琥珀色の戯言

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【読書感想】昭和の青春 日本を動かした世代の原動力 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

あの熱い時代「昭和」とは何だったのか。
学生運動、高度経済成長、新たな文化、繁栄の「陰」…
1950(昭和25)年生まれの池上彰氏が実体験をまじえて解き明かす! 

本書の構成]
はじめに
第1章 青春の学生運動
第2章 青春の高度経済成長
第3章 青春の昭和文化・社会風俗
第4章 新たな時代を切り拓いた人物たち
第5章 高度経済成長と繁栄の「陰」
第6章 「昭和の青春」世代のこれまでとこれから


 1950年生まれの著者・池上彰さんより、僕は20年くらいあとに生まれているので、50年生きているうち、昭和は30%、平成が60%、令和が10%くらいです。
 昭和天皇崩御され、小渕総理が『平成』という新しい元号を書いた紙を掲げたときには、「これで将来、『昭和生まれ』ってバカにされるのかな……」と思ったものです。
 僕は「平成」をいちばん長く生きてきましたし、インターネット・携帯電話の劇的な普及で、世界は「平成」のあいだにだいぶ変わってしまった印象があるのですが、自分がまだ若くて感受性が豊かだったこともあってか、「昭和」というのは、忘れられない時代なのです。
 太平洋戦争を経て、ソ連北朝鮮を信奉する人たちがたくさんいた時代、1999年に恐怖の大王がやってきて、人類が滅亡するといわれていた時代。
 実際は、1999年に恐怖の大王がやってくることはなく、「2000年問題」で、病院のシステムにトラブルが起こるかもしれない、ということで、みんなで病院に泊まって2000年を迎えたことを思い出します。結局大きなトラブルは起こらなかったし、1999年は、すでに「平成」になっていたのですが。

 あらためて考えてみると、僕が子ども・若者だった頃、1970年代、80年代には、まだ太平洋戦争を体験した人たちがたくさんいて、8月6日の『広島原爆の日』には、被爆者の体験談を講堂で聞いた記憶があります。当時も「太平洋戦争なんて、もう昔の話」だと思っていたのですが、平成生まれの若者たちにとっては、「歴史年表上の出来事」になっているのかもしれません。
 僕の子どもたちも、「ベルリンの壁崩壊」や「オウム真理教事件」「阪神淡路大震災」をリアルタイムでは経験していないのです。

 テレビの世界では「昭和ブーム」が続いています。番組で戦後の昭和時代を特集すると、軒並み高い視聴率を取るのです。
 私が担当する番組でも「昭和時代に何があったか」をテーマに取り上げると、視聴率が上がります。昭和生まれの人たちは「そうそう、そんなことがあった!」という懐かしさで、若い人たちは「嘘でしょう、信じられない!」という驚きでみんな盛り上がるからです。さまざまなクイズ番組でも昭和ネタが鉄板です。
 バブル景気崩壊で失われた30年が生じる前の世界は右肩上がりの経済成長を遂げ、いまから見ると光り輝いていたように思えます。その反面、現在の感覚からすればとんでもない出来事や風景が日常茶飯事でした。
 いまでこそ日本ではゴミをポイ捨てする人はとても少なく、みんなきちんとゴミ箱に捨てるか家に持ち帰るので街は清潔に保たれています。しかし、私が学生だった頃は、多くの人が道路に兵器でポイ捨てしていました。
 それどころか、汚い話になって恐縮ですが、昭和の人々は平気でそこら中に痰を吐き散らかしていたので鉄道各駅のホームには痰つぼが置かれていたものです。


 僕が子どもの頃には、仕事をしながらタバコを吸っている大人は当たり前の存在でしたし、ゴミのポイ捨てもよく見かけました。
 海外旅行に団体で出かけては、有名ブランド品を「爆買い」する日本人も大勢いたのです。

 だから中国人は……と、彼らのマナーを責める言葉を見かけるたびに、「でも、日本人も昭和の経済成長期には、同じようなことをやっていたんだよなあ……」と思っていました。
 結局、人間というのは、人種とか民族性というよりは、経済発展や文化の成熟度で行動が変わっていくだけなのかもしれません。

 日本の「昭和」というのは、前半が戦争の時代で、中盤は急激な復興の時代、そして、後半は生活の質がどんどん向上し、それまでの「家族制度」が揺らいでくる時代でした。

 国を挙げてのビッグイベントとして東京でオリンピックが開催されたのに続き、西の大阪では日本万国博覧会が開催されました。
 万国博覧会とは最先端の科学技術や各国の紹介を行う展示やイベントなどで国際交流を深める博覧会です。
 開催期間は1970年3月15日から9月13日まで、77ヵ国が参加し、国際機構や企業などを含めて116の展示館が展示を行ったほか、多くのイベントが開催されました。
 入場者数は約6422万人で、一日の最高入場者数は83万6000人を記録。何度も行った人を含む延べ人数ですが、日本の人口の半分以上が入場した計算ですからその人気ぶりがわかります。
 ただ、学生だった私の周りの友人たちは、馬鹿にして誰も行きませんでした。学生運動が盛り上がっている最中に政府が勝手につくったイベントに参加なんてできるか、という気持ちでした。
 そういう冷ややかな視線が少なからずあったのも確かですが、全体としてみると万博は大いに盛り上がりました。


