琥珀色の戯言

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【読書感想】「おふくろの味」幻想~誰が郷愁の味をつくったのか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

 なぜ「おふくろの味」は男性にとってはノスタルジーになり、女性にとっては恋や喧嘩の導火線となり得るのか。誰もが一度は聞いたことがあっても、正体不明の「味」をめぐる男女の眼差しや世代のすれ違いはどこから来るのか。本書はその理由を、個人の事情や嗜好というよりもむしろ、社会や時代との関連から解き明かしていく。「おふくろの味」の歴史をさかのぼりつつ、近年の「お母さん食堂」事件からポテサラ論争までを考察する意欲作。


 自分の母親のことを「おふくろ」と呼んだことがありますか?
 僕自身は、子どもの頃は「ママ」、その後は「お母さん」で、「おふくろ」と呼んだことはないし、呼ぼうと思ったこともないんですよね。
 子どもの頃は、「おふくろ」って、森進一さんの歌か、テレビドラマの中でだけ使われているもので、『ドラえもん』のスネ夫のお母さんの「○○ざます」と同じようなものだと考えていました。20代半ばのときに、島根県で、本当に「ざます」を使っている中年女性を見かけたときには驚きました。あれは「方言」みたいなものなのか、むしろ、東京などの都会の「良家」のお母さんは普通に使っていたのだろうか。まあ、実際に使っている人を見たのは、50年以上生きていて、その1回だけなので、「あの人は何者だったのだろう?」とは思います。

 大人になってみると、「おふくろ」という言葉は、僕の親世代(1940〜50年代生まれ)の男性には、それなりに使われているということを知ったのです。
 ただ、僕としては「おふくろの味=煮物とか肉じゃが」ではなくて、お母さんが作ってくれたカレーライス(僕好みにジャガイモがたくさん入っていた)やオムライスをが懐かしくなるし、あれと同じものは、母親は亡くなってしまったから、もう食べることはできないのだな、と切なくなる感じ、なのです。


 「おふくろ」って、なんだか古めかしい言葉のような気がするのですが(それこそ、2000年以降に生まれた人たちにとっては、本当に「古い」としても)、一般的に使われるようになったのは、そんなに昔の話ではないようです。

 この本の「プロローグ」には、こう書かれています。

 詳細は本文で説明するが、こと「おふくろの味」が料理本、料理番組、随筆、川柳、ドラマなど、多様なメディアの中で、一定の位置を占め始めたのは、概ね1960年代半ば以降であった。それ以前にはおそらく、言葉としても、存在としても広く認知されてはいなかった。日本が高度経済成長期を迎えた頃、突如、彗星のごとく現れた言葉であったといってもよいだろう。しかもそれは、本書で後に明らかにしていくように、偶然というよりも、むしろ必然であったと思われるのである。
 つまり、「おふくろの味」をめぐる状況は、男性と母親の関係というよりもはるかに広い射程を持ちながら展開してきたということができそうである。では、いったい誰が「おふくろの味」をつくってきたのだろうか。


 ちなみに「おふくろ」という言葉に関しては、500年以上前に、高貴な人を産んだ女性が「御袋」と表現され、敬われていたと著者は紹介しています。
 その後、徐々に高貴な人の母親を指す「御袋」という言葉は使われなくなり、昭和の時代になって、詩や戯曲、小説、川柳といった芸術・芸能の世界で、ひらがな表記で、自分の母親を指す「おふくろ」が頻繁に出てくるようになったそうです。

 このように「おふくろ」という言葉が社会にある程度認知された素地のうえに、いよいよ「おふくろの味」が登場する。初めて登場したのは、確認できた限りでいえば1957(昭和32)年、初出は「味」とはいっても料理に係る書籍ではなく、扇谷正造が編集した『おふくろの味』という随筆であった。


 「おふくろの味」という言葉が文献的に確認できたのは、太平洋戦争が終わってから10年以上経ってからなのです。
 著者は、「おふくろの味」という言葉は懐かしさを引き出すものではあるけれど、実際は、けっこう新しい概念であることを検証していきます。
 国立国会図書館の所蔵本で、「おふくろの味」という言葉がタイトルに含まれている本をピックアップすると、こんな結果になったそうです。

 総数は108冊、そのうち随筆、教育、習俗、不明のもの7冊を除く、約100冊が全て料理に関する書籍である。初版の発行年に着目すると、1950年代に2冊(2%)、1960年代に2冊(2%)、1970年代に35冊(32%)、1980年代に28冊(26%)、1990年代に41冊(38%)となり、1970年代以降の出版が圧倒的に多いことがわかる。ところが「おふくろの味」を冠した料理本は21世紀に入るとほとんど出版されなくなる。類似の料理、献立を掲載した料理本は現在も出版され続けているが、読者へ伝えるメッセージとして「おふくろの味」という言葉が選ばれなくなったということなのであろう。ここにもまた、重要な社会の変化が潜んでいるに違いない。


