求し、気分の変調が激しいイーロン・マスクは、創業時代からの多くの共同事業者やスタッフと喧嘩別れ、あるいは「建設的な別離」を選んでいます。この本では、マスクの結婚生活や子供たちのことも語られていますが、パートナーも子供も大勢いるマスクは、僕からみれば、明らかに「家庭生活においても常軌を逸している」人なのです。
 そのマスク自身も、南アフリカで生まれて、気分屋で理不尽な、いわゆる(毒親)的な父親に振り回されてきており、身内との関係においては、長年悩み続けているのです。いや、悩んでいる、というよりは、そういう煩わしさを忘れるために、さらに仕事に集中しているようにさえ見えます。

 僕がこの本を読むまでのイーロン・マスクに関する知識は、『テスラ』と『スペースX』の創業者である、ということと、『Twitter』を買って『X』というシンプルだけどなんか無機質な名前をつけて、この名前がずっと続くのかどうか利用者を悩ませ続けている人、という程度でした。
 『スペースX』は初期、打ち上げに何度も失敗して、存続の危機に陥ったところからついに打ち上げに成功し、V字回復を成し遂げたことも知っていました。
 それにしても、テスラやスペースXなど、いまやアメリカ、世界を代表する企業が、こんなに危ない橋を渡ってきたとは。
 そして、その危機を乗り越えたのは、「ささやかな幸運」はあったにせよ、イーロン・マスク自身が先頭に立っての「シュラバ(修羅場)」と呼ばれる、常識外のスケジュールを実現させるための、スタッフの命を削るようなハードワークと「そこまでやるの?」と不安になるほどの「工夫」のたまものだったのです。
 

 20世紀初頭にライン生産方式が考案されて以来、工場は、一般に2段階で作るものとなった。第1段階では、組立ラインを設置し、ステーションごとに定められた作業をこなす作業員を配慮する。あちこち修正して順調に生産できるようになったら、第2段階として、作業員を置き換えるロボットなどの機械を少しずつ導入していく。マスクはこの逆をした。現代的な「弩級戦艦」というビジョンを掲げ、最初に可能なかぎり自動化したのだ。
「ロボットを山のように使い、自動化を極端に進めた生産ラインにしたんです」とストラウベルは言う。「問題がひとつありました。うまく動かないんですよ」
 マスクがオミード・アフシャー、アントニオ・グラシアス、ティム・ワトキンスの副官3人を連れてバッテリーパック工場を見回り、ロボットアームでバッテリーセルをチューブに取り付けるワークステーションが渋滞を引き起こしていると気づいたことがあった。部材をつかんで向きを調整するのに苦労している。同じことをワトキンスとグラシアスがやってみると、手作業のほうがずっとよくできた。だからマスクを呼び、作業員が何人いればマシンを使わずにすむかを計算。必要な人数を雇うと、組立ラインの流れが改善した。
 こうしてマスクは自動化の使徒であることをやめた。そして、停滞を引き起こしている箇所を探し、人動化で改善できないかを熱心に追求しはじめた。
「生産ラインからロボットを取り外して駐車場に捨て始めたんです」とストラウベルは言う。
 週末に工場を一周し、廃棄すべき機器に印をつけて歩いたこともあるという。マスクによると、機械を外に出すため、壁に穴まで開けたらしい。
 この経験から得た教訓を、マスクは、その後の生産アルゴリズムに生かしている。工場は設計段階が終わるのを待ってから──要件をすべて検討し、不要な部分はなくしてから──自動化を進めることにしたのだ。


 ロボットをたくさん使って「自動化」するよりも、人がやったほうが早くできることは、現状、けっこうあるみたいなのです。
 それまでの投資にこだわらず、「人動化」にすぐさま切り替えていったイーロン・マスクの切り替えの速さ、効率に対する意識の高さには圧倒されます。 工場などで「生産効率」に関わっている人は、この本でのイーロン・マスクのやり方をぜひ読んでみていただきたい。
 ただ、それと同時に、マスクのやり方は、僕には、それで本当に「安全」なのだろうか?と疑問になるとこともあったのです。

 自動運転を推進するにあたり、マスクは、テスラ車のオートパイロット機能を持ち上げすぎなほど持ち上げ、吹聴した。これは危険だ。テスラなら周りに注意を払うことなく走らせられると思い込むドライバーが出かねないからだ。マスクが壮大なる約束をぶちあげた2016年、カメラの供給を受けていたサプライヤーのひとつ、モービルアイがテスラとの取引を打ち切る決断をしたのもそのせいだ。テスラは「安全面で無理をしている」というのが、モービルアイ会長の弁である。
 オートパイロットの使用中び死亡事故が起きることは避けられない。使っていないときにも避けられないのと同じである。この点においてマスクは、事故を避けられたか否かではなく、事故を減らせたか否かで評価しなければならないとしている。これは論理的に正しい。だが、感情的な問題から、オートパイロットで人はひとり死ぬと、人間のミスで100人が死ぬ以上の騒ぎになるのが現実である。


