琥珀色の戯言

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【読書感想】神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「ヒグマの聖地」である北海道に流入していった人間たちとヒグマとの凄絶な死闘をもとに、近代化の歪み、そして現代社会の矛盾を炙り出す。

膨大な資料から歴史に埋もれた戦前のおびただしい北海道の人喰いヒグマ事件の数々を発掘し、なぜヒグマは人を殺すのか、人間はヒグマや自然に何をしてきたのか、という問いを多角的に検証する労作!

北海道で幕末以来に発生した人喰いヒグマ事件をデータ化し、マッピングした「人食い熊マップ」も掲載!


 ヒグマVS人間!
 僕は、これほどまでの「人喰いヒグマデータベース」を過去の新聞記事や雑誌、公的な記録などを精査して作り上げた著者の労力に驚嘆するのと同時に、「なぜ、著者はここまで『ヒグマが人を襲ったり、食べたりしたエピソードに心を惹かれたのだろう?」と考えずにはいられませんでした。


※以下の引用部は、熊に人が襲われた事件を報じた『小樽新聞』大正14年6月22日の記事ですが、かなり残酷な描写があるので苦手な方は読み飛ばすことをおすすめします。

 大正14年6月18日、上川郡美瑛村市街地の雑穀商近藤新一(35)と近所の丸一運送店員濱岸睦志(23)の2名が釣りに出かけたまま行方不明となった。付近の捜索が行われたが、上流の山中に子連れの熊がいるのを発見して、命からがら逃げ帰り、改めて在郷軍人消防団など100名ほどの捜索隊が鳴り物を鳴らしながら捜索した結果、21日になって村から三里半の山中ルベシベ二股のオチャンベツ川岸で釣り道具や魚籠を発見し、そこから二丁離れた崖の下で遺体を発見した。

「(近藤の遺体は)胴体から上はなく、内臓はことごとく喰われ、また手足もむしり取られ、頭は崖の上に発見された。なお濱岸の死体は両足もなく、顔面は傷だらけで、内臓を喰らって土の中に埋めてあったが、実に目も当てられぬ惨状であった」


 当時の記事や証言の中では、これはかなり「端的に状況を伝えている」もので、読んでいて「うへぇ」と辟易してしまう、これよりもさらに詳細な「食害」の様子が伝えられている文章や談話が、この本ではたくさん紹介されています。
 
 人間が牛や豚、鶏をはじめとした動物を「食べる」ことに対して、忌避の念を抱き(あるいは、宗教的な禁忌から)、「ベジタリアン」になっている人も世界中にかなりいるのですが、自分が「食べられる」なんて状況は、まず想像しないですよね。映画『食人族』が僕の子供の頃に話題になったのを思い出します。「人喰い人種」というのも、現代では、こちらから接触しようとしなければ、まず、一生遭遇することはないでしょう。


fujipon.hatenablog.com


 著者は「北海道」という地域の特殊性について、こう述べています。

北海道庁統計書』によると、明治以降の北海道の人口は一定して増加し続けるが、殊に明治26年以降顕著となり、毎年およそ4万〜6万人の人口が加算されていく。その結果、明治34年には早くも100万人を突破した。これを支庁別で見て見ると、道東、道北地方での増加が著しく、たとえば前傾記事に出てくる風連村では、明治33年に十数戸の集落に過ぎなかったのが、明治42年には1000戸、6000人を数えるまでに発展している。新たな開拓民の入植が、千古斧を入れぬ密林にまで及ぶことになり、そこに潜む恐るべき猛獣と接触する機会も急増したのである。
 一方で北海道が、世界で最も人喰い熊事件が多発する特異な地域であることは意外に知られていない。
 ヒグマの棲息地域はユーラシア大陸北米大陸の広範囲に広がっているが、これらの地域の人口密度は世界で最も低いレベルである。例外的に人口の多い欧州では、ルーマニアなど一部の国を除いて絶滅の危機にあり、国土が平坦なイギリスでは、早くも11世紀頃に最後の一頭が獲殺されたという。
 換言すれば、ヒグマと人間が、ともに極めて高い密度で併存する、世界でも珍しい地域が北海道なのである。


 僕は以前、カナダの山で、けっこう近い距離で熊を見たことがあるのですが、他の観光客も、熊の姿に大喜びしていたのです。
 この本を読んでいて、いくら車の中からとはいえ、甘く見ていたなあ、と怖くなりました。

 著者は、年代別に「人喰いヒグマ事件」が起こった地域のマップを作り、時代による変化を指摘しながら、「なぜその時代に、その地域で事件が多発したのか」についても丁寧に検証しています。
 人間にとっては、「人が生活しているテリトリーに恐るべき動物がやってくる」わけですが、ヒグマからすれば(もちろん、僕にヒグマの本当の気持ちなんてわかりはしないけれど)、「ずっと住んでいた土地に、銃や鉄道などの恐ろしい道具を持った生き物が、大勢侵略してきた」ともいえるのでしょう。

 北海道野生動物研究所所長、門崎允昭教授によれば、「1970年〜2018年末迄の49年間に、北海道で猟師以外の一般人が襲われた事故の年間の平均発生件数は、1.2件である」(『羆の実像』)という。これをもとに、ヒグマの棲息数を2000〜3000頭として概算すると、だいたい1600〜2500頭に一頭が、いわゆる「人喰い熊」ということになる。確率で言えば、0.04〜0.06%と極めて低く、同一個体である可能性を示す根拠となる。
 もちろん本書で取り上げた事件の多くが100年以上も前のことであり、関係者は鬼籍に入られ、物証もほぼ存在せず、今となっては状況証拠のみによる推測でしかない。