 僕は大阪万博をリアルタイムで記憶している世代ではないのですが、1985年につくば科学万博に連れていってもらったことはよく覚えています。短い3D映像を観るのに2時間半並んだり、買ってもらったばかりのカメラを忘れてしまったりと、良い思い出ばかりではなかったけれど、並ぶのが大嫌いな父親が、ずっとぶつぶつ言いながら並んでいたのは懐かしい。
 大阪万博以降の、これまでの日本での国際博覧会も、毎回「いまさら国際博なんて」と言われながらも、蓋を開けてみると、けっこうにぎわっていました。

 2025年に開催される予定の大阪万博は、予算の超過や「パビリオンに実際に足を運ぶ」ことの敷居の高さなど、さまざまな問題を抱えています。
 僕も、もうオンラインでやればいいんじゃない?とは思うのですが、その一方で、こういう時代だからこそ、現地で、ライブで体験することに「価値」を見出す人が多くなってもいるのかもしれません。
 インターネット発の『ニコニコ超会議』だって、オンラインで全部済ませるのではなく、あえて会場を訪れて楽しんでもらえるような仕組みをつくっているのです。
 とはいえ、実際に開催されてみたら、案外人が集まるような気もするんですよね。
 みんな「流行り物」が好きだし、なんでもオンラインでできる時代だからこそ、「ライブ」の再評価もされてきているので。

 僕が子どもの頃の記憶を辿ってみると、世界の人口がどんどん増えて食料が無くなってしまうのではないか、とか、核戦争が起こるのではないか、環境問題で地球には住めなくなって、21世紀のはじめには宇宙旅行や宇宙ステーションでの生活が当たり前になるのではないか、と考えていたのです。

 ところが、2023年になってみると、世界の人口増加のスピードはどんどん減速してきていますし、日本は人口が減ってきていて、若者がより多くの高齢者を支えなければならない時代になっています。
 宇宙は40年前よりは近づいたのかもしれないけれど、まだまだ遠い。
 核戦争なんて誰も得しない、非現実的、だと思いたいけれど、ウクライナ戦争やパレスチナでの戦争で、「核兵器の使用」は、起こりうる可能性のひとつであることを再認識しました。

 その一方で、「未来はもっと良くなる、科学技術は進歩し、人類の行動範囲は広がり、生活は便利になっていく」と疑いもなく信じていました。
 実際、携帯電話やインターネットなんて、僕が子どもの頃には「夢の技術」だったわけですし、テレビを録画するのも、昔はタイマーとチャンネルを合わせていたら野球中継が延長されてうまく録画できなかった(レンタルビデオもなかった)、なんてことがよくあったのですから。
 便利には、なったよね。そして、人はひとりでも生きやすくなった。

 本書ではここまで「昭和の青春」時代をさまざまな視点からたどってきました。その間に起きた世の中の変化を振り返ってみると、大きかったのは何といっても生活の豊かさの向上です。
 かつては洗濯板を使って手で衣類を洗っていたのに対し、洗濯機に衣類を入れてスイッチを押せば勝手に洗ってくれるようになり、スーパーマーケットの普及で多種多様な商品を安い値段で買えるようになりました。
 所得倍増計画で人々の給与が増えて生活にゆとりができ、自家用車を持つ人も増えました。汲み取り式だったトイレは水洗トイレに置き換えられていき、リボン状のハエ取り紙を天井から吊るしている家も見かけなくなっていきます。ゴミとほこりが舞っていた街の通りも清潔になっていきました。

 令和の時代は、日常生活を維持するための家事に必要な時間は、昭和に比べたら、かなり減りました。労働時間も残業も減ったし、「付き合い」に拘束されることも少なくなりました。
 余暇として好きなことに使える時間は増え、それを満たすコンテンツも増えたけれど、それでみんなが幸せを感じているかといえば、そうも見えない。
 むしろ、今の日本人の多くは、将来に不安を抱いているのです。

 僕が若かった昭和の後期は、令和5年に比べたら、はるかに不便な時代でした。友達の家に電話するときには、親御さんが出ることを想定して受け答えを予習し、緊張しながらかけていましたし、おもちゃ屋のテレビゲーム売場には、ファミコンを買ってもらえない子どもたちが列をつくっていたのです。
 でも、「未来はもっと良くなる」という、今から考えたら、あまり根拠のない確信はあったような気がします。
 単に、当時の僕が若かったわけなのかもしれないけれど。

 いまの子どもや若者はAmazonプライムビデオとかNetflixで配信される番組を好きなタイミングで観るので、テレビ番組をほとんど観ない、テレビがない生活をしている若者も増えています。
 テレビで昭和ネタが鉄板なのも、昭和ネタを懐かしく思うような年齢層の人たちしか、テレビを観なくなったから、という可能性は高須です。
 それでも、人気ドラマやスポーツ中継などでは、とんでもない視聴率が記録されることがときどきあって、テレビの影響力は、まだまだ捨てたものではないのかもしれません。

 昭和は家父長制度が色濃く残っていたし、仕事の面では長時間労働サービス残業が当たり前、という時代ではあったのです。
 でも、自分が若かった時代は、やっぱり懐かしくはありますよね。

 これからAIや少子化で日本がどう変わっていくか、手塚治虫の「火の鳥」みたいな存在になって、見届けてみたい、とも思うけれど。


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