琥珀色の戯言

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【読書感想】演劇入門 生きることは演じること ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

鴻上尚史、渾身の一作!】
「演劇は劇場にだけあるものではありません。あなたがいて、目の前にもう一人の人間がいれば、またはいると思えば、そこに演劇は生まれるのです。もし、あなたが目の前にいる人に何かを伝えたいとか、コミュニケートしたいとか思ったとしたら、演劇のテクニックや考え方、感性は間違いなく役に立つでしょう」――鴻上尚史

【内容紹介】
日本人が、「空気」を読むばかりで、つい負けてしまう「同調圧力」。
でも、その圧力を跳ね返す「技術」がある。
それが演劇。
「空気」を創る力は、演劇的な思考と感性によって磨くことができるのだ。
なにも舞台に立ったり、俳優を目指したりする必要はない。
本書で、演劇の基礎に触れて、日常の生活で意識するだけ。
長きにわたるコミュニケーション不全の時代に、人間らしい交感の喜びを取り戻し、他者とともに生きる感性を育てる方法を具体的に説く画期的な指南書。


 僕が生きてきた日本という国では、人が社会のなかで「本心を隠して何かを演じる」ということに、ネガティブなイメージがあったのです。
 僕が子どもの頃の人気アイドル、松田聖子さんは「ぶりっ子」なんて叩かれていましたし、いまでも、さわやかイメージの芸能人の不倫が発覚すると大バッシングです。

 鴻上尚史さんは、演劇の世界で長年活躍されてきたのですが(僕にとっては『オールナイトニッポン』のパーソナリティの印象が強いですし、最近は「人生相談の名手」としても知られています)、人が、「生きやすくなるために演じること」をずっと肯定し続けている人でもあるのです。

 僕は『リラックスのレッスン』(大和書房)という、緊張しない・あがらない方法をいろいろと書いた本の中で「緊張する面接の時は、ドアを開ける前に、『ショートコント面接!』と心の中で叫ぶといい」と書きました。
「ただし、『コント』とつけてしまうと、『笑いを取らないといけない』というプレッシャーになるかもしれないので、『一幕一場、面接』とか『シーン1 プレゼン』とかでもいいと思います。
 要は、『演じている』という意識を入れることで、精神的な距離を作り、焦りを減らすのです」
 ……これは、緊張でガチガチになった心を、「演じているんだ」という意識を持つことで余裕をもってほぐそうというアドバイスです。
 が、この状況、「一幕一場、面接」と脳内で叫ぶことは、今までの定義をあてはめると、演劇だと言えるのです。
 頭の中で「今、自分は面接の演技をしているんだ。目の前にいるのは観客なんだ。いや、目の前の三人の面接官以外にも、空想の観客はたくさんいるんだ」と思うだけで、演劇は成立する、ということです。
 とすれば、一人部屋の中で、将来のスターを夢見て、目の前にまだ見ぬ熱狂する観客をイメージしながら熱唱する少年少女の時間は演劇になるし、一人で料理を作りながら、まるで料理番組に出ているかのように観客を想定して説明を続ける大人の風景も演劇になるのです。


 医者という仕事をしていると、癌の告知をしなければならない、というプレッシャーにさらされたり、当直中に酔っ払った急患から心無い言葉を浴びせられたりすることもあるのです。
 医療に限らず、人と接する仕事では、まあ、いろいろありますよね。
 僕も落ち込んだり、イライラして感情が暴発してしまいそうになるのですが、そんなときには「良い医者を演じる」よう、自分に言い聞かせています。
 人と人との関係としては「許せない」「納得できない」ことでも、ドラマの一場面を演じていると思えば、自分の内側を傷つけなくて済むような気がするんですよね。
 他者の態度に対して、「心がこもっていない」「本当にそう思っているのか!」と怒る人というのはいるのだけれど、いつも100%心をこめていたら壊れてしまう、という感情労働は少なくありません。

 SNSなどで「自分自身を他人に晒す」ことに慣れている今の若者たちは、「演じながら生きていく」ことに対する抵抗が少ないというか、それが当たり前なんじゃないの?と感じている人が多い気がするんですけどね。
 鴻上さんがこんなに人生相談などで支持されるようになったのは「演じながら生きる」ことへの社会の意識の変化も影響しているのではないでしょうか。

 この新書のなかで、鴻上さんは、「演劇」というものの歴史や「人が演じること」の意味、そのテクニックについて、わかりやすく、そして、親しみやすく書いておられます。
 「うまく、ラクに生きるためには『演じる』ことが有用だし、演じるには技術や慣れが必要なのだ」
 この本で、鴻上さんが書かれていることは、「演劇人」として、平田オリザさんが以前仰っていたこととも重なります。
 しかしながら、同じことが書かれていても、平田オリザさんの本を読むと「上から目線」的な印象を受けるのに対して、鴻上さんだと、素直に読めるんだよなあ。
 

