鴻上尚史のもっとほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋
- 作者:鴻上 尚史
- 発売日: 2020/05/07
- メディア: 単行本
Kindle版もあります。
出版社からのコメント
ブレイディみかこ氏、大絶賛!
「人はわかり合えない。その認識に立った回答が
どうしてこんなにもポジティブなのか」「回答が具体的だから、ストンと胸に落ちます」
「語りかけるような言葉が、じんわり心に沁みこむ」
「悩んだら、何度でも鴻上さんの言葉に戻る」…
話題沸騰、作家・鴻上尚史氏の人生相談、第2弾!!
観念的ではなく、理想論でもなく、精神論だけでもなく、
具体的で実行可能なアドバイスを25本+書下ろし原稿2本=計27本収録!
鴻上尚史さんの「ほがらか人生相談」の書籍化第2弾。
ちなみに、前作の僕の感想はこちらです。
演劇を通じての「コミュニケーション教育」の専門家であるはずの平田オリザさんが、コロナ禍のなかで、不用意で他者への配慮に欠ける発言で炎上しているのに対して、鴻上さんは安定感があるなあ、と思いながら読みました。
演劇人もいろいろ、ということで、平田さんが演劇界を代弁しているわけでも、鴻上さんが演劇界のすべてでもない、ということなのでしょうね。
鴻上さんの「人生相談の技術」については、もう語りつくされているような気もするのですが、鴻上さんは、どんな質問者に対しても、まず、「勇気を出して、質問してきてくれてありがとう」と最初に声をかけています。
こういう姿勢が、相手にも、「この人の話を聞いてみよう」と思わせるのでしょうし、鴻上さんが長年深夜ラジオなどで培ってきた「リアルタイムでの少し距離が離れた人とコミュニケーションする技術」も活かされているのではないかと感じます。
そして、この「もっとほがらか」では、前作よりも、「相手の質問への回答」だけではなく、「鴻上さんの基本的なものの考え方」みたいなものが述べられているところが多かったのです。
高校3年生の「部活で部長をやっているのだけれど、自分に余裕がない状態だと、後輩に嫌味を言ったり大声で文句を言ったりという、最低の部分が出てしまう。どうしたら自分は変われるだろうか」という悩みに対して、鴻上さんは、自身の「リーダー論」を語っておられます。
有能なリーダーと呼ばれる人は、自分で「勝手には」決めない人でした。必ず、現状をメンバーに説明し、何が足らなくて、何が求められているかを共有して、議論を始めました。
ダメなリーダーと思われている人は、とにかく、自分で決めて、自分で指示を出して、自分で責任を取ろうとしていました。組織のメンバーは、いったい何が問題で、何が求められているか、根本のところが分からないまま、その指示に従いました。当然ですが、納得していない顔をする人が多くいました。
リーダーが「何を考えているか分からない」ではなくて、「何を考えているかよく分かる」という状態にすることが大切だと気付いたのです。
「明日、このシーンを稽古したいっていう希望ある?」という僕の言葉は、演出家がフレンドリーだとか正直だとかいう意味ではなく(もちろん、それも大切ですが)、「演出家が、明日の稽古のメニューを決められていない」という情報を組織に流通させたのです。
もちろん、リーダーは責任を取る人です。みんなの意見を聞いても、最終責任はリーダー自身にあります。みんなが言っている通りに決めても、その責任はリーダーが取ります。それが、リーダーなのです。
自分で責任を取ることと、組織に情報を流通させて、メンバーに思考する雰囲気を作ること・メンバーの知恵を借りることは別です。
組織というのは、うかうかすると、すぐに淀みます。情報が淀めば、組織が淀みます。組織が腐ってくる一番の原因は、情報が流通しないことです。
一部の人達だけが情報を握って、焦って、心配して、苛立つのです。情報を知らされていない人は、どうしてそんなに焦っているのか分からないので、ノンキだったり無関心だったり勝手なことをします。それを見て、情報を持っている人は、ますます焦り、苛立ち、怒ります。
問題は、やる気のある人と無関心な人との対立ではなく、情報が流通していないことです。
この質問に対する、鴻上さんの「リーダー論」は、すごく参考になるなあ、と思ったのです。
正直、ひとつの国とか地方自治体レベルの「リーダー」では、「情報を公開しても、理解しようとしてくれない人」あるいは、「あえて誤解したり、揚げ足取りをしてくる人」もいて、この方法がうまく機能するかどうか僕は疑問なのですが、お互いに顔が見えるくらいの規模の組織では、「情報の共有」は最優先事項ではないかと僕も思います。