 オートパイロットが完全に普及してしまうまでの過程においては、その事故は、大きく採り上げられることになるはずです。
 たしかに、客観的には、イーロン・マスクのスタンスは「論理的」ではあります。でも、自分自身がその事故の当事者になった場合には「テクノロジーの進歩のための尊い犠牲者」だと受け入れることは難しい。
 イーロン・マスクは、スペースXのロケット打ち上げの際には、既存の大手宇宙産業会社では打ち上げを延期したような小さなトラブルでも自分の判断でカウントダウンを続行したり、テスラの車の大量生産の際に、ネジ止めの箇所が多くて効率を悪くしている、と、その数を減らしたりしています。
 これまで「宇宙用」ということで高い価格だった部品を市販の民生品を利用することで安価に抑えるなどのコスト削減も行ってきました。
 それは「生産の効率化」という意味では、大きな効果をあげているし、スペースXやテスラの企業としての成功の要因ではあったのです。
 
 とはいえ、読んでいて、「そういうやり方って、いつか、とんでもない不具合を引き起こす可能性があるのでは……」と過剰サービスの国で生まれ、自己責任という言葉に慣れない僕は、不安になってしまうのです。テスラの車って、現状、けっして安くはないのに。

 ウクライナ戦争における、スターリンクの役割や、AIや人類の未来に対する考え方、Googleラリー・ペイジAmazonジェフ・ベゾスに比べて、イーロン・マスクは、テクノロジーをこよなく愛しつつも、「人間がテクノロジーの主人であること、人間が人間らしい姿で宇宙に存在し続けていくこと」を強く望んでいるのです。それもあって、自身もたくさんの子供をさまざまな形でつくっています。
ラリー・ペイジは、AIの影響で、人間がこれまでの人間としての形態を変えることとなっても、それは種としての進化であり、受け入れるべきものだ、と考えているようです)

「感情を逆なでしてしまった方々に、一言、申し上げたい。私は電気自動車を一新した。宇宙船で人を火星に送ろうとしている。そんなことをする人間がごくふつうでもあるなどと、本気で思われているのですか、と」──マスクは、ちょっとばつの悪そうな笑顔でサタデー・ナイト・ライブ冒頭のモノローグを語った。


 著者は、イーロン・マスクの人格、そして業績について、こんなふうに述べています。

 生まれに育ち、さらには頭の配線具合から、冷淡になったり衝動的になったりすることもある。普通では考えられないほどのリスクを平気で取ったりもする。ひたすら冷静に計算し、熱い情熱を持って突きすすむ。
「イーロンはリスクが欲しいからリスクを欲するんです」とペイパル創業者の同僚、ピーター・ティールは言う。「楽しんでいるんだと思いますよ。溺れてしまっているんじゃないかと思えるときもありますね」
 米国の第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは、次のように語ったことがある。
「私は嵐の男で、私の辞書に平穏という言葉はない」
 嵐が近づくと生を実感するタイプなのだ。イーロン・マスクも同じだ、彼も、嵐と騒動に惹かれる。願い望むこともある。仕事においてもそうだし、うまくいかないことの多い恋愛においてもそうだ。仕事で危機や期限、シュラバなどに直面すると、とたんに奮い立つ。めんどうなことになると夜眠れなくなったり吐いてしまったりする。だが同時に元気にもなる。
「兄は波乱を呼ぶ男なんです」とキンバルも言う。「そういうタイプであり、それが人生のテーマなのでしょう」
 スティーブ・ジョブズの評伝を書いた時、彼のパートナー、スティーブ・ウォズニアックに言われたことがある。あんなにいじわるでなくてもいいんじゃないか、あんなに残酷でなくてもいいんじゃないか、んなに騒動ばかり求めなくてもいいんじゃないか、ジョブズはどうしてああなんだろう、と。本が書き上がったころにまた会い、これを本人に問い返したところ、自分ならもっと思いやりのある経営者になっただろうと言われた。社員を家族のように遇し、あっさりクビにしたりはしなかっただろう、と。彼はそこでちょっと口をつぐんでから付け加えた。
「でもぼくがアップルを経営していたら、マッキントッシュは作れなかっただろうね」
 だから、イーロン・マスクについてはこう問うべきだろう。もっと柔和であっても、彼は、我々を火星に連れていこうとしたり、我々に電気自動車という未来をもたらしたりしただろうか。


 現在の世界には『ドラえもん』の「もしもボックス」は存在しないので、この疑問に答えを出すことはできません。この本を読んでいると、イーロン・マスクは確かに魅力的な人物だし、この人の元で自分がどこまでやれるか試してみたい、という人が大勢いるのもよくわかります。
 その一方で、僕はこういう人にはついていけないだろうな、とも思わざるをえません。実際、なんとかついていっていた人たちも、どんどん脱落していきます。

 とはいえ、イーロン・マスクは「人類」を変える大きな業績をあげているのは紛れもない事実でしょう。彼が通った後には、ぺんぺん草も生えないとしても。
 
 すごく面白い本で、上下巻900ページを一気読み(とはいえ、3日くらいかかりましたが)しました。
 そして、読み終えた後、ひどい風邪で1週間寝込んでしまいました。
 イーロン・マスク、伝記でさえ、「劇薬」なのか……


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