 「人喰い熊」は、熊全体の中でも、かなり珍しい存在なのだそうです。それこそ「熊喰い人」のほうが、ずっと多い。
 何かのきっかけで、「人間の味を覚えて」しまった熊が「食害」を繰り返したのではないか、という事例も多数紹介されています。
「内臓を食べ尽くされたり、下半身だけになった遺体を雪の中に埋められたり」などというのは、こちらからみれば「猟奇的殺人」なのですが、熊からすれば「一度に食べきれなかった食料を、保存食として隠した」だけではあるのです。
 僕だって、自分や身内、知り合いが熊に食べられたら、そんな他人事のようなことは言えないと思いますが。

 昔の北海道の人たちは、自然や熊を含む動物たちとの距離が近いというか、生きて、食べていくために、大自然の恵みを得て、そのリスクを引き受けて生きなければならなかったのです。
 
 1970年代に生まれた僕の、2022年の感覚では「そんな、熊にいつ襲われるかわからないような場所で生活しなくても……」と思うのです。
 熊に襲われた人たちに関する記事を読んでいても、危険を承知で報酬や名誉のために熊に対峙した猟師たちはともかく、「山菜を採りに行った」「畑仕事に出ていた」あるいは「近所の知り合いのところに将棋を指しに出かけた」はずなのに、熊に遭遇して命を落とした人たちが少なからずいたのです。
 家まで熊が襲ってきた、という事例もいくつかありました。
 山菜や将棋のために、そんなリスクを背負わなくても、と思うのですが、当時の北海道の人たちにとっては、それが「日常」だった。

 人を襲った熊を退治した猟師たちが、その熊を運んできて、みんなで誇らしげにその熊と撮った記念写真が、この本の中にはたくさん出てきます。
 
 ヒグマは、人々に恐れられているのと同時に、畏敬される存在でもあったのです。

 ヒグマは「山の親爺」といわれるように、愛すべき山の隣人として親しまれてきた。
 北海道に生まれ育った筆者も、そのような印象であったが、また一方で恐るべき野獣であると認識したきっかけは、おそらく多くの読者と同じく、小説『羆嵐』(吉村昭著)であった。
 この作品は北海道民に、ほとんどトラウマに近い衝撃を与えたのではないだろうか。筆者も子供心に、人喰い熊の恐ろしさに戦慄したものであったが、同時に開拓時代の厳しい暮らしと先人の苦労に、改めて思いを馳せたものであった。


 著者は、北海道の過疎化と都市部への人口集中で、野生動物が増加してきており、この20年あまりでヒグマの個体数が1万2000頭まで激増した、と述べています。太平洋戦争前後は、およそ3000頭前後だったといわれていたのに。
 平成10年頃から、冬ごもり中の熊穴でヒグマを捕獲する「春熊猟」も含めた銃を使う猟が禁止され、箱状の檻に餌で熊を誘き寄せて捕獲する「箱罠」が動物保護の観点から推奨されるようになったそうですが、ベテラン漁師は「熊は賢いから、学習して、なかなかかからなくなる」と証言しています。

 今回の取材で、ヒグマに襲われながらも生還した人に話を聞くべく、さまざまな人の伝を辿ってみた。しかし彼らは一様に口を閉ざし、取材に応じる人は皆無であった。
 そのうちの一人である、道北の某猟友会の猟師は、近所にヒグマが出没したことから、駆除のために山に入ったが、逆襲されて頭部に重傷を負った。そこにメディアが押しかけ、失礼な質問を浴びせたという。
「安全管理はちゃんとしていたのか」
「一人で山に入ること自体、無謀ではないのか」
「そもそも狩猟免許は持ってるのか」
 村人のために危険を冒し、勇を鼓して熊退治に向かったのに、痛くもない腹をさぐられ、まるで悪者のように叩かれる。
 あまりの理不尽に、マスコミの取材は一切お断りしているとの返答であった。

 札幌市東区に出現して、四人に重軽傷を負わせたヒグマが射殺された時も、「なぜ殺すのか」という批判の電話が地元猟友会に殺到した。現在、北海道を賑わしている、道東で65頭もの牛を斃した巨熊「OSO18」についても、本州の動物愛護団体から「かわいそうだから殺すな」とか「動物虐待だ」といった講義が、地元役場や猟友会に押し寄せている。
 これでは漁師の担い手がいなくなって当然だろう。その結果、猟友会の高齢化が進み、技術の継承が断たれ、ヒグマの個体数が激増し、ついに四人の尊い犠牲者を出してしまった。
 令和3年の一連の人喰い熊騒動は、人間の欲望と傲慢、そして配慮の精神に欠けた現代社会の歪みに、ヒグマが牙を剥いたとも言えるのではないか。


 かつて、今よりもずっと「人の命が軽い」時代がありました。
 自分たちが生きていくために、ヒグマに遭うリスクを受け入れてきた人たちがいたのです。

 そして、人間が強くなりすぎて、自然と距離を置いて暮らす人が増えたことによって、「面識のない人よりも動物の命のほうが重くなってしまった時代」が、現在なのかもしれませんね。

 人間は、ヒグマに、そして、人間自身に「復讐」されている。


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