大企業でも、「情報を公開したから潰れた」という事例よりも、「隠ぺい体質になっていて、自浄作用がはたらかなくなってしまった」から決定的なダメージを受けてしまうことが多いのです。
「国や地方自治体ではどうか」を前述しましたが、おそらく、そのレベルでも、何でも公開するかどうかはさておき、隠ぺいが常態化してしまうと、良い結果は生まないはずです。
「リーダー」って、「自分で決めて、自分でみんなを動かさなければならない」と思い込みがちですが、現在は、独善的なリーダーの時代ではなくなっています。
高校時代に、校則を変えようとしてうまくいかなかった、という人の「日本の校則がこんなに厳しいのはどうしてですか?」という質問に対しては、鴻上さんは、自分自身の高校時代の「校則との闘いと敗北」を丁寧に語っておられます。でも、その闘いはムダではなかった、とも仰っているのです。
そして、千代田区立麹町中学校の校長である工藤勇一さんが書いた『学校の「当たり前」をためた。生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』という本を紹介しています。
工藤さんは、さまざまな学校の当たり前をやめました。
「服装頭髪指導を行わない」はもちろんのこと「宿題を出さない」「中間・期末テストの全廃」「固定担任制の廃止」などです。
驚くと思いますが、全部にちゃんと理由があります。そして、麹町中学校の生徒達の成績は下がるどころか、上がっています。
工藤さんは学校では「手段が目的化」してしまっていることが一番の問題だと指摘します。
なんのために「服装指導しているのか?」という「目的」がよく考えられないまま、服装指導という「手段」が目的化している。学習指導要領や教科書という「手段」でしかないものが、絶対的基準の「目的」となって、消化してこなす対象になってしまっている。
そもそも学校の「目的」とはなんなのか?と、工藤さんは問いかけます。
それは「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ことではないのか。そのために考えられたいろいろな「手段」なのに、それを厳密に実行することが「目的」になっていないか。
この「手段が目的化」してしまう、という事例は、僕の身の回りにもたくさん転がっているのです。
個々の悩みについての回答は「見事」なのですが、この本には、「自分が問題に直面したときに、どうその問題を分析して、考えていけばよいのか」というヒントがたくさん詰まっているんですよね。
結婚して15年の主婦の「好きな男性ができてしまったのですが、穏やかな思い出にする方法を教えてください」という質問も出てきます。
この人が「体の関係はあります。私には子供もいます。また私から会いたいと連絡してしまいそうです」と書いているのを読んで、僕は「アウト―!!」と心の中で呟いてしまったのですが、鴻上さんは、回答のなかで、こう述べています。
世間では、こういう状態を一般に「不倫」と言いますが、大きなお世話です。マスコミは商売として「不倫」を糾弾しますが、本気の恋愛を経験した人は、簡単に、他人の「不倫」を攻撃できなくなります。
それは、本気の恋愛は、ものすごく暴力的で唐突で理不尽で甘美だということを知っているからです。恋に落ちない方法は、ただひとつ、逃げることですが、恋の方が強力なら、逃げ切れないこともあるのです。そして、本気の恋は、相手と自分の立場を選ばないのです。独身だろうが既婚者だろうが、恋にいきなり鷲掴みにされて、振り回され、叩きつけられることがあるのです。
そうか、そういうものなのか……
と納得したあと、僕は自分自身に、「ではお前は、東出昌大さんの不倫をどう思うのか?あれは若い女優と遊んでいただけで、『本気の恋愛』ではなかった、と断言できるのか? 本気なら、妻が妊娠中でも『仕方ない』と思うのか?」と問いかけてみたのです。
結論としては、僕は鴻上さんがなんと言おうと、この相談者の女性も、東出さんも「生理的に不快」だけど、「他人だから、あえて踏み込んで批判はしない」だったんですよ。
要するに、他人の面倒ごとには深入りしたくない、というだけのことです。
結局のところ、内容よりも、「誰がそう言っているのか」によって、人の感情というのは動かされやすい、と僕は感じていますし、この第2弾での「ブランド化」してしまった鴻上さんの人生相談は、少しだけつまらなくったような気がしているのです。