- 作者:田中 淳夫
- 発売日: 2020/10/10
- メディア: 新書
Kindle版もあります。
内容(「BOOK」データベースより)
近年、街中にシカやイノシシ、クマが出没して、よく騒ぎになっている。ニュースで目にした方も多いことだろう。しかし、そうした野生動物による「獣害」の実態を知る者は少ない。捕獲頭数はシカとイノシシだけで年間一〇〇万頭を優に超え、農林水産業被害の総額は、報告されていないものを含めれば年間一〇〇〇億円を超えるといわれている。「人間は動物の住処を奪っている」と思っている人は多いが、実際はむしろ「動物が人間の住処を奪っている」のだ。様々な媒体で動物と人、そして森の関係を取り上げてきた森林ジャーナリストが、日本の緊急事態・獣害の実態に迫る。
現在の日本では、野生動物による「獣害」の被害が増えてきているのです。
えっ?開発がどんどん進んでいって、野生動物は居場所を奪われ、数を減らしているのでは?
棲家も食べ物もなくなったから、やむをえず人里に降りてきているだけなのでは?
そういう、「『平成狸合戦ぽんぽこ』的野生動物観」に対する『ファクトフルネス』のような立ち位置の本なのです、これ。
著者はこの本の冒頭で、大学生だった1979年に、探検部の一員としてボルネオに「オランウータンの生態観察」に行ったときのことを振り返っています。当時は「絶滅しそうな動物」を探すことに熱中していた、と。
その時代の日本の野生動物は、どんどん数が減っている状況だったのです。
さて、それから数十年。「絶滅寸前」「減少の一途」だった野生動物はどうなったか。
今では山間部でシカやイノシシの足跡や糞などの痕跡を目にするんはしょっちゅうだし、実物を目撃することだってさほど難しくない。とくに山間集落では夜間になると家の周囲に平気で群れている。サルは家の中まで侵入するようになった。そしてクマと遭遇する事件も頻発するようになってきた。
都会でも野生動物の目撃例は増えている。私の住む街でも、駅前をタヌキが走り、庭先までイタチが現れる。自宅の前にノウサギの糞が落ちていたこともあった。裏山にサルが出現して市が注意文書を流したこともある。同じようなことは全国で起きている。あきらかに野生動物は増えている。それも多くの種類で。もちろん絶滅を危惧される生き物はたくさんいる。2018年に国連に出された報告書によると、現在地球上で約100万種の動植物が絶滅の危機に瀕しており、その多くは今後数十年以内に絶滅しかねないという。
(中略)
ただ一部の野生動物は、生息数を大きく膨らませているのも事実だ。そして増えすぎた動物がもたらす被害が頻発している。いわゆる「獣害」だ。とくに農作物被害が多く、ときに人家の庭まで入ってくる。その額は年間1000億円以上だとする声もある。それに対する捕獲頭数も年々膨れ上がり、シカ、イノシシだけで100万頭以上にのぼっている。もはや全国的な問題だと言ってよい。
獣害は、農林作物の被害や人身事故だけではない。草木が過剰に食われて植生を劣化させるケースもある。また、外来種など一部の動物の増加は、生態がよく似ている在来動物の生息を圧迫する。そして感染症も忘れてはならない。疫病の多くは、動物の持つ病原体が人間にうつることから始まる。猛威を奮う新型コロナウイルスもその一つだ。
2020年の10月19日に、石川県のショッピングモールに体長約1.3メートルのクマが侵入しました。このクマは、通報から13時間後に射殺されています。
射殺なんてかわいそう、クマは自然のままにふるまっていただけなのに、と僕はこのニュースを観たときに思ったのですが、現実問題として、「動物に自然の(欲求・欲望の)ままに行動される」と、その動物たちに作物を荒らされたり、襲われたりする人たちが出てくるのです。
「動物たちがかわいそう」と憐れむのは、実際にその動物たちから被害を受けることがない都会人ばかり。
実際に被害を受けている人たちと、「獣害」の現実を知らずに「かわいそう」と言い続けている人たちの乖離は、時代とともに広がってきています。
現在、爆発的に生息数が増えて、獣害を大発生させている野生動物はシカだ)本書ではシカと記す場合、説明をつけないかぎりニホンジカを指す)。
(中略)
だが獣害の主役としてのシカは、カワイイなどとは言っていられない。