 日本の歴史上(あるいは、世界史的にも)有史以来、「家族が揃って温かい食事を摂る」ことができた時代というのは、非常に珍しい、かつ短期間でしかないのです。日本でいえば、1960年代から80年代くらいの「高度成長期」がその全盛期でした。それ以前は戦争や貧困で「おかず」を考える余裕がなく、それ以後は核家族化や共働きや独居者の割合が増えて、「お母さんが夕ご飯を作って家族みんなで食べる」家族はどんどん減っていきました。
 「一家団欒」というのは、歴史のごく一時期、一部の地域にだけしか存在せず、それを至上の価値だと思い込んだ人たちが社会の中核を構成している時代を僕などが生きてきただけ、とも言えるのです。


 「おふくろの味」について、著者は、ある人気マンガでの描写を紹介しています。
 1983年に小学館の『ビッグコミックスピリッツ』で連載が始まった『美味しんぼ』の9巻の8話『新妻の手料理』より。

 結婚して三ヶ月の女性が手料理に時間をかけているにもかかわらず、夫の毎晩の帰宅が遅く、家で食事をしないことに悩んでいる。その事情を友人が調べて見ると、くだんの夫は一人で連日同じ居酒屋に行き、食事をしていることが判明する。その居酒屋は煮込み、湯豆腐、焼き魚、お新香などを出す「おふくろの味」が売り物の「ふるさと」という名前の店だった。
 一方、悩んでいる新妻にも事情を聞こうと家を訪ねてみると、食事にビーフストロガノフ、タルタルソースで食べるハゼのフライ、八宝菜、パエリア風ピラフが出された。「結婚前に料理学校に通っていたから、料理なら自信があるの。いつも彼の帰りが遅いでしょ。だから彼に私の料理を食べてもらえないの。それが辛くて」という。そして、「わたし、テニスとかジャズダンスとかで午後は忙しいから、手の空いているうちにお料理は作っておくんです。だから、後は食べる前に電子レンジで温め直すだけでいいの」、「どんなに彼の帰りが遅くても、ずっと毎日一所懸命作り続けるつもり…… それが私の、彼に対する愛の証ですもの」という台詞が続く。
 双方の事情を知った主人公の山岡は、料理学校ではレストランのご馳走に近いものを教える傾向があること、男性が毎日食べたいと思うのはそうした料理よりも「おふくろの味」で、家庭の惣菜を好むことを伝え、だから、夫は家で食事をしたくなくなったのではないか、などと解説する。そこで、酒の〆料理としても人気の「うずめ飯」という島根県の郷土料理のつくり方を教えて、一件落着するという話である。
 ストーリー自体は一件落着するのだが、2022年の現在にあらためてこの作品を読むと、明確な性別分業が肯定され、忙しくなって料理に時間をかけられない女性の行動を批判する展開で話が進むところが逆に興味深い。この作品の中で、「おふくろの味」は重要なキーワードとして登場する。1980年代の世情を巧みに捉えた作品であるといえよう。
 解決策として「郷土料理」が登場するところは、日本栄養士会公衆栄養推進栄養士協議会編で1988年に『図解亭主の好きな全国おふくろの味──栄養士が勧める郷土料理141』が刊行された現実とも呼応する。


 この話、読んだことある!と、マンガ、アニメの『美味しんぼ』を読んだり観たりしてきた僕は思ったのです。
 「マンガがある定食屋」には、かなりの高確率で置いてありましたよね、『美味しんぼ』。
 1980年代から90年代前半くらいの僕が「そういうものなのか」と素直に受けとめていたエピソードも、2023年に読むと、「これ、今だったら、Twitterで大炎上したんじゃないか」と感じます。
「なぜ妻がいつも夕食を作らなければならないのか、しかも、気に入らないから食べないなんてひどい男だ!」
「そんなに『おふくろの味』とやらが好きなら、自分で作れよカス野郎!」
 このような反応がすぐに頭に浮かんできます。

 時代や環境の変化とともに、人々の「家族観」は変わっているので、ずっと1980年代の感覚を引きずっていることは許されない。
 とはいえ、よほど日頃から意識していないと、自分が子どもの頃、若い頃の価値観をアップデートしていくのは難しい。

 「おふくろの味」という言葉そのものも、性差別としてNGワードとなりつつあるようです。
 この「おふくろの味」という概念は、料理本や料理マンガなどが商業的な理由でつくってきたものなので、お金にならなくなれば(流行らなくなったり、批判の対象になれば)、あっという間に使われなくなっていきました。21世紀に入ると料理本で「おふくろの味」がタイトルから消えてしまったように。

 世の中には、「自分が知っている、体験してきたから、長年の『伝統』なのだろうと思い込んでいるもの」って、少なからずあるようです。
 そんなことを思い知らされる本でした。
 それでも、「母親が作ってくれたご飯が懐かしくなる」というのも、1970年代前半生まれの僕の正直な気持ちなのですが。


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