琥珀色の戯言

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【読書感想】ぼくは猟師になった ☆☆☆

ぼくは猟師になった (新潮文庫)

ぼくは猟師になった (新潮文庫)


Kindle版もあります。

ぼくは猟師になった

ぼくは猟師になった

木についた傷や足跡などからシカやイノシシの気配を探る。網をしかけ、カモやスズメをとる。手製のワナをつくる。かかった獲物にとどめをさし、自らさばき、余すところなく食べ尽くす―。33歳ワナ猟師の日常は、生命への驚きと生きることの発見に満ちている。猟の仕方、獲物のさばき方から、自然と向き合う中で考えたことまで。京都の山から見つめた若者猟師の等身大の記録。


 著者は、幼い頃から動物好きで、猟師か獣医になるつもりだったけれど、高校在学中に車に轢かれたネコを見たことがきっかけで獣医をあきらめ、京都大学民俗学を研究しようとしたそうです。
 
 ところが、学費を稼ぐためのアルバイト先の運送会社での出会いがきっかけで、狩猟(ワナ猟)を始めることになりました。

「そういえば角出(すみで)さんって、狩猟やってはるんですよね?」
 ある日、その会社の社員である角出さんと一緒に仕事をしている最中に、たまたま狩猟のことが話題にのぼりました。
 中学生の頃に憧れた狩猟にはその後も関心を持ち続けており、何度か図書館などで本を探したこともありました。ただ、その内容はほとんどが銃による猟についてでした。狩猟には興味がありましたが、文明の利器である鉄砲を使うのには漠然とした抵抗感がありました。なんとなくずるい、と。それに比べてワナ猟は動物との原始的なレベルでの駆け引きという印象で、魅力を感じていました。また、山奥や無人島での暮らしに未だ憧れを抱いていた僕にとっては、自分で作ることのできない鉄砲を使う狩猟というのは、やはりちょっと方向性の異なるものでした。
「そうや。イノシシやシカやら獲ってるんやで。千松、狩猟に興味あるんか?」
「はい、興味はあるんですけど、鉄砲を使わないワナ猟に興味があるんです。でも、前に読んだ狩猟の本でも、銃による猟のことばかりで、ワナ猟はほとんど行われてないって書いてあったし、現実的じゃないですよね?」
「何を言うてんねん。ワシがやっとるのがそのワナ猟やないか。ワイヤーを使ったククリワナでイノシシを獲っとるんやで」
 衝撃でした。できっこないと思い込んでいたワナ猟をやっている人がこんな近くにいたとは。


 ネットでは「狩猟」に興味を持って、猟をするようになった人の話というのはときどき見かけるのですが、僕も現代の狩猟といえば、鉄砲を使っての猟というイメージを持っていたのです。
 動物の通り道に工夫したワナをしかけて、毎日見回ってワナにかかった動物を獲る、というワナ猟をやっている人が、現在でも少なからずいるんですね。
 この本のなかには、網をしかけて鳥を獲る「網猟」の話も出てきます。

 最初のほうでは、「猟師」と「獣医」って、正反対じゃないの?と思っていたのですが、著者は動物に、自然に触れながら生きたい、というのがまずあって、そのための手段として「仕事」を選んでいるのです。
 著者のワナへの工夫などを読んでいると、これだけのマメさと探求心があれば、獣医になっても成功したのではないか、という気はします。
 でも、ほとんどの時間を診察室で過ごし、家畜を診る生活は、向いてなかったかもしれませんね。