環境省の調査では、2013年の個体数は北海道を除く地域で、中央値(データを大きい順に並べたときの中央の値)で305万頭となっている。
2020年には、捕獲率が現状と変わらなければ400万頭以上に増えている計算で、2023年に453万頭になると試算している。なお統計上の90%信用区間の上限数値(90%の確率で正しい数値のうちでもっとも高い値)は、646万頭にもなる。中央値の2倍以上いる可能性もあるのだ。
(中略)
シカは草原性の動物とされるが、だだっ広い草原というよりは、森林の周辺や森林内にある草地といった環境を好む。多くは夜を林内で過ごし、昼間は餌を求めて草原など開けたところに出てくる。
問題となるのは、その食性だ。通常は草の葉や茎、実、そして樹木の葉、実などを採食するが、食べられる植物は1000種を超えるという。農作物では、葉もの野菜はもちろんだが、果樹の果実に枝葉も食べる。シイタケなども大好物だ。餌が乏しくなると樹皮や落ち葉なども食べる。もはや「セルロースなら何でもOK」と言わんばかりの状態だ。
著者は、シカだけではなく、イノシシやクマも数をどんどん増やしていて、地域の住民に大きな被害を与えていることを説明しています。
近年は、あまりにも獣害が深刻になってきたため、報奨金を出して、シカやイノシシの「駆除」も行われるようになっているのですが、シカやイノシシの繁殖力には全然追いつかないし、ジビエとしての需要も限られているのです。「肉として食べる」ことを前提にすれば、狩猟のやり方や、獲ったあとの処理が大事になってくるのですが、「美味しく食べられる肉にする」にはコストもかかります。
「獣害」に対しては補償されないことが多く、柵などの対策にもお金がかかります。
農作物をつくる側からすれば、獣害によるモチベーションの低下は大きな問題であると著者は指摘しているのです。
そもそも、今の日本は人口減が進行してきており、大自然を開拓して、人が住む土地を広げていく必要性も乏しくなっています。
野生動物にとっては、保護政策が長い間とられていたこともあり、生きていきやすい、増えていきやすい環境にあるのです。
そんな現実があるのに、まだ多くの人は「人間が野生動物の棲む場所を奪い、どんどん数が減り続けている」と信じているのです。
もともと野生動物を見る機会がほとんどない都会の住民には実感がわかないけれど、人と動物が共棲している地域の人々は、シカやイノシシ、サルなんて、珍しくもないのです。
実際に「駆除」するとなると、長年積み重ねてきた「かわいそう」という感情を打ち消すのは、なかなか難しそうではありますが……
動物に関する取材内容や自分の経験などを振り返りつつ、各種の文献や論文に目を通していたところに起きたのがコロナ禍だ。まったく想定外の出来事だったが、むしろ外出自粛(と言いつつ、毎日森に出かけていた)のなか、本書執筆に集中することができた。
そして気づいたのは「コロナ禍も、獣害の一つではないか」ということだ。新たな感染症をもたらした新型コロナウイルスは、おそらく野生動物から人にうつることで全世界的に広まった。そして経済全般をストップさせ、人々の生活を根底から崩す危機を出現させたのだ。それは野生動物の恐ろしさを一般人が感じる機会となったのではないか。
だから、都会で暮らしている人々が、獣害に悩まされる地方の農山村を他人事のように眺めているのは危険だ。いまや獣害は誰にでも襲いかかるのだ。
野生動物から、人間や人間が飼っている動物に未知の感染症がうつる、というのは、これまでの歴史でも繰り返されてきたことなのです。
まだまだ、自然界には、人間の知らない、あるいは、変異をきたして治療が難しいウイルスがたくさん存在していますし、これで人類が滅亡しないかぎり、新型コロナウイルスが「最後」ではないでしょう。
だからといって、野生動物を絶滅させる、というのは現実的ではありませんよね。
結局のところ、人間も地球で生きる「種」のひとつとして、うまく彼らと共存していかなければならない、ということなのでしょう。
「共存」と言いつつ、ワナにかけたり、鉄砲で撃ったりしているわけですから、あちら側にとっては「キレイごとを言うな」って感じかもしれませんが。
- 発売日: 2013/11/06
- メディア: Blu-ray