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 鴻上さんは、演劇の特徴(映像作品との違い)について、こんなふうに述べています。

 同じ空間にいるということをポジティブに言うと、「俳優の感じた感情は、観客に伝わる」ということです。
 僕が演劇を信じているのは、この一点です。
 俳優が必死になってセリフを言っている時は観客に何も伝わらず、セリフを言い終わった瞬間の「ホッとした感覚」がリアルに伝わる、というのは、未熟な俳優ではよくあるケースです。
 ずっと例に出しているAが緊張している時、緊張は観客に伝わります。そこで、「俳優は緊張しているが、観客には説得力があるように伝わる」なんて奇跡は起こりません。けれど、セリフに自信を持ち、役の感情になって堂々とセリフを言う時、その自信やリラックス、そして役の感情は必ず伝わります。
「一幕一場、面接!」と心の中で言ってから、面接を受ける時、あなたが緊張していたら、その緊張は面接官に伝わります。でも、あなたが話しているうちにリラックスしたら、そのリラックスも面接官に伝わります。
 それが、同じ空間に生きている、ということです。


 鴻上さんは「広い映画館に観客が自分一人でも緊張しないけれど、演劇を観に来て観客が自分一人だったらかなりきついはず」だと仰っています。
 実際に演劇を観に行ってみると、観る側も、映画よりずっと「疲れる」んですよ。そして、観客の反応や熱気の影響力を感じるのです。
 鴻上さんは、役者たちが観客の反応によって、演技を変えていく(演技が変わっていく)という話をされています。

 ただ、そういう演劇の特徴を考えると、新型コロナウイルスの蔓延による無観客・ネット配信での公演は、本来の演劇ではない、とも言えますよね。
 新型コロナ以前にも、僕は、演劇のテレビ中継やDVDを観るたびに、「同じものを見ているはずなのに、劇場にいるときに比べるとつまらないな……」と思っていたのです。
 演劇に限らず、プロ野球の中継にしても、無観客試合っていうのは、同じ野球をやっているはずなのに、味気ないのです。
 新型コロナ禍は「観客の存在の大切さ」を僕に感じさせたのです。ほとんどのことがネット経由で可能になりつつある時代だからこそ、「ライブ」の魅力が浮き彫りにされています。


 鴻上さんは、こんな話もされています。

 演技は「考えることと感じること」を両立させることだと前述しました。
 これは「演技はセリフの決まったアドリブ」の別の言い方です。
 演技は、考えなければいけません。セリフを覚えて、練習して決められた間とテンポと立ち位置、動線(どこから舞台に出て、どこに引っ込むか)などを意識しなければなりません。でも、同時に、その瞬間の相手役の言葉や空気、感覚、動きを感じなければいけません。
「考えること」に集中してしまうと、心がどんどん醒めてしまいます。
「感じること」に集中すると、心が解放され過ぎて、セリフが飛んだり、立ち位置がズレたりします。
 ちゃんと考えながら、深く感じることができれば、つまり、「考えることと感じること」を高いレベルで両立させればさせるほど、面白い演技になるのです。
 そして、これもまた、あらゆるスピーチの基本です。
 あなたがプレゼンなど、人前で話す時に、話す内容を考えることが必要です。でも、同時に、聴衆の反応を感じる必要があるのです。
 聴衆が退屈していると感じたら、その部分ははしょって伝えるとか、食いついてきている感じがしたら、少し丁寧に話すとか。
 卒業式や入学式などで、偉い人の話が退屈なのは、彼らは、「考える」ことしかしてないからです。
 ただ事前に考えたスピーチを読むだけなのです。必要なのは、読みながら感じることです。感じれば、読み方の速度、表現、言い方などを変えることができるのです。そういう人を「スピーチの達人」と呼ぶのです。


 「演じる」というと、演者が事前にどんな準備をして、どう動くか、ということが大事だと思っていたのですが、それだけでは足りないのです。
 自分がどう表現するか、だけではなくて、相手の反応を感じながら、臨機応変に対応していかなければ、聞き手は退屈してしまう。
 スピーチとかプレゼンテーションというのも、ひとつの「演技」なのでしょう。
 演技を学ぶことは、日常生活においても、役に立つ。相手を見ずに自分のことばかり喋っている「自称・話し上手」の人って、けっこう多いですしね。

 「演劇入門」であり、「鴻上尚史入門」ともいえる新書だと思います。
 オビに「日本人には『芝居』が足りない」と書いてあるのですが、政治家のスピーチをみていると、確かにそう感じますし、僕がプレゼンテーションを苦手としている理由もわかったような気がします。聴衆の反応を「感じる」余裕もないし、そういう意識もなかったものなあ。


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