 著者がはじめてイノシシを獲ったときの話です。

 前の年よりもかなり念入りにそのオスの行動範囲を調べ、ワナのニオイを消し、より慎重に設置箇所も選定しました。
 しかし、猟期がはじまりワナをしかけて三週間、別の山でシカは数頭獲れるもなかなかイノシシはかかりません。
「今年もダメか……」と、ややあきらめはじめた十二月の上旬、いつものように浦山に行ってみると状況が一変しています。
 小さい木がなぎ倒され、そこら中の地面が掘り返されていました。明らかにシカがかかった時の状況とは違います。慎重に近づき目を凝らすと、ワナをくくりつけておいた木の根もとに大きな黒い塊が……。
「イノシシだっ!」
 初めて捕らえたイノシシはとてつもなく巨大に思えました。全身の毛を逆立て、牙をガチガチ鳴らしながらこちらを向いて威嚇しています。ワナと木を結ぶワイヤーの範囲が円形に掘り起こされています。かなり自由に動き回れる状態です。
 師匠の角出さんから「ある程度のサイズまでなら、眉間をどついてトドメを刺せばいいけど、でかいやつは鉄砲でトドメを刺したほうが無難やで。イノシシに反撃されて死んでるやつが何人もおるでな。鋼鉄のワイヤーでも平気で引きちぎるやつもおるんや」と言われていたのを思い出し、恐怖心が芽生えました。


 狩猟や釣りは「人間と動物(魚)との知恵比べ」なんて言うけれど、動物側のリスクに比べて、人間にとっては圧倒的に有利なハンデ戦だよなあ、なんて思うのですが、この「イノシシに反撃されて死んだ人が何人もいる」というのを読んで、やっぱり自然のなかで大きな動物を相手にするっていうのは、けっこう「怖い」ものでもあるのだな、と感じました。「眉間をどつく」っていうのも、やれと言われて、できるだろうか……


 著者は「狩猟は残酷か?」という問いに対して、こう述べています。

 動物の肉を食べるということは、かなりの労力を費やす一大事です。ありきたりな意見ですが、スーパーでパック詰めの肉が売られているのを当然と思い、その肉にかけられた労力を想像しなくなっている状況はおかしいと思います。誰かが育て、誰かがその命を奪い、解体して肉にしているのです。狩猟は残酷だと言う人がよくいますが、その動物に思いをはせず、お金だけ払って買って食べることも、僕からしたら残酷だと思います。
 自分で命を奪った以上、なるべく無駄なくおいしくその肉を食べることがその動物に対する礼儀であり、供養にもなると僕は考えています。だからこそ、解体も手を抜かず、丁寧にやります。獲れた肉をなるべくおいしく食べられるように工夫もします。
 なにより自分でこれだけ手をかけた肉は本当においしいです。こんなにうまい肉が一晩でこんなに大量に手に入るなんて、狩猟以外ではあり得ないことです。ちなみにイノシシ肉は買えば100グラム千円以上する場合もあります。
「計算すると、今回はバラ肉やロースで10キロ、それ以外の部位も20キロは取れたし、少なくとも20万円くらいの価値はあるなあ」
 ……なんて、浅ましいことも考えながら、イノシシ解体の夜は更けていくのでした。


 僕自身は、ずっとインドア派であり、肉を食べるのは好きですが、自分で狩猟をやろうと考えたこともありません。
 自分が釣った魚を食べるというのも、正直苦手です。
 食卓に乗った魚をみながら、「ああ、この魚は僕に釣られなかったら、今頃は普通に生きて泳いでいたんだろうなあ……」なんて、申し訳ない気持ちにもなりますし。
 実際は、どの肉にしても魚にしても、どこかで誰かが育てたり狩ったり釣ったりしたものなのだけども。

 この本には、著者が撮ったイノシシやシカ、その解体の様子も写真で紹介されています。
 当たり前のことなんですけど、イノシシやシカの体のつくりや内臓って、人間とよく似ているんですよね。解体された「内側」をみると、その思いが強くなるのです。
 肉を食べるというのは、命を奪うことなのだ、というのは忘れてはならないな、と自分に言い聞かせる一方で、そういう罪の意識みたいなものから一定の距離を置いて、肉をおいしく食べるために、人間は「文明化」をすすめてきたのではないか、という気もするんですよ。
 著者が丁寧に手をかけた肉は、本当に美味しそうなのだけれど。

 世の中には、現在でもこんなふうにワナ猟師として生きている人もいる、ということを知ることができる貴重な本だと思います。